例えば昨今取り沙汰される10兆円以上の金融緩和策に関しても、日銀から市中金融機関に大型の資金供給が行われたとして、果たして必要とする特に中小企業を中心とした分野に充分な資金がいきわたる事となるのか、若干の疑問が生じ得ない。大企業は、殆どの場合、例えば、現今の需要関係に鑑みて、設備投資を中心とした新規投資に対して、そう旺盛な意欲が存在するとは考えられず、従って、必要資金に逼迫しているとは言えない事から、金融緩和による資金供給は、専ら現在特に運転資金に逼迫している一部大企業と、多くは中小企業向けとなるのではないかと想定される。一方で、金融機関としても、先行きの不透明なこれら諸企業に対する貸出しを積極的に展開する事が出来るか、BIS規制等が強化され、経営の健全性が強く求められている現況で、大きなリスクを負担してまで貸出行動を活発化させる覚悟があるかどうか、甚だ疑問に感じるのは一人小生だけだろうか?
カンフル剤的に大型公共事業の発注等を中心とした経済対策が強く求められる事は事実であり、これにより一時的な景気浮揚と雇用の拡大を図る事は、多くの経済「評論家」が主張しているところでもある。但し、余り長期に渡ると、またまた財政面での脆弱さをこれまで以上に露呈させる可能性もあり、30数年振りと言われる貿易赤字一兆円超えの数字に見られるように、為替相場への負の影響も生じるかもしれない。既に昨今の円安は、貿易中心の企業収益を押し上げている半面で、原油やLPG価格等、エネルギー関連コストを急騰させ、電力価格にまでインパクトを与えかねないところに来始めている事は読者諸兄姉の良く知るところである。安全性を無視した原子力発電依存は全く論外だが、半ば魔女狩り的な国民的原発アレルギーの高騰で、CO2問題を無視しているかのような火力発電依存によって、先の貿易赤字の現況の一つとなっている事に漸く気付き始めているのも、悲しい現実である。京都議定書問題は何処に行ったのだろか?
上記の財政面の脆弱さの増大から来るこれ以上の円安が段階的にでも進行し、仮に、対ドル・レートで90円台、100円台に至る事があるとすれば、更に輸入原材料価格等の高騰を惹起し、国内産業、特に海外展開の不可能な中小企業に今以上のインパクト与える事にもなりかねない。我が国の産業の基本は、乏しい原材料を輸入し、これに世界でも屈指と言われる我が国の暗黙知をそれよりもっと心配なのは食料価格の高騰である。一般に言われているとおり、特にバイオ燃料転嫁問題から来るトウモロコシ価格の高騰は目を蔽わんばかりであり、詳しい数値は知らないが、数年前の数倍の価格に高騰しているのではないか。トウモロコシと言っても、家畜などの飼料に使用されている関係から、牛肉・豚肉・鶏肉等の価格の高騰も目前であり、食糧の大半を輸入に依存している我が国国民にとっては、将来の死活問題にも発展しかねないと懸念するが、小生としてはどうか間違いであって欲しいと願うのみしかない。
次期政権政党が主張しているように、景気浮揚無くして雇用の拡大は無く、企業業績の向上と雇用の拡大無くして財政再建は為しえない事は当然であり、雇用の確保=収入の安定無くして需要の拡大=デフレ脱却も在り得ないと考えられる。しかし、経済のグローバル化の進展はこれまでの比ではない為、釈迦に説法ではあるが、為替相場の動向、原油等輸入エネルギー価格の動向、資本市場の動向を充分に注視して我が国の先行きに対する舵取りを御願いしたいものである。
被災地の復興も、先ずは、2700万トン以上と言われる瓦礫の処理も優先して欲しい。先にも主張したが、近場に焼却場を早急に複数施設建設する事も一考である。建設に関して雇用が確保され、稼動する為に雇用が必要となる。焼却炉の建設に何ほどの費用が必要だろうか。これまで無駄にしてきたコスト、例えば、わざわざトラックに積載して北九州まで輸送する費用が如何程だったか、それにより処理される瓦礫の量が如何程だったか、考えてみるだけで馬鹿馬鹿しくなる。焼却処理された瓦礫は、テトラポットの材料にでも転嫁し、各海岸の防波堤対策に代用する事も可能だったはず。万が一、処理された瓦礫の放射能問題を云々する可能性があるならば、各地方への搬入も同次元で論じなくてはならない事となり、何をか況やとも思えるが。素人考えと謗られるかも知れないが、日本人の英知を集約すれば、震災から一年半以上、既に各海岸の防波堤対策は少なくとも終了していたかもしれないと思うと、失われたこの時間が小生としては全く口惜しい限りでもある。
希望のある我が国の将来を目指して、来週発足する新政権には是非頑張ってもらいたいものである。還暦を過ぎた爺さんからすれば、新政権を構成する議員の今回の若返りは最も歓迎すべき事である。米国のオバマ大統領も四十歳台前半で就任した事を踏まえれば、我が国でも40歳台前半の宰相が誕生したとしても不思議でも、心配な訳でもなく、寧ろ大いに期待すべき動きであると思う。動きの早い世界情勢、若い感覚こそがこれに対処し、自信をもって未来に向って乗り越える力を有していると信じている。「若者達(小生と比較しての話かな?)よ、勇気をもって前に出よ!怖れるべきは、自らの心の内底に潜む恐怖心だ!恐怖心をかなぐり捨てて、未来に向って前進せよ!未来は君たちの為にある!」先にも書いたが、ルーズベルト大統領が1920年代後半の世界恐慌時に国民に訴えた言葉だけど、今こそ、全ての若者に送りたい。
そうこうしている間に、小生の出身の宮崎県高鍋町の役場に勤める後輩からメールが届いた。故郷の「希望の街づくり」の為に若手職員五人で自主研究グループを立ち上げたと言う。『これからの少子高齢化社会における故郷の街づくりについて強い危機感を有し、グループの活動を通じて、これからの街づくりの将来ビジョンを明らかにすると共に、日々の活動の中で故郷の未来に希望の灯をともしたい』との事。全くその通りだと小生も考える。先ずは五人から、そして故郷の若手を集合させよ!アバンギャルド(前衛)は苦労が多いが、為し得た時の喜びは他に与えたく無い程のものでもある。リスクを恐れずに前進せよ!少なくともここに一人、後援する爺さんが既に存在するぞ!(言葉だけで無く、今年中に差し入れを東京から送るぞ!)こうした動きを、全国に発信する源となれ!頑張れ!
]]>さて、遅くなってしまいましたが、今回のブログでは、前回にお約束した小生のケンブリッジ大主催国際会議での今年のスピーチ=拙稿のうちの一つに関し、その概要を掲載します。従って、今回のブログは読むのに厭きが来る程長い事を覚悟して望むべし!
前回、掲載に大騒ぎした同大の栄誉証受賞の「証拠写真」は、小生のPCに関する信じられないほどの技術的未熟さ=無知さにより、掲載を断念しています(旬刊誌「財界」11月13日号59頁には掲載されました。証拠写真を公開していますので、あの話は「嘘」ではありませんから、悪しからず!)。今回掲載するこの拙稿が、特に企業経営者や投資家の方々に少しでもお役に立てればと願っています。
Old Threats and persistent risks – when will we learn?
当セッションの主テーマである「Old Threats and persistent risks – when will we learn?」に関して、これを正面から論じる事は非常に困難であり、また、その議論も多岐に渡って甲論乙駁する結果となる可能性が高いと考えられる。そこで、自分としては、この限られた発表時間を有効に活用する為に、企業価値を判断する際のメルクマール、特に、企業の財務情報以外の重要要素に関する情報について分析し、関係各機関が世界の企業に対してこれらに関する更なる情報開示を要請する必要性について論述してみたいと思う。
2008年のリーマン・ブラザーズの経営破綻に端を発した世界同時不況や現在も続く欧州債務危機問題、度重なる世界的な経済危機により各国企業の競争力は著しく減退し、当然に我が日本経済にも甚大なる影響を及ぼしてきた。更に2011年3月の東日本大震災の発生とタイの大型洪水問題の発生による世界的サプライチェーンの崩壊など、各国企業の経営や社会経済に与えた影響に関しては言及する必要も無いだろう。特に日本企業は震災による様々なダメージに対処し、不断の努力による業務の復旧と新たな成長に向けての取り組みを進めつつある。更なる成長に向けて、企業はこれまで以上にマーケティングやR&D、グローバル事業展開、人材育成等、多面的な活動を展開してきているのも事実である。
企業活動を推進していくに当たっての重要な活動の一つに、様々なステークホルダー、特に株主・投資家に対する自社の現状に関する情報提供が最重要課題ともなっている事は言うまでも無いだろう。株主・投資家からの自社に対する関心・注目を集める為には、自らの組織の成長に向けた商品やサービスのイノベーション改革に尽力する事は勿論、投資家の投資判断に資する適時・適切な情報開示とコミュニケーションを更に強化する事が重要である事は言を待たない。その意味で“IR”は、企業と投資家を結ぶコミュニケーションそのものであり、企業が自らの投資価値=企業価値を伝える重要なプラットフォームでもある。しかしながら、これまでの多くの企業IRでは、過去・現在の財務情報を中心とした情報発信、つまり“財務体質の実態”の開示にのみ注力して来た実態があるが、いまや、こうした情報だけでは企業の価値を評価するメルクマール足り得ないという投資家の変化が顕著であり、特に、リーマンショック以降は企業のサステナビリティを如何に評価するかが判断のポイントともなってきている事実に世界の企業が漸く気付き始めているのも事実である。
企業を取り巻く環境は大きく変化してきている。世界的な経済危機の発生やグローバル化の進展での社会的課題の顕在化、更には顧客の価値観=ニーズの変化と言った企業経営に直接的影響を及ぼす課題に直面している状況において、企業価値の評価に当たっては、単に財務体質の実態に関するものだけでなく、更に広範な状況が必要になってきている。事実、これまで有価証券報告書をはじめとしてCSRレポートや環境報告書、更には年次報告書など多岐に渡る情報開示書類が作成、公表されているが、その情報量の膨大さ・詳細さに加え各報告書間・情報間の関係性が不明確な現状においては、投資家側でもこうした情報の理解が充分行ず、また、企業の将来性を判断する為の材料として使いこなせていない状況にあるといっても過言ではない。従って、企業が達成すべき眼前の大きな課題は、既存株主等に対する説明責任を強化すると言う目的だけでなく、現在・未来の株主に投資判断を適切に行える多角的な情報を可能な限り分かり易く伝達する事で自社の“社会的存在価値”に対する理解を促進する事であると言えよう。つまり、各企業に対して、こうした厳しい環境であるが故に、開示情報の充分性や分かり易さという観点を踏まえ、全てのステークホルダーに対する情報開示やコミュニケーションの方法に関して改めて見直す必要性が高まっている事を認識させ、改革を促さなければこうした問題は到底解決し得ないところに来ていると考えられる。
ここで、企業価値とは何かに関して改めて考察してみたいと思う。投資意欲を喚起する為には、如何なる情報を提供すれば企業の“価値”を投資家や社会に理解してもらえるのだろうか。これまでは、一般に、投資家は、企業が投資に値し得る組織なのかを判断する為に、当該企業の組織理念や経営戦略、更には過去・現在・未来の収益実績や見込み、収益性・安定性・成長性と言った財務体質等の様々な観点から企業の“将来性”について評価しようとしてきた。その為に、企業は、これまで“財務体質”や“有形資産”を中心とした情報を提供してきた。承知の様に、近年は、こうした財務資本や有形資産と同等或はそれ以上に“知的資産”や“ガバナンス体制”、“レピュテーション”と言った“無形資産”が企業価値評価の構成要素として強く意識されるようになった。当然に、企業価値の評価に当たっては、過去や現在の指標である財務数値が如何に素晴しい結果を示していたとしても、余り意味は無く、未来の収益見込みを達成するだけの価値を有しているかどうかの判断基準としては、“経営基盤”・“企業理念=風土”・“技術”・“人的資源”等の無形資産に関する情報が重要な要素である。市場価値の残余部分は無形の“資産”であり、先に述べた人的資産や知的資産、環境資産、社会資産等がこれに当たる。企業価値とは、要は、金銭的な指標によってのみで表されるものではなく、企業の成長に向けた多面的な視点によって表現され、評価されるべきものであると言えよう。
こうした変化の背景には、世界レベルでの社会・環境の変化と課題の顕在化、つまり、世界人口の増加やグローバルな資源・環境問題の顕在化、企業経営の不確実性の増大、更には、企業不祥事の続発等の発生が存在している。財務体質が如何に磐石であっても、コンプライアンスやガバナンス、環境問題への配慮等、社会的公器としての適切性が欠如していれば、持続的な成長の実現が不可能である事を、これまでの歴史がしっかりと証明してきた所以でもある。また、こうした考え方は、国際的な制度設計としても検討が進められており、既に2006年には国連が“責任投資原則(PRI: Principles for Responsible Investment)”を公表して以来、例えば、ESG(環境・社会・ガバナンス)情報をはじめとする非財務情報の評価が一般的な投資判断基準として認識されるようになってきた。PRIが投資プロセスにESG要素を組み入れる事を宣言している事から、ESGに関する情報開示の要請は高まりを見せており、小生が独立社外役員を務めた三菱商事では既に数年前から次のように宣言し、自らのESGに関する取り組みをあらゆる機会で説明してきている。つまり、“継続的企業価値の向上の為には、経済的価値と環境価値、更に社会的価値を向上させる事が重要であり、その為にこそガバナンスが存在する”と。蓋し、真実の考えである。
また、一方では、これまでの財務情報を中心とした開示のみではなく、財務情報と非財務情報とを合わせた新しい情報開示のあり方についても議論が進んでおり、小生も日本サイドのメンバーであるが、国際統合報告評議会(IIRC: International Integrated Reporting Council)において統合的な情報報告に関するフレームワークの構築が進められているのも事実である。
企業は、自らの経営活動を磐石なものにする事は勿論、投資家の企業評価に資する情報提供を目的として、必要な非財務情報の開示を積極的に進めることが強く求められる。この両種の情報の発信は、自らの組織のビジョンと戦略をより一層明確にし、更には、自らに対する社会的理解と評価を大きく向上させる事に資するものである事を認識すべき時が来ている。今こそ、過去の経験から何が真実であるかを真摯に学ぶ事、それが世界経済の復活にも繋がると心から信じている。
以上が、今年のケンブリッジ大主催国際会議の小生のスピーチのうちの一つに関する概要です。誰だ?読むのに疲れたとか何とか言ってる読者諸兄姉は!冒頭に記述した総選挙に関する各政党、候補者の考え方に関する情報開示も、同じ事で、充分に理解した上で判断を下さないと、またまた『騙された−!』とか何とか、自分自身で嘆く事になりかねないよ。そうならないように、「過去の経験から何が真実であるかを紳士に学ぶ気持ちを持つこと」が本当に大事だと心底思います。読者諸兄姉は如何お考えか?
]]>今回、ブログ更新を思い立ったのは、ある事に関して、読者諸兄姉にご報告申し上げ、これまでの尋常ならざるご指導、ご支援等に関して心からの感謝を申し上げなくてはならないからです。
読者諸兄姉は良くご存知のように、今年も英国ケンブリッジ大学(ジーザス・カレッジ)主催の国際会議である「The Cambridge International Symposium on Economic Crime(経済犯罪に関するケンブリッジ国際シンポジウム)」にスピーカーとして招聘され、九月初旬からの約一週間、我が愚妻共々参加してまいりました。同国際シンポジウムは、「経済犯罪」と言っても、マネロン防止策やマフィア・テロ対策のみでなく、近年は、企業不祥事の防止策に関し、コーポレート・ガバナンスや、内部統制、リスク管理経営等のあるべき姿、更には企業情報、特に非財務情報の開示問題について、世界100数カ国、延べ1、500人以上の政・官・学・財界の代表が集い、熱心に討議する場としても有名であり、特に今年で30回目を迎える記念すべき年でもありました。
こうした中で、小生に与えられたスピーチ・テーマは二つ。一つは、「Old threats and persistent risk - when will we learn?(旧弊の脅威と存続するリスク−何時になったら我々は自覚するのか?」であり、もう一つは、「Too Big to Fail - How to Control Corporate Behemoths?(消滅するには巨大すぎる−巨獣企業を如何に制御するか?」でありました。両議題共に我が国にとっても時期に合ったもの(企業不祥事の頻発、JAL・東電問題の処理)でもあり、その面でも各国の参加者の注目を集めたテーマの一つと言っても過言ではないと思います(小生の拙い当該テーマに関するスピーチの概要については、当ブログの次回=必ず近日中に実施する事を誓います=にアップする予定です)。
ところで、小生と愚妻にとって驚愕の出来事は起きたのは、シンポジウム最中の夜半に行われるディナーの席上での事です。確かあれは三日目のディナーの終了間際の事だったと記憶していますが、突然にMC(マスター・オブ・セレモニー)のケント氏から、「Professor Nagatomo、Please be standing !」と声を掛けられました。何事が起きたのかと恐る恐る(悪い事をしているわけでもないのに、と!)立ち上がると、シンポジウム議長のバリー・ライダー、ケンブリッジ大学教授が、額に入った「証書」を持って何やら読み始めました。周りからは大きな拍手、小生は、同教授の読み上げる声がよく聞こえず、ポカーンとしたままで同「証書」を受け取りました。「英資、オメデトウ!」との同教授の声にはっ!と我に返り、証書を見ると、そこには「Certificate of Ohnour(名誉証?)」と記載されているではありませんか。日本人では初めての事と説明された記憶があります。IPS 細胞騒ぎの誰かではあるまいが、決して小生の思い込みで無い(笑い?)事の証明に、同大事務局よりPCで送付された記念写真を以下に添付します。(向って右側がライダー教授。ディナー会場大ホールのアッパーでの撮影で、周囲には各国大使等が座って拍手しています。)
受賞は9月初旬で、ブログのアップが遅れたのは、自写の証拠写真が無かったからが故であり、何処かの大法螺吹きと間違われないように、証拠写真を添付したかったが為であります。
後から考えると笑い話ですが、全くの突然の出来事で、事前に何も知らされる事無くの「驚愕事(?)」でしたので、写真に写っている小生の顔が若干引きつっているのが分かると思います。更に、我が愚妻は、同時刻、何も知らずに(予め知らされていないので当然ですが)お手洗いに行き、ディナー会場の入り口で、小生がライダー教授と一緒に「早く席に帰って!早く!早く!」と急かされて、何も判らずに急ぎ席に戻ると、数百人のディナー出席者の前で大きな花束をプレゼントされ、何がなんだか判らないまま、多くの方々の祝福を受けて、これまた、大感激!と言った有様で、面目次第も無い授賞式となりましたが。
ところで、ご報告したように、小生如きがこの様な「名誉証」をケンブリッジ大学から授与されるとは、感激以上の何ものでもありませんが、小生一人がこの栄誉に浴したのでは決して無く、これまで、小生に対するご指導、ご鞭撻、ご理解、ご協力を賜った多くの全ての先輩、同僚そして読者諸兄姉の存在があればこそと、この場を借りて、心から深く感謝申し上げます。決して小生一人が為しうる事ではなく、全ての方々のお陰と、心底思いを新たに致しております。
今後とも、小生一人の力は微力で、小さい、小さいものですが、今回の件に満足、慢心する事無く、国際的に段々と存在感が薄くなってきた我が日本をアピールし、その存在を高揚させる為に少しでもお役に立てるよう、誠心誠意努力を続けていく積りですので、これまでにも増して読者諸兄姉のご指導、ご鞭撻を賜りたく、伏してお願い致します。常日頃諸兄姉にも主張している事ですが、こんな時ほど、小生、皆様に改めて心から申し上げる事が出来るのではないかと心から思います。蓋し、「貴方に遭えて良かった!貴方と一緒の時を過ごせて良かった!貴方と理解し合えて良かった!」=「これからもどうか宜しく」と!
これまでの長きに渡る「サボリ」をお許し下さい。 英資 拝
PS:と言う事で、証拠写真を添付した形で原稿を作成し、ブログの更新をやってみたのですが、何故か写真だけは添付されません。誰か、やり方知っている人がいたら、ご教授願いたい!今回のブログの空白欄は貼り付けようとした「写真」の部分です。読者諸兄姉にイライラさせる原因を作ってしまい、本当に御免なさい。
一方で、現在ほど、我が国国民の知る権利、知らされる権利が阻害されている事はかってなかったほどに高まっているにも拘らず、その実態すら実感しないで、例えば(極端に言えば)韓流ドラマや韓流俳優にキャアキャアしている国民性は世界に存在し無いのではないかと思うほどの状況であり、考えるに実に嘆かわしいと言うか、悲しくて涙が止まらないと言うのが実感である。「真実を見抜く目を持て!自らの生存に関わってくる状況だ!」と、先の二回のブログでも警鐘を鳴らした積りだが、やっぱり、「なんか変だよ、我が日本!」と大きく言いたくなってきた。
『幾度と無く、経済的な事由が、国民の健康上の事由に優先された。秘密主義が、情報公開の必要性に優先された。そして政府の役人は、道義上や倫理上の意味合いではなく、財政上の、あるいは官僚的、政治的な意味合いを最重要視して行動していたようだ』、更に、『直面している大きな課題は、市場の道徳観念の欠如と効率性との間で、しかるべき落としどころを探ることだ。自由を謳う経済システムは、しばしばその自由を否定する手段となってしまう。二十世紀の特徴が全体主義体制との闘いであったとすれば、二十一世紀の特徴は行き過ぎた企業権力をそぐ為の闘いになるだろう。極限までに推し進められた自由市場主義は、恐ろしく偏狭で、近視眼的で、破壊的だ。より人間的な思想に、取って代わられる必要がある』と。また、『そもそも消費者とは、我々全員のことだ。この国最大の経済的集団であり、どんな経済決定にもことごとく影響を受ける。消費者は重要視すべき唯一の集団である。しかし、その意見は蔑ろにされがちだ。政府は如何なるときも、消費者の?知らされる権利、?選ぶ権利、?意見を聞いてもらう権利、?安全を求める権利を擁護しなくてはならない。』
以上は、冒頭に紹介した小説の中で、プロローグとエピローグでそれぞれ引用されている文章であり、この小説の注目点は当該引用文に尽きていると思う。巻末の参考文献紹介とネット検索によるところでは、米国のジャーナリストであるエリック・シュローサーの『ファストフードと狂牛病』か、或はシェルドン ・ランプトン&ジョン・スト−バーの『隠されている狂牛病』からの引用文と思われる。冒頭にも述べたが、重要な事は、上述の引用文章に関して、狂牛病に関する記述と考えずに、今般の福島原子力発電所の震災事故後の政府の対応と考えたら如何だろうかと言う事である。特に最終部分に関して言うと、消費者=生活者、経済集団=生活集団、経済決定=活動指示と置き換えてみたら、本当に恐ろしくなってくるとは考えられないだろうか?当時も現在も、恐ろしい事に、我が国の重要視すべき唯一の生活集団である我々国民の知る権利を全て抹殺し、現在においても尚放置され続けている事に、改めて気付いた読者諸兄が殆どだと思うが、国民の殆どは「盲目状況」に置かれているのだろうか。
それも、つい数ヶ月ほど前に米国サイドから開示された昨年3月11日以後の福島原子力発電所事故対応を巡る我が国政府と米国政府等との交渉経緯についての記録文章等で明らかにされた、当時の政権政府の恐ろしいまでの「隠蔽主義」「秘密主義」「欺瞞主義」等の事実である。メディアは何時もの通り、余り問題視しないか、その内に取り上げる事すらなく、昨今では既に過去の事と忘れさせるかが如き対応しか示していない。これほど我が国国民にとって重要な安寧な生活を送る権利が侵害され、放置されて事実が存在していたにも拘らず、恰も国民を愚弄するが如き当時の政権政府の対応に、何故に誰も疑問視し、大きな声で批判する声が我が国であがらないのか、如何に考えても理解出来ない状況にあると言っても過言ではないのではないか。
ここのところ、漸くに国会の事故調査委員会が、当時の政府首脳を参考人招致すると言うところまで漕ぎ着けた様だが、これとても、『当時の対応が適切であったかどうかについて、質疑する』程度のものらしい。当時、米国の報告でも明らかなように、人体に影響を生じ得る数万ベクレルの放射能汚染が確認されていたにも拘らず、『直ちに人体に影響が生じるものではないが』との発言を繰り返し、あまつさえ、即時避難が必要だった福島原子力発電所30?近辺の住民たちへの避難指示が、一ヶ月以上も放置されたと同様の取り扱いを続けた挙句、避難するに関して何らの援助や誘導措置を行わなかった責任に関する追求を行う考えは毛頭ないらしい。現時点で、避難された方々、数十万人が故郷である現地に帰還できず、各地で大変なご苦労をされている事実に関しても、これを問題視する考えすらないかと思える対応には、怒りを通り越して、悲しささえ覚えるのは、一人小生だけなのだろうか。読者諸兄姉は如何にお考えか。改めて、お聞きしたいものである。これ以上の詳細をくどくどと主張すること自体が、『しつこい!』とでも、『煩わしい』事であるとでも言うのだろうか。米国が発表した当時の状況に対する報告書の存在すら、我が国国民は忘れてしまったか、『聞いてない!』『知らない!』『報道したの?』程度なのかもしれない。もしそうであったら、そうした待遇を受けても仕方の無い国民性を有しているのかも知れないが、少なくと、小生は御免被りたいと考えている。冒頭に紹介した「震える牛」が問いかけている事実、正に我が国に存在する恐ろしい事実の存在に早く多くの国民が気付き、自らの「国家」に対する考え方を其々が確立する必要性を心底から感じるべきではなかろうか。
原子力発電所の問題は、『稼動の是非』が問題なのか、『存在そのもの』が問題なのか、考えるべきでは。停止措置をとっても、核燃料棒はそのままであり、それらを冷却させる為に必要な電源装置は、福島での問題発生後一年以上経過した今現在でも、耐震対応などを追加設置する事も無く、何ら変わることなくそのままの状態で放置されている事実の方が余程恐ろしいと言う事実を何故に誰も主張しないのだろうか。明日にでも、巷間言われている大規模地震が発生したら、今度は何が起きるのだろう。やらなければならない事は山ほど存在しているのも関わらずである。「真実を見る目を持とう!」、今ほど重要な時は無い。
そうこうしている内に、今度は北朝鮮のミサイル?宇宙衛星?発射に関する我が国の対応の体たらくである。この問題に関する「真実」は、もっと恐ろしいかもしれない。何しろ「国家防衛」に関する基本的真実が明らかにされたのだから。近日中に考えているところをお伝えしようと思っている。またまた頭に血が上らないように気をつけないと、ブログ更新の間が空いて、読者諸兄姉のお叱りを賜るかもしれないが。
]]>さて、前回にご紹介した日本の「変さ(?)」に対する海外からの指摘の問題に関しては、更に様々なものがあるので、続きとしてご紹介する事に務めたい。当然の事だが、当該指摘を真摯に受け止めて、我々としても表題の通り、「真実を見抜く目を更に養う努力」を続けなければならない、そうでなければ我が国の明日は無いかもしれないと真に思うが、諸兄姉におかれては如何お考えだろうか。
前回に続いて、福島原子力発電所の事故後の我が国の対策に関する大きな疑問である。海外からの指摘は、先ず、「計画的避難区域指定」とその後の対応に関する問題点である。この指摘は、特に避難された方々、今でも大変な苦労をされていらっしゃる数十万人の方々の事を思うと、実に辛いものがある。小生の記憶が正しければ、確か、当該区域指定と実際の避難開始までに一ヵ月半ほどの期間の開きが存在した筈であり、疑問点の指摘はその期間の存在に由来している。この間、我が国は避難対象とされた地域にお住まいだった方々に対して何をしたのかと言う疑問である。
つまり、何れに避難すべきか、言い換えると、避難場所の準備、用意すらせず、また、避難に当たっての輸送の確保に関しても何らの手を差し伸べる事も無く、徒に「避難してください!」と呼びかけるのみであったのではないかと?実際に避難誘導に当たった地方自治体のご苦労は並大抵ではなかったと考えられる。国若しくは東京電力は少しでも避難場所の確保にあの一ヵ月半の時間を有効に活用したのだろうか?小生の知る限り「無」であったと思われる。風評被害もあり、輸送力の確保も儘ならないまま、其々のご家庭が自力で、謂わば着の身着のままでの避難行動を余儀なくさせられた筈だ。海外からの指摘は、曰く、『こんな国は世界広しといえど聞いた事が無い。即座の避難指示であれば理解できるが、充分な猶予期間が存在したのだから、避難場所の用意とか避難・生活物資の輸送方法の確保等、被害者の為に準備し得る事は数多くあった筈なのに、何ゆえ動かなかったのか理解に苦しむ。その結果が、バラバラの避難行動に繋がった。これでは「大戦直後の棄民政策」と変わらないではないか。対象となった方々のご苦労は計り知れないと思う。』と。『被災者が多すぎて対応できなかったと言う言い訳は笑止千万である。マスメディアが問題視し、我が国国民の目を振り向けようとした隣国中国の強権的な移住命令であっても、当該政府は、例外はあれ、通常は次の生活先を手当てして命令を下すもの。正しく国民生活の安寧さを無視した対応であったと考えられるが、当事者はもとより、他の国民は何故怒りを表さないのか?巻き込まれたものが不運とでも考えているのか?』と、実に辛辣な指摘に、小生も返答出来なかったのが事実。既に長期間もの間、各所に避難されていらっしゃる数十万人の方々のご苦労と悔しさを考えると、実に悲しい。かてて加えて、そうした方々への生活支援の為の賠償金の支払い、更には義援金の迅速な配布も未だ充分とは言えない状況である。事故発生から既に10ヶ月が経過しようとしている今日ですら。
福島原発に関する指摘でも、上記のものは、謂わば我が国の「不作為」に対する非難の声であるが、一方で放射能汚染の程度に関する公的発表は、これ程疑惑に満ちた「作為」による対応は無いと海外の声は厳しい。我々は既に忘れてしまったのだろうか、事故直後の公的発表は、余り覚えていないが、「直ちに影響が生じる数値ではない」とか言うものであった。問題とすべきは、その後、今日まで次々と明らかにされてきた数字が驚くべきものであり、その当時から判明していたにも拘らず、国民には「大丈夫!」と呼びかけていた我が国の「行為」に対してである。この件に関する海外からの指摘は上記の避難関係に関しても辛辣で、『結果的に何ら救助の対策を講じなかったならば、即座の避難指示でも良かったのではないか、パニックの発生が懸念されたと言う言い訳は通用しない。現時点で公表されている事実を前提にして考えても、汚染値は当時充分に高濃度であったわけであるから、人命尊重が先で、パニックは国が心配する程ではなく、日本国民は既にあらゆる局面で冷静さを世界に示しているではないか。国の公表数値をその当時世界中の誰もが信じなかったは周知の事実であるにも拘らず、その事を伝える努力をせず、謂わば「大本営発表」的に報道してきた日本のマスメディアの責任は大きいと考えるのだが、それでも日本国民は今日でも鵜呑みにしている傾向が見られるが、何故か?また、こうした欺瞞的「作為」に対して糾弾する声が全く起きないのは何故か?』と言うもの。
放射能汚染数値の欺瞞的公表に関しては、今更詳細に伝えるまでも無く、読者諸兄姉は充分にご存知の事であろう。しかし、日本人は我慢強いと言うか、寛容の精神の持ち主と言うか、当時の責任者を糾弾するものはメディアは勿論、国民には誰もいない(と思われる?)。しかし、海外の友人は、何処から知ったのか、次の二点(「事実」とは言わない。小生は知らなかったから。)を挙げて、海外政府は我が国のこれに関する公式発表を何も信じなかったと言う。
? TVの報道番組か何かで、著名な東北福祉大学の某教授が、怒りに満ちた涙目で、同教授の友人か教え子の経済産業省の技官(審議官クラス)が、事故発生直後の3月13−15日の原子力保安院の記者会見で、「メルトダウンの危険性あり!」と発言した事でその日のうちに首相官邸筋から同職を解任されたという。その後、この教授は二度とTVにゲスト出演する(呼ばれる)事はなかったとか。
? 同じTV番組で、現職の女性議員が自ら出演し、3月15日頃に首相官邸を訪れ、IAEA等の協力を早期に仰ぐべしとの文書を提出したが、『パニックが起きると困るんですよね』と一蹴されたとか証言した。同議員もその後この問題では二度と番組出演を依頼されていない。
これが本当だとしたら、真に由々しき状況であり、マニフェスト違反とか何とか取りざたするよりも罪が数十倍も重いと感じるのだが、読者諸兄姉は如何お考えだろうか?今更、考えたって仕方ないと済ませ得る問題なのだろうか?それにしても、当時海外ではメディアが、我が国国民が知らされていなかった「話」を積極的に報道していたと言う事実は窺い知れる。『だから、あの当時、早くにこちらに非難して来い。部屋は明けてあるぞ!そういった筈だろう。』とは友人の言。恐れ入りましたと言う以外に他無い。
小生も小さな孫をもつ身。「直ちに影響は生じない」とは、老齢のこの身、影響が出る頃にはこの世に居ないが、孫達の健康は心配だ。
東日本大震災の発生と、その後の明白に「人災」と言える原子力発電所事故と放射能被害の発生以降、これらの被害に対するこの国における数え切れないほどの対応の不味さや人間味を全く感じさせない被災者対応など、小生としては、これまで、血涙を流すほどの悔しさを感じながら、見ているしかない自分の無力さに打ちひしがれ、真実、何も書く気が起きなかった事だけは確かである。しかし、今でもそうだが、この国のマスメディアは、真実を伝える努力を本当にしているのだろうか?そして、全ての国民は、真実を見抜く目を持って、この国の先行きを見つめる努力をしているのだろうか?何と無く、仕方なく、徒に伝えられる事を鵜呑みにして、将来を考える力を失っているのではないだろうか?
小生自身、大きな事は決して言えないが、老齢化も進んだ性か、多少は小煩い事を言ってもお叱りを受けることは無いと信じて、再度弊ブログを書く事にした訳である。大変恐縮だが、ご興味おありの読者諸兄姉におかれては、何卒、これまで同様の寛容と忍耐の精神を持って弊ブログとお付き合いの程、どうか宜しくお願い申し上げたい
ところで、先にも述べたが、今回の東日本大震災に関する諸対応に関して、「不思議」とも言える我が国国民の感性は、諸外国には本当に「不可思議」に近い物と思えるようだ。「真実を知ろうとする意欲が無いのかもしれない?」とまで欧米の友人諸氏から言われると、正面から反論できない自分自身のもどかしさを心底感じる。以下に、彼らから寄せられた「質問(?)」、「疑問(?)」に関して、そのうちの一部をご紹介するので、読者諸兄姉も、時間があれば、ご興味があれば、一緒に考えてみては如何だろうか。如何に真実を見向く目を持って我が国で生じる事象を理解していないのか、理解しようとしていないのか、その何れかかは分からないが、少なくとも小生は愕然とした事だけは真実である。下記の何れの事象も、多分既に一部報道されているものばかりだが、問題点の指摘がマスメディアから出されているものではないと思う。
大震災発生直後とその後の対応に関して、先ずは、
? 被災者の避難先が把握出来ない状況が若干時間存在した。これに対し、道路が寸断されて現場に近づけないからと言う理由が説明されたが、先進国たる我が国には空からの現状把握が出来ない程の機器類しか存在しなかったのか?「自衛隊は違憲」だから、ヘリコプターを飛ばすなと言った人物は存在しなかったのか?
? 避難先に対する支援物資の輸送に、ヘリコプターやホバー・クラフトなど、民間所有の機器類を総動員しても充分に迅速な対応が図れたのに、不十分であった。民間側は即座に協力を申し出ていたのに、活用されるまでに不用な時間を消費したのは何故か?日本郵船は、神戸港に停泊中のヘリコプター搭載可能なコンテナ船の供出を申し出たが、一週間以上指示が出されなかったと聞き及ぶが。
? 上述の理由から被災状況の迅速な把握が不十分であった為に、自衛隊などの救援組織の構築に時間を要し、結果的に投入戦力も二段・三段の後手後手対応だったのは何故か?米軍の救援体制の構築と投入のほうが遥かに迅速だった筈だが。
? 被災地の瓦礫の除去に如何なる時間を費やしているのか、不思議でならない。大型ブルドーザーや必要機材は民間からの協力でも充分に体制作りは可能であったはずなのに。百歩譲って、焼却炉等、処理施設の不十分さがその理由というなら、現地近くの山間地にでも当該施設を仮にでも迅速に設置することは考えられなかったのか?現在は、その一部を東京都の処理施設に運び込んでいると言うが、処理量が如何程のものか考えられているのか?
? 義援金の配布が未だに完全実施されないのは何故か?被災者の全容把握に時間が掛かってとの理由だが、平等主義もここまで来れば「陳腐」となる。先ずは、目の前にいる真に支援を必要としている方々に対して配布する事が重要でなかったのか?諸外国からも多くの義援金を賜った。如何に説明する積りだろうか。
まだまだ、多くの疑問・質問が提示されているが、重要な事は、その時わが国としては如何なる対応をしたのか、未だに、誰も検証しようとしていない事だ。諸外国の友人達の言を借りるならば、「危機管理対応」が政府として全くなっていないという事なのだろう。企業に強く求めている当該対応も、国としての『内部統制システム』の検証が必要なのかもしれない。現在、一部マスメディアで伝えられている大規模地震発生の可能性に関して、万一これが再度発生しても、先の震災と同様の事を繰り返そうと言うのだろうか?実に懲りない国でもある。神戸の震災は遠い昔の事と忘れてしまった結果が今回の事態発生に繋がっている。「スーパー堤防はスーパー無駄遣い」と言い切り、メディアが囃し立てた議員が居たやに記憶しているが、今後は如何なる発言をされるのだろうか?
そして、原子力発電所の事故発生後の対応に関してである。これは、質問されて、小生自身、考えなかった事実に愕然としたものである。読者諸兄姉は既にお気付きの点ばかりだろうか。そうであれば実に頼もしい。但し、今回は紙面の関係で、数ある疑問点の中から、現在でも今後の早急な対応が求められると考えられる「指摘」について、先ずは一つだけご紹介する事とする。既にお気付きであればご容赦願いたい。
海外からの指摘は、政府の要請で稼動を逸早く停止された浜岡原子力発電所の問題である。当該発電所の稼動停止問題の前提は、近い将来発生する可能性の高い中南海(?)大規模地震に対して、福島原発同様に危険性が高いと考えられる為という事が、先の首相の自らのTV会見での説明であったと記憶している。であれば、稼動を停止している浜岡原発には、当該原子炉で核燃料棒はそのままの状態で置かれているのではないかと言う事実である。しかも、その核燃料棒を安定させる為に使用されている冷却水の確保はどうなっているのか、が問題である。恐らく電源は、福島同様に海岸線近くに設置されており、大規模津波が到来したと仮定したら、何が生じるのか?代替電源の確保はされているか、しかも、津波に影響される事の無い高台か、近くに高地が無いとすれば、緊急工事で堅牢なタワーを構築して安全の確保がされているのか。小生が知る限り、多分そのままである。であれば、危険性は同様で、停止云々の前の話となるが。如何?
お陰様で、棲家は大した被害は無く、精々棚からガラス類が落ちて破損、また、低めの棚が倒れた(引き出しが滑り出た性で棚ごと倒壊)程度で、高めの書棚や食器棚更に液晶TV等は普段から地震対策用の備えをしていたお陰でビクともしなかったのには、正に不幸中の幸いと言うところかも知れない。日頃から「無駄となる事を祈りながら、リスク管理を実行せよ!」と吼えまくる小生だけに、地震等の災害対策は完全で、日頃からの備蓄が効き、水や乾電池、食料などの生活必需品の全ては、慌てて対応する必要は全く無く、買い溜めに奔放する輩達には正直暗澹たる思いでいた。
読者諸兄姉も、日頃からの備えが必要だと言う事を、再度認識し、状況が落ち着いた段階で次の災害発生に備えて万端準備をしておくように提言したい。但し、必要備品を買い溜めるのではなく、使用しながら結果として「備蓄」となる対応をして欲しい。例えば、水であれば、2リッターペットボトル半ダースを二セット用意し、普段はコーヒーや飲料水として使用しながら、一セット6本を消費したら一箱追加する、つまり、最大12本、最低6本の水の備蓄は常に存在することなり、日常生活の負担にもならない対応である。この点ご理解戴けるだろうか。備蓄と言うと何処に仕舞おうか悩む事になり、また、一度買い込みをすると安心し、いざ必要になった段階では古くなって使用不能になっている例を見聞きする事が多い。缶詰類やインスタント・ラーメン、スパゲティ等の食料も使用しながら結果的に備蓄となる方法で備えて欲しい。最も効率的な方法は、例えば、キャンプなどの野外運動を子供達と一緒に行い、その時に備蓄食料を使用して、また新しい備蓄に切り替える方法である。こうすれば負担にならないし、子供達にとっても野外での生活はいざと言うときのサバイバル生活の実践以外のなにものでも無く、一挙両得になる。屋内でのテレビ・ゲーム等に明け暮れるよりもはるかに健康的でもある。今からでも遅くは無い、特にキャンピング道具(テントや照明器具、バーナー等の調理器具、寝袋や毛布等)は最適な災害対応の為の道具となり得る物であり、この際に見直しては如何だろうか。尤も、そうした活動が実際に役立つ事の無いように心から祈りながらやるのは当然の事だ。当然の事だが、そうした普段からの備えは、自らが災害に巻き込まれない限り、今回のような被災地への緊急支援物資として即座に提供する事が出来る事となり、全く無駄になる事は無い。
ところで、表題の件、この状況で一体何の事かと思われるかもしれないが、実は、昨今の東京電力(株)の存続等に関する様々な憶測報道等に関してである。丁度一年強前になるが、同様の事が日本航空(株)に関して生じた。その時も、敢えて弊ブログ欄(第18回)で苦言を呈した事を読者諸兄姉は覚えておいでだろうか。いま又、同様の事が政権政党を中心に実に勝手な発言等が勝手に飛び出しており、資本市場は混乱の真っ只中に置かれていると言っても過言ではなかろう。「風説の流布」と言っては申し訳ないが、発行会社である東京電力社から正式の発表も何も無いままに、国有化であるとか、銀行の緊急支援策とか、様々なニュースが飛び交っている。
当然に、同社が提供する電力は関東近隣の最大・最重要の社会的インフラであり、その存亡に関しては、三千万人以上の住民の生活と数多の企業の活動の基本的生存が掛かっていると言っても間違い無いものである。一方で、同社の株式は市場に上場されており、毎日売買の対象とされている。正確な情報の無いままに放置され、憶測と、「流言蜚語」に近い情報で多くの投資家が大混乱状況となっている事を政権政府は承知しているのだろうか。尤も、その話を出しているのが当事者だから始末に終えないが。先の日本航空社の場合と同様に、日本全国には実に多くの同社株主が存在している。配当目的での長期投資として株主になっている老齢の方々も多いと聞く。勿論、海外の投資家も数多い。小生の元には、「どうなっているのか?これで『資本市場』と言えるのか?当局も市場開設者も何の対応もしようとしない。JALの時と同じで、再度あの過ちを繰り返そうと言うのか?情報開示があれほど重要と言われているのに、貴国の市場に対する信頼性は今や崩壊しそうになってきているぞ!」との海外の友人諸氏からの質問か、苦言か、数多くのメールが送られてきており、その返事を書くのも儘ならないのが実態だ。
原子力発電所の事故関係の情報や放射線汚染の情報に関しても満足な対応をしていないと海外政府関係筋からも大きな批判を受けている現政権だけに、資本市場の事など関与しないと考えているのかもしれないが、「公正性」と「透明性」の確保は謂わば市場の生命線でもある。資本市場に対する信頼性が崩壊すれば、資本主義を経済の根幹とする我が国の存亡的危機にも繋がる重要な問題となる。大震災や放射能汚染問題等国家の危機的状況であるからこそして、より一層の市場機能の発揮が求められている事は疑いも無い事実であり、今後の我が国経済の発展、全国的に拡大をしつつある直接・間接の被災地の迅速な復興に関しても、市場の果たす役割は益々重要となってきている。そうした中でのこの対応については理解に苦しむどころか、日本航空のケースと一緒で、政府は市場機能を全く理解していないとしか言いようが無い。
当事者である東京電力社が、先ずは情報公開すべきだろうが、この問題に関しては、JALの場合と同様、既に「当事者能力」を喪失しているのかもしれない。もしそうであれば、遅きに失した感は否めないが、特に、多くの個人投資家に当該事実に関する注意を改めて喚起すべく、市場サイドで何らかの手を打つべき時期に来ているのではないだろうか。これ以上の状態放置は市場機能の喪失に繋がりかねない。
本件に関して、先日、或る市場関係者等と意見交換をしていたら、「我が女房が既に同様の指摘をし始めています。『JALの時と同じ間違いを又繰り返している。何らかの注意喚起をすべき。』と。」との言。心配すべき状況は何れ生じるかもしれない。情報公開が現時点で不可能なら不可能で、その事を公表すべきであり、決して巷間の憶測や噂を放置すべきではない。市場機能の発揮が強く求められている。
先ず始めに、今般の「東北関東大震災」で犠牲となられた方々、被災された方々に衷心からお悔やみとお見舞いを申し上げたい。本当に大変な災害でしたが、それに対する支援や復興等の戦いはこれから。我が国全国民で、力を併せ相当な覚悟を持ってこの困難に望むべきであり、今更読者諸兄姉にこうした事を改めて申し上げる必要もあるまい。希望を持って前に進むのみである。
また、今回の大災害に対する政権政府の対応の遅さ等に、お定まりの「批判」を展開しても何も解決しない。御願いだから、相当の迅速さで災害地・避難地域への物的・精神的支援は勿論、原子力発電所の未曾有の事故収束等に対する、考えられるあらゆる各種対応に邁進して欲しいと望むだけである。当然に、政権政党のみならず、各野党に置かれても、「我が国全体の速やかな復興」に向けて、可能な限りの政治的協力を惜しまない、と言うより、更なる積極的な政策等への参加に向けて努力を傾けて戴きたいと心から望んでいるし、これまでの真摯なご努力にも感謝している。
小生は占いだとか暦・干支等は余り信じないと言うよりは、殆ど興味無い輩の一人であり、これまでにも「方位」だとか「吉凶」だとかは、仮に聞いたとしても、これを完全に無視してきた。しかし、今回のこの大災害を目の当たりにして、本年始めにお会いした、小生の心の師のお一人であり、親しく御付き合いさせて頂いている高野山真言宗伝燈大阿闍梨大僧正であられる方が仰っていた今年の干支に因む話を思い出し、思わず震え上がってしまった。
この様な事態であるがゆえに、飽く迄も参考までだが、同師のお話を可能な限り思い出しながら、今年の干支である『辛卯(かのと・う)』とは如何なる年回りであるのかについて若干の説明を行い、今後の対応を万全のものにして行きたい。
読者諸兄姉は若干の知識を持っていると思うが、「干支」とは「十干」と「十二支」の組み合わせからなり、必ず六十年(10×12)に一度訪れてくるもの。今年は「卯」=ウサギ年だが、それは十二支でのみの言い方で、十干では「辛(かのと)」の年に当たり、併せて「辛卯」と表現する事が正確だとされる。
「辛」は、その字から「辛い・苦しい・耐え難い・惨い」と言う意味があり、易学(?)的には、上に向って求め冒す、つまり、今まで下に伏在していた活動エネルギーが様々な矛盾、抑圧を排除して上に発現する事を現すものであるとか。更に、「辛」そのものに「矛盾・闘争・犠牲」を含み、予期せぬ「大不祥事・大事故」や「大災害」が襲ってくる年回りとか。インターネットで調べると、後漢の書である「白虎通」で、「辛は殺傷の意を含む」と記されているとか。更に、「辛」は罪人や奴隷の額に刺青をするときに用いる先の尖った針のようなものを意味する語源「尖(とがる・しん)」から来ており、持久力・慎重・猜疑心・卑屈・高貴の気に乏しい等の意味があるそうだ。また、「辛」=「新(辛=新−木−斤)」であり、草木が枯死し、それを土台に新しくなろうとする状態を表しているとか。
また、「卯」とは「茆(ぼう)」=茅・薄等の茂みを表し、万物が芽生え、繁茂していく様相を示しているとか。一方で、「史記」律書によると「茂(ぼう=しげる)」であり、「漢書」律歴志によると「冒(ぼう=おおう)」で、草木が地面を蔽うようになった状態を表しているとか。「卯」=ウサギは、後に人民に覚えやすくする為に動物の兎が割り当てられただけで、フランスやチベットの一部、ベトナムでは「猫」が割り当てられているそうである。
以上、総括すると、「辛卯」の年は、勇気を持って更新する事を断固として実施して行かなければ、必ず殺傷を含む、からい目・つらい目に遭う可能性のある年回りだとか。換言すれば、如何なる事態が現出しても不思議ではなく、歴史的にも、天変地異の異常や自然災害をはじめ、思いもかけない出来事が起き易い年とされているとか。我が国が近隣の国から痛みや苦しみを受ける可能性もあるとか。
つまり、「辛卯」の年には、常に、如何なる平穏な時においても、「憂うべき時」を念頭に置き、最悪の事態が生じた場合に備えることが必要な時期であるとの事である。国家的な「危機管理」が求められているといっても過言ではなく、その意味で我が国は今回の国難に関して、若干と言うよりは、相当に意識が薄かったと言えよう。しかし、今からでも決して遅くは無いと信じている。今回の大災害に対する更なる万全な対応を急ぐ事は勿論であり、既に官民協力して様々な支援策が実施されて来ているが、それとは別に、別途、今回の災害を教訓に、危機管理策の再構築を急速に行う必要が大きく求められていると言える。そして当該対応の迅速な実施可能性を確認する為のシミュレーションを常に行う事である。聞くところによれば、某企業はこのシミュレーション=訓練の実施を行ったばかりのところで今回の災害発生に見舞われたが、社内全体が訓練通りに迅速な対応を行う事が出来たとの事であり、更に、その際の対応不足点に関しても分析し、実施に移したとの事。正しく「危機管理」であり、これ以上に重要な事項は現在のところ存在するまい。
また、今回の大災害のニュースは世界中で配信されていると聞いていたが、小生のPCには、地震発生翌日以降、海外の友人達からも実に多くの安否確認や励ましを伝えるメールが届けられている。誰しもが同じだと思うが、本当に有難い事であり、我々は独りではない、世界中の皆と思いを共有しているのだと言う事が今回改めて確信出来た。当然の事だが、国や人種、性別は異なっても思いは全く同じであり、人間である限り変わりは無い。メールには、安否を確認する問い掛けと共に、彼等の素晴しい「思い」が言葉として添えられている。参考までに紹介する事としたい。
Our thoughts and prayers go to all those affected.
(我々の思いと祈りが被災者の全てに届きますように!)
Our thoughts and sympathy are with you and your family at this dreadful time, and we hope that the coming of spring and of the world famous cherry blossoms throughout
(心からのお悔やみを申し上げると共に、直ぐに訪れる春と世界に名高い桜の花が日本を蔽い、全ての人々の心の幸せをもたらしてくれますように!)
Ich wuenshche mir, dass Gott Euch beshuetzt und besteht.
(神が共に在り、守っていただく事を望みます。)
You are all very much in our thoughts and prayers.
(我々の思いと祈りは全ての人々と共にあります!)
Unser Haus steht fuer Dich und Familie jederzeit offen, wenn Ihr einen Aufenthalt in Deutchland vorziehen wuerden, bis die Geschichte dort etwas uebersichtlicher wird.
(もし現状が回復するまでドイツに滞在したいのであれば、我が家は何時にても
君と家族の為にあります。)
皆で頑張らなくてはならない!「今恐れるべきは我々の心の内底に潜む恐怖心だ。全員で勇気を持って前に進もう!」と言う言葉ほど強く感じる事は無いと思う。
早いもので既に三月。雛祭りも過ぎてしまった。『♪梅は咲いたが♫桜❀は未だかいな♪』なんて、都都逸ではないけれど、文字通りの三寒四温(四寒三温?)を繰り返しながら、段々に本格的な春の到来を感じるようになってきた今日此の頃である。と言いつつも、昨日は朝方から、また雪混じりの雨になってきたようで、冬の戻りと言ったところかな。
この季節にお定まりなのが各校で行われる「入学試験」の実施である。勿論、就職に関しても、小生の時代もそうだったが、実に数十年前からの「慣行?」で、この時期に採用枠の確定に向けて各社一斉にスタートしている模様。既に入学校や入社内定を獲得した子供達も多いのではないだろうかと推測するが、昨年に引き続き本年も就職戦線だけは凄い事になっているようで、時の政権も何時までも政治的混迷を繰り返している暇は全く無く、早期に雇用の拡大策についての施策を打ち出してもらいたいものである。
ところで、先週末の大手各日刊紙の一面トップ記事に、ネットを使用してカンニングした疑いのある受験生の逮捕に関する記事が掲載されていた。確かにこれまで想像だにしなかった事件だけに社会における衝撃は大きく、ニュース性はあるかもしれない。言い過ぎかも知れないが、たかがカンニングである。昔から、カンニングは受験資格剥奪、合格取り消しの処分で終わった。新聞の一面を飾るような内容のあるニュースなのだろうか。ひょっとして、こんな事で「逮捕」に踏み切った警察当局を揶揄するような内容の記事で、態と一面トップに持ってきているのかと勘繰った小生がものの見事に裏切られた格好の記事だった。とは言え、小耳に挟んだ話では、大学当局に対して、『こんなことで「逮捕」させるなんて見当違いも甚だしい!』との抗議電話が数百本も掛かってきたとの事だが。
また、大相撲に纏わる様々な事件にしても、暴力団に絡む賭博行為や八百長行為そのものはそれこそ論外だとしても、それによって放送自粛だとか、開催中止まで取り沙汰する事だろうか。「国技」とはいえ、関取はプロとして給金を貰い、その「興行」は観客に対して高額な有料行為として開催されている。「国技」と言えば、他にも柔道然り、剣道然り、様々に存在すると小生は思う。その半面で、協会そのものが公共事業として非課税法人扱いされて居る事は大いに問題だが、それでも相撲観戦そのものを楽しみにしている国民は相当数に上るものと考えられる。遠隔地に住み、高額な観戦料を払わなくても、公共放送であるNHK中継が見られるという事で楽しみにしていた、特にお年寄り達にとっては今回の対応は失望感が大きいと考えられる。NHKは先の放送中止に関して、『公共放送の観点から自粛せざるを得ない』と述べたそうだが、報道された限りによると、数万本の自粛要請に関する抗議電話が殺到したのが一因であるともされているとか。しかし、考えてみるに、この相撲番組の視聴者は一千万人以上居るのではないだろうか。何処かのモンスター・ペアレント類似の狂乱的な抗議行為を世間の一般意見と錯覚して批判記事を書き連ね、事実、放送中止に追い込むメディア各社の、これもまた「金太郎飴(何処を切っても同じ顔が出てくる)」的報道姿勢に疑念を感じるのは独り小生だけだろうか。
また、本当に下らない事件だが、昨年初頭に生じた或女性俳優の覚醒剤使用事件に関する報道にしても、これを芸能面で取り上げ華々しく報道するならいざ知らず、これも確か大手日刊紙は「逮捕記事」を一面トップや社会面で取り上げたと記憶している。最近も類似の事件を大きく捉えているようだ。事件の性格から、他の日本人に対する覚醒剤使用の恐ろしさに関する警告として利用する為に「スケープゴート」的に捕らえて殊更大きく報道したという弁解もあるだろうが、その事件を大きく捉えて報道する事によって、隠されたか、小さな記事となってしまった国民生活に重要な出来事が存在しなかったかどうか、振り返れば結構あったように記憶している。
何やら、取り上げたのが芸能チックな内容の事件ばかりだったので、余り適切ではなかったかもしれないが、何れにせよ、こんな種類の記事が全国紙の一面トップを飾るとは、実に平和な日本である。他に、数千万人の読者に一番で伝えるべきニュースは山ほどあるというのに、一面トップの記事がこれであり、各誌とも一様に当該事件に関する解説や批判記事が並べられていた。一つの事件が生じると、多分にヒステリック過ぎる対応で、各メディアが一様に同じ記事を掲載・配信し始め、恰もそれが国民総意の興味であるかの如く扱い、一斉に事件に関係する人物に対する非難や批判を展開する傾向が、我が国では特に強いのではないかと感じている。つまり、世間で生じる様々な出来事に対して「多面性」のある情報発信が余り無く、常に「金太郎飴」状態で、大半の国民はこれを不思議とも何とも思わずに、矢張り一様に「そうだ!そうだ!」と囃し立てる癖が往々にしてあると言う点だ。
いま、我々に大事な事は、先にも一度弊ブログで記載したはずだが、如何にして「真実を見抜く目」を養うかだと思う。それに、様々な考えがあっても一向に舞わないと信じている。メディアの報道をそっくり鵜呑みにし、国民全てが常に一方方向を向いている事自体が頗る不自然な状況であり、何時如何なる時に一握りの集団の赴くままに世論が操作され、思わぬ方向へ暴走し始めるかもしれない危険性を孕んでいるといっても過言ではあるまい。常に考えて、世の中で生じている事実=真実を把握・理解し、これに的確に対処する能力を磨く事だ。
特に、多分にヒステリックとも言える「批判」行動が生じた際には、これに軽々に同調せず、一度立ち止まって事実は何かを問い詰める余裕を持って欲しいと願っている。我が国特有の何でもかんでもの「批判文化」「バッシング文化」はそろそろ脱却しなくては、先行きが危ぶまれる。現政権に対する様々な批判も多分にヒステリック的になりつつある。批判すべきは些細な行動ミスに対してではなく、真に我が国の将来を見据えた政策が実行されているかどうかの点であり、これこそが国民一人一人が真剣に考えなくてはならない最大のテーマでもある。
最近漸く報道が活発になってきたガソリン価格の高騰は、多分に円高の影響でこの程度で済んでいる事を気が付いているだろうか。小麦粉を始めとする各種食料品の高騰にしても然りである。地球を取り巻く自然環境の大きな変化による不作等も大きな原因の一つだが、それにも増して大きいのは中国やインドの食糧消費量の暴騰である。食料自給率の極端に低い我が国の国民は、如何に代金を支払おうとも、彼の国々の力には及ばず、食料調達が窮乏し、近い内に「飢餓」に追い込まれるかもしれない。それよりも、これらの状況の変化でハイパー・インフレが訪れるかもしれない。雇用が確保されず、給与所得は低減される中でのこの事態の発生は、国民生活そのものを困窮させる可能性が高い問題ともなる。冗談の話では決して無い。
些細な事で批判を狂乱的に展開している暇は全く無い。真実は何かを国民一人一人が的確に捉えることが現在最も求められている。そして自らに出来る事は何かを考え行動に移す事である。他人が何かやってくれる事を期待するのではなく、自らが行動を起す事が重要だ。一億「評論家」「批判家」では何も解決しない。ひょっとすると「崩壊の足音」が直ぐ近くまで聞こえ始めているかもしれない。
]]>読者諸兄姉は良くご存知ではないかもしれないが、小生は、上手く説明出来ないが、簡単に言うと「三つの顔」を持っている。一つは、このブログが設置されているホームページでも明らかなように、(株)ENアソシエイ ツの代表取締役として、顧問先企業等の経営上のサステナビリティやインテグリティ等の確保の為の相談に応じたり、求められれば各種の講演会、セミナー、研修会等の講師として活動したりする「顔」である。またもう一つは、三菱商事(株)やオムロン(株)等数社の社外独立役員として、それらの会社の全てのステークホルダーの為に誠実な経営遂行をサポートする役目を担う「顔」である。そして、更にもう一つの顔が、週に一度だけではあるが、早稲田大学大学院商学学術院において、前期には「ベンチャー企業経営と『公器』への途」、及び後期には「上場制度に関する実務的検証と国民経済的観点からの考察―社会的存在意義に関する研究を中心に」と言うテーマで授業を受け持つ客員教授としての「顔」を持っている。最後のこの顔での生活において、小生としては以外でもあり、恥ずかしい事だが、偶に涙の出るほど感激する経験をさせてくれる場合が多く、それだけに人一倍想い入れも強いものがある。
例えば、客員教授としての最初の学期の終了時に、自分としては「やっと終わったか!生徒たちは授業に満足してくれたかな?」との感想を噛締めていた矢先に、確か小生よりも年齢的に先輩でもある生徒の一人が、突然立ち上がって確か次のような発言をしたのが最初の感激であった。曰く『先生、長い間の授業、有難う御座いました。我々生徒達皆で、勝手に長友塾を結成する事としました。授業が終わっても先生と塾生の皆で偶に集まり、飲みながら話しながら長いお付き合いをしたいのですが。どうか宜しくお願いします。』と。全く、感激以外の何ものでもない。
小生としては、ただただ「有難う!」と言う以外に言葉は見付からなかった。その後は、現在に至るまで、偶に可能な限りの人数が集まり、早稲田や、小生の事務所のある丸の内近辺の居酒屋で「長友塾」会が行われており、この4月末頃には日光鬼怒川温泉郷での合宿まで計画されている。皆既に忙しい社会人だというのにである。感激!である。
こうした話を先輩でもある大学院の某教授にお伝えすると、『先生、嵌まって来ましたね!(悪い意味での言葉の使い方ではなく)そうでしょう、そうでしょう、だから辞められませんよ!』との言。小生のような正式な先生でもない人間が、烏滸がましい事この上ないが、生徒達からの期待に、精一杯、心から応える為にも、間違っても手抜きするが如き授業は絶対に出来ないと、常に誓いを新たにしているところである。
先日の事だ。今年度後期の最後の授業を、一度だけスケジュールの都合上休講にしてしまったお詫びの気持ちも込めて、都内某所の廉価な寿司屋兼居酒屋に生徒達を可能な限り集めて、「授業」?「飲み会」?をやらしてもらった。(皆!安く済んだから大丈夫だよ。心配しないで良いよ!)三時間近くもワイワイ、ガヤガヤ騒いだだろうか。閉会を宣言しようと思った瞬間に生徒の一人が立ち上がって、『先生、楽しい授業、有難う御座いました。これまで教わった事を忘れずに頑張ります。これは皆の気持ちです!』と言いながら花束を取り出してきた。深紅のダリアや薔薇が沢山入っている立派な花束である。想像だにしなかった出来事だけに、またまた感激で一杯。思わず涙が出そうになり、堪えるに一苦労した。自宅に帰って女房殿に報告すると、『本当に良かったわね!だから遣り甲斐があるって常に私は言っているでしょう!』との言。我が事のように一緒に喜んでくれた。(『単純なんだね!』との批判は幾らでも受ける。本当なのだから。)そこで、弊ブログを利用して、生徒の皆に再度「贈る言葉」を届ける事とする。読んでくれるかな?
生徒達の内の大半は、これから院を卒業して実社会に再び出かけていく事になるが、先日の夜にも話をしたように、「信実を見る目」を常に磨きながら仕事に精進して欲しい。間違っても、「今日は昨日やった事をやれば良い。明日は今日した事をやるんだよ。」では駄目だ。常に学徒であれ!お互いに信頼し合える友人を多く作れ。一人一人の力はどんなに小さくとも、多くの友人の力が集まれば如何なる困難もきっと乗り越えられる。10人の真の友人を持てば、その友人達も10人の友人を持っている。つまり100人、1000人のブレーンを持つ事に繋がる。友達の友達は、本来の意味で皆友達だとの考えは本当に正しい。自らも常にそうした考えで全てに対応すべし。自らが誠実に友人に対応すれば、友人も必ず誠実に対応する。そこには損得も何も無い、真の意味での信頼関係が存在する世界に繋がる。今最も求められているのは、そうした人間関係の構築だと、小生は心底そう思っている。
郷里の銀行へ帰るA君。愛する妻子と離れ、東京で独り暮らした二年間は辛かっただろうが、本当に良く頑張った。これからは郷里の産業の活性化に向けて、力を尽くして欲しい。郷里で集めた預金は郷里の企業に優先して提供し、郷里の雇用の確保に繋げて欲しい。郷里に仕事が沢山あれば、沢山の家庭が子供達を態々都会に就職させなくて良い。郷里で就職し、結婚し、子供を育てる、それを可能にする為には郷里の産業の活性化と雇用の拡大だ。今後も今までと同様に是非頑張って欲しい。
京都の精密機器メーカーの営業職として赴任するB君。是非お客さんの声(Voice)ではなく、呟き(Whisper)を聞ける営業職になって欲しい。技術系と強固な連携を保ち、お客さんのニーズに合ったサービスの提供に努めて欲しい。既存の価値観を創造的に破壊し、新しい価値観の創造に向けて努力せよ。ニーズの存在するところ、イノベーションの進展が存在する。社会的存在価値の向上無くして企業価値の向上は在り得ないと信じて頑張れ。
資本市場に携わる仕事に突撃するCさん。上場の何たるか、企業が如何にあるべきかを充分に学んだ筈。市場の活性化無くして我が国経済の活性化は在り得ない。沢山の企業を育て、大きくする事によって雇用の確保と国民生活の安寧・向上は図られる。誠実な気持ちで本来在るべき市場の構築に努力せよ。一人の力は小さくても、真剣な努力を続ければ途は自ずと拓ける。叔父さん感覚的には早く良い女房・ママになって欲しいと言う気が一寸はあるけど。(御免!)
近い将来、政治の世界に打って出ようとしているD君。国民生活の安寧と更なる向上の為に力を尽くせ。徒党を組んで私利・私欲に動くような職業政治家にだけはなるな。「利他」の心が一番大事という事は企業ではなく、本来は人の世界で最も求められるもの。米国のオバマ大統領は40歳台前半で現職に付いた。知っての通り明治維新も30歳代の青年達が実現させた。若い宰相が我が国にもそろそろ出現しても良い頃だ。真の改革は君たちの手に委ねられている。小生も応援しているぞ!
これから就職戦線に出撃しようとしているE君。自らが生きて行くこの人間社会で自分は真に何をしたいか、再度真摯に考えてみよう。君には、他の皆と同じく、当然の事ながら無限の可能性が存在する。先にも述べたが、「真実を見抜く目」を持って社会を見つめよう。常に学徒たれ。
更に、「望めよ、さらば与えられん」の精神を忘れるな。自ら立てた目標をしっかりと見つめ、その具現化に努力を続ければ必ず望みは適う。
御免、君たち全員に、それも一人一人にメッセージを届けたかったが、長くなってしまった。頑張れみんな!力不足だったかもしれないが、小生の持てる全てを君たちに伝えたと思っている。これからは、君達が自らの篤い思いで社会に伝えて欲しい。小生が何時も授業で言っていた言葉を再度伝えて君達への「贈る言葉」にしたい。
「人生自古誰無死 留取丹心照汗青」
特に「丹心」を忘れないで頑張って欲しい。明日は君達の為にこそあると信じている。
]]>表題の言葉は、小生が言っている言葉では当然に無く、オーストリアの経済学者ヨーゼフ・アーロイス・シュムペーター(Joseph Alois Schumpeter)が、今から実に約百年前の1912年、その著「経済発展の理論−企業者利潤・資本・信用・利子及び景気の循環に関する研究(Theorie der Wirtschaftlichen Entwicklung)」の中で述べている有名な言葉である。同著は、一般の解説によると、「成熟した資本主義経済の複雑なメカニズムを分析したもので、ケインズの『一般理論』と並ぶ古典的な位置を占めている。資本主義経済過程を循環―発展の二段階的に把握し、革新・新結合という経済内部の自発的な発展力に着眼して、信用・資本・利子・利潤・景気循環等の動感論的問題を統一的に解明するものである。」そうだ。
そういう難しい話は別として、小生が表題で取り上げた言葉は、同書に曰く、「最適配分や均衡よりも、イノベーションの新たな指標の導入、或は、新たな指標の組み合わせによって生じる不均衡こそが、既存の枠組みを創造的に破壊し、経済発展を促す新たな価値創造・知識創造に繋がる」という部分からのもの。実に一世紀前の時代に、現代にそのまま通用する経済原理を解析したシュンペーター博士の洞察力に驚愕するとともに、改めてこの言葉の意味するところを考察してみようという考えに至った訳である。
読者諸兄姉には釈迦に説法だが、因みに、「イノベーション」とは、経済活動において旧方式から飛躍して新方式を導入する事であり、日本語では一般に「技術革新」と約される事が多いが、イノベーションは技術分野に留まらず、謂わばあらゆる分野での「革新的手法の導入」と考えるべきであろう。その為、イノベーションに関する指標は次の5ポイントと言われる。?新しい製品の導入、?新しい生産手段(方法)の導入、?新しい市場(販売先)の発見、?新しい仕入先(原料・半製品)の獲得、及び?新しい組織の導入である。更に、こうしたイノベーションを生じさせる人々の事を「アントルプルヌア(Entrepreneur)」=「起業家」と称する事も良くご存知の筈。
ところで、『何を今更、シュンペーターだ!』とお叱りを受けるかもしれないし、突然に「面倒臭い話」とか「何やら小難しい話」そうで、『ブログの記載事項には合わないよ!』とクレームが生じるかもしれない事を充分に承知で話をし始めたのには、これまた充分に理由のある話なのである。先日或読者から、『先週のゴルフの話は面白かったです。コンプライアンスとゴルフ、あんな話が良いな!分かり易くて!』と言うクレームに近いお言葉を戴いた。小生としては、「そんなに小難しい事柄ばかり取り上げているかな?」と一寸は思うのだが、弊ブログは「言いたい放大」で、おまけにクレームや感想は一切受け付けない事を信条としており、「別に無理やり読者に媚びて読んでもらう事を希望して設置したのではないよー!」との開き直りもあるが故に、このまま書き進めさせていただく事とする。
「既存の概念を創造的に破壊し、新しい価値創造に進め」との言葉を改めて思い出したのは、一週間近く前の話だが、自宅で夜半に何気なくテレビを見ていたら、某パチンコ・チェーンの店長を取り上げたドキュメンタリー番組に出会った時の事だった。都下の新店舗の開店を手掛けた当該店長が、『如何なるアイデアを出しても、反対が無ければアイデアとは言えない。多くの反対を説得し、それを具現化して初めて意味のあるアイデアと言える。今回の試みも、社内では当初大きな反対にあった。後は、実際の成果に繋げるだけ。』との話を聞いての事である。当該新店舗では、多分と言うか、確実に業界初と思われる「全店禁煙」の取り扱いである。パチンコ店といえば、煙草の臭いが凄く、又、近隣に迷惑を掛けるほどの騒音で有名で、この対策に当該業界は頭を悩ませていた筈だが、来店するお客さん第一に考えたら、全店禁煙なんて想像の範囲外の事、謂わば「常識=既存の価値観」であった事だろう。まさか「全店禁煙」を掲げて営業する店舗が出現するとは、業界としても驚愕の事件に違いない。
小生もパチンコぐらいは稀にするし、当然(?)に喫煙家でもある。でも、全店禁煙のアイデアが出せたかと言うと「否」である。この試みに対するアンケート結果によると、喫煙家であっても反対派は凄く少数であったとか。当然に店内に特別の喫煙室が別途設けられ、愛煙家への配慮は欠かしていない。また、この試みによる来店客数の減少も生じていないと言うよりも、こうした試みを歓迎するパチンコ愛好家が押しかけて大賑わいとか。また、従業員が大箱の出玉(10KG以上の重量だとか)を運ぶ手間隙を軽減するべく、出玉は自動的にパチンコ台内の計量ケースに収納(?)されるよう、新機種も同時に導入したとか。これにより、玉自体の軽減が図られ、経営効率が向上したとか。また、従業員は、余分な力仕事が軽減された代わりに、自らが何を如何に対応すればお客さんに快適にパチンコ遊びを満喫してもらえるか、自らが考え行動するようになり、店舗のイメージ向上にも繋がったとか。正しく既存の価値観を創造的に破壊し、新しい価値創造に繋げる「アイデア」である。
良く言われることだが、ビジネスの成功は「アイデア」の勝負次第とされる。如何に大きな会社の従業員でも、「今日は昨日やった事をやれば良い。明日は今日した事をやれば良い」のでは、その会社の更なる発展は期待出来無い。常に改善を試みて行く事、常に時代・環境の変化を見据えて、その変化を先取りし、的確な対応を図るべく努力を続ける事、それによってこそ次なる発展に繋がる事は疑いない。弊ブログでも、進化論のダーウイン博士の言葉である「生き残る種族とは、力の強い種でも、賢明な種でもなく、変化に最も適応しうる種である」との言葉を引用した事は何度かある筈で、読者諸兄姉も御存知の通り。シュンペーター博士の言葉も、これと何ら変わるところはあるまい。
パチンコ店の話を持ち出して大変に恐縮だが、翻って我が国の現状は如何だろうか。既存の価値観に囚われてばかりでは経済も社会も閉塞してしまう。今こそ新しい価値観の創造に一体となって取り組むべき時なのに、本来の進むべき方向を示す事も無く、既存の価値観の保守に汲々としている向きを見るにつけ、我が国の先行きに大きな不安を感じているのは小生のみでは決してあるまい。リーマンショックから既に二年以上が経過した。世界は今やBRICS新興諸国を中心に動いて来ている。新しい価値創造に向けたアイデアが数多く出されている。未だに本格回復が果たせていないのは、世界広しと言えども恐らく我が国のみではなかろうか。デフレの解消も進んでいない、財政再建といえば「増税」しか思い起こせない、新興企業の育成を通じた雇用の確保どころか、それすらもシュリンクしているのが実情。何とかしなくては「日本」が滅びる!との感覚は、大袈裟過ぎて異常と言われるのだろうか。小生はそうは思えない。
でも、読者諸兄姉、今こそ頑張って、お互いに、「既存の価値観を創造的に破壊し、新しい価値創造」に向おう。未だ遅くない!未だ間に合う!ルーズベルト米大統領が80年以上前の大恐慌から自国を立ち直させるために国民に呼びかけた言葉がある。曰く「米国民よ、今我々が最も恐れなくてはならないのは、自らの心の奥底に潜む『恐怖心』だ。今こそ、恐怖心をかなぐり捨て、真の勇気を持って大きく前に出よう!」」と。
蛇足だが、パチンコ店の改革に関して、騒音対策に「イヤホーン」システムの導入というのは如何かな?「あの音が必要だよ!」との反対の声が多ければ、あの店長は又燃えるのだろうか? −本当に蛇足でした−
]]>読者諸兄姉は、既に十二分にご理解の事と思うが、コンプライアンスは、通常翻訳されている「法令遵守」と言う意味ではなく、それ以上に「全てのステークホルダーの期待に応える」と言う意味である。これまでにも同様の解説を試みた。どうしても定義を明確にしようとすれば、同語の語源や具体的使用に関して説明する必要があり、従って、厭でも「英語」に触れざるを得ない。
これまでも、各種の講演会や大学院の講義などで解説したり、引用したりする度に一種のもどかしさを感じるが仕方の無い事である。曰く、「コンプライアンスの語源は、『comply with another’s wish(他の人々の期待に応えること)』であるとか、コンプライアンスと言う言葉を使用した小説に、十六世紀のイギリスの作家ジョン・ミルトンが著わした『Paradise Lost(失楽園)』(この小説を引用するときは聴衆の眠気を覚ます為に、渡辺淳一氏の書いた小説『愛の流刑地』との関係を面白おかしく話す事が多い)があり、その一節に、愛人である彼女の事を表現した『All her wards and actions, mixed with love and sweet compliance(全ての彼女の言の葉や振る舞いは、私に対する愛と必死に期待に応えようとする気持ちに満ちていた)』という記載があるが、まさか「甘い『法令遵守の気持ち』が入り混じっているものであった」などとは翻訳し得えない、従って、語源的にも「ルールを守っていれば何をしてもいいというのではなく、それ以上に、他の人々の期待に応えるべく、誠実に行動する。」という意味であると解説してきた。この事は、読者諸兄姉は「耳に蛸(?)ならぬ烏賊(?)が出来た」程に良くご存知の事であろう。
ところで、それと表題とが如何なる関係にあるのか、それこそ良く理解出来ない話かもしれないが、実は大いに関係する話なのである。つまり、小生もゴルファー(凄くへタッピー!)であるが、プレーする度に、先行する組の我が儘に近いスロー・プレーや、フェアウエー若しくはグリーン上でのディポット(スイングの後や、落下球が造った穴)を整地していないとか、果ては、バンカー内でのプレーの整地を放置してある状況とかを見つけるにつけ、怒りよりも悲しくなってしまう昨今である。また、自分はこのクラブの会員だとか、自分で金を払って遊びに来ているのだからと言う感覚からか、同伴するキャディさん達をまるで召使いでもあるかのようにぞんざいな口調で命令したりする「輩」の存在には、如何に小生でも「反吐が出る」思いで、思わず注意する事も無いとは言えない。正しく、コンプライアンス意識を持ってプレーする事が求められているからこそ、俗にかどうか知らないが、所謂「紳士のスポーツ」とも言われているものの一つなのであろう。ルールを守っているから何をやっても良いとは、如何なるスポーツでもそうだが、特にゴルフは「紳士」「淑女」としての嗜みが求められていると言っても過言ではあるまい。
先日、小生が所属する某ゴルフクラブの会員親睦会に参加した折の話だ。プレー終了後に参加者全員で、ビール等を飲みながら先輩会員の方々や、理事会役員の方々から様々な参考になるお話を承った。特に、フェローシップ委員会委員長のお話こそが、会員であるが故にこその「コンプライアンス意識の更なる確立」というお話で、『プレーの規則を守るだけでなく、後続のプレーヤー(=会員・仲間)の為にも、例えばディポットやバンカーの整地はキャディさんの仕事ではなく、自分の責任であると言う意識で積極的に行うべし。他のプレーヤーが気持ちよく競技出来る様に努力をする事によって、当倶楽部の品格の向上に繋がり、会員権価値の向上にも繋がります。』との言、正しくその通りであり、小生も常に言っている経営の真髄としての意識となんら異なる事は無いと改めて確信した次第。
その後、求められて、小生は、彼のフェローシップ委員会委員長の言を引用しつつ、冒頭に述べたコンプライアンスの話をしながら、「先輩である同委員長のお話にあったとおり、ルールを遵守することは勿論、それ以上に他の競技者が気持ち良くプレー出来るよう、誠意努力しますので、どうかフェロー(仲間)としてのご指導を宜しくお願いします。」と発言すると、とんでもない暴言(少なくとも小生はそう感じた)が会員の一人から勝手に飛び出した。曰く、『横文字ばかりで何言ってんだかワカンネーヨ。後から解説したっけ、ワカンネーものはワカンネー!横文字喋るなヨー!(方言?)』との言。一瞬、場が静かになり、不愉快な気分になった会員諸氏や、司会の先輩会員も如何に対応しようか、若干の動揺も見られたようであった。完全に欠如した立派な発言である。さぞかし、発言者は気持ちの良い事であろう。「フェローシップ(仲間意識)なんか『糞食らえ(不適切な表現、心からお詫びします)』、会員権を自分で金払って入手したから、何やろうが自由だっぺ!文句言われる筋合いは無いべよ。かっこつけて横文字並べんじゃねーよ!」とでも言わんばかりで、その場に居合わせたほぼ全ての人々の気持ちを相当に悪くさせた、否、「不愉快な気持ち」にさせたもの。何の為に会員として「親睦会」に出てきたのか、先輩達の話を如何なる気持ちで聞いていたのか、子供でも理解できる話であるのに、自分では、心の中と言うよりも、耳の中にも何も残っていない、そうした事実を感じさせる発言であったと感じた。
コンプライアンス、具体的には、競技するに際しての心構えとは、自らは勿論、他の人々も気持ち良くさせる配慮なのである。この事は、常に小生が訴えているように、会社経営のみでなく、ゴルフは勿論、全ての凡そ人間として行動する際の最低限の常識であり、条件であると心すべきものと考える。自らの行動が恥ずかしいものであるかどうかは、常に人知を超えた存在としての「神」でも「仏」でも、「アッラー」でも、天に対して問い掛け、自ら判断を下すものである。法律で規定していないから「自由」であり、何をやっても良いと言う事にはならない。
因みに、横文字が嫌いだという御仁に対して、参考までに和語を考えてみた。例えば、パーは「規定打数」、ボギーは「規定打数超過一」、バーディは、余りやった事ないから頭に浮かばない。また、バンカーは「場内障害砂場」、ドライバーやスプーンなどは、打棒一番・三番、OBは「場外球」、パターは「平行打棒」、アイアンが思いつかないが、こんなものかな?もっと適切な訳があれば読者諸兄姉氏も考えてみては如何。実に馬鹿馬鹿しい事だ。今回の件で、ゴルフ雑誌を改めて買い求め、何故にパーと言うのかとか、ボギーやドライバーの意味を勉強した次第である。
小生の愛するゴルフ倶楽部は沢山あるが、そこでお会いする方々は須らく尊敬し敬愛申し上げる素晴しい方々であり、常に自らもこうでありたいと参考にさせていただく方々ばかりである。たかがゴルフ、されどゴルフ、常にコンプライアンスの意識を持ってプレーし続け、プレー後は他の方々は勿論、同時に自らも気持ち良く、清々しい心で帰宅出来るように努力したいものである。少なくとも、他の会員やプレーヤーの「期待」に背く事があってはならない。ゴルフにおいても重要なのはコンプライアンス意識なのである。
]]>新年、明けましておめでとう御座います。今年は、当ブログの読者諸兄姉に、『またサボっている。真面目に定期的にちゃんとブログの更新をしろ!』と叱責のお言葉を戴かないように、「張り切って頑張ろう!」とは思うのだけど、こう世相が最悪だと、怒り狂って、何を書き始めるか分からないので、その筋に目をつけられない様に充分に気をつけて更新に努力しようと思っています。何卒ご容赦を。
ところで、表題の件、新年早々に『何を今更!充分に理解しているよ!』との謗りを受けそうだが、この言葉の意味を本当に理解しているのか、様々な場面で疑問に思うことが実に多い為、再度、本来の意味を考察してみようという考えに至った訳で、まあ、読者諸兄姉におかれては、我慢して、小生と一緒に考察してみて欲しい。
「Governance」という言葉から直ぐに思い浮かぶのは「Corporate Governance」(往々にして『企業統治』と翻訳する事が多いが?)かな。これは、90年代末頃の企業不祥事の多発から、特に米国において、従来にも増して大きな声で議論され始めた言葉である。我が国でもこの当時から議論が沸き、翻訳にも苦労したと聞く。当時も全く議論されなかった訳ではないが、「景気の高揚時、株式市場の活況時等においては、ウォール街でも、この言葉を投げかけられた人々は、『コーポレートなんだって(Cooperate what?)』と意に介さない状況だった!」と米国大手経済紙ウォールストリートジャーナルはそのコラム欄で嘆いていた。当然に、企業の本来あるべき行動等=誠実な経営=に関して、これを確実にする為の取締役会・監査役会等の構成や業務執行に関する監督体制等の事を指す事は、今では周知の事である。でも、本当にそうだろうか?その真に意味するところを現在の企業経営者等は理解しているのだろうか?残念ながら、小生のこれまでの少ない経験でも、この事は甚だ「疑問」と言わざるを得ない。
「CSR(企業の社会的責任)」という言葉一つを取ってみても、これを「社会に対する慈善活動」と誤って理解し、挙句の果ては、『業績が昨今低迷し始めているので、CSR活動を収縮若しくは停止させては如何か?』との提案が、業務執行サイドで実際に語られる事があるやに聞く。幸いな事に、小生が社外役員等を務めている企業では有り得ない話だが、読者諸兄姉は聴いた事は無いだろうか?「企業の社会的責任」とは、当然の事ながら、「企業が存在するこの(人間)社会に対する責任」の事。つまりは、社会の全てに対し誠実に行動する事を指す。事業活動を行うに当たって、地球環境に対する配慮や、人間社会の継続性に関する配慮は勿論の事、企業を取り巻く株主、顧客、消費者、社員等々、全てのステークホルダーに対して誠実な企業経営を実践する事が企業に求められた「責任」であり、それを具現化する体制が「ガバナンス」である事を理解すべきなのだが。実際は、甚だ疑問なのが現状である。
コンプライアンス(Compliance)と言う言葉も誤って理解されている可能性がある。CSRと同義語と言って良い概念である事を理解しているだろうか?翻訳が「法令遵守」とされてしまったので、『当社は法令の遵守に対して、万全の体制を整備しています。』と誇らしげに語る経営陣は多いが、一寸考えれば、その本来の意味は容易に理解出来る筈である。人間社会において自らの存在を継続させる為の最低限の決まり事が「法令等」であれば、それを遵守するのは最低限の責務であり、誇れる事ではない。コンプライアンスとは、その語源でもある「comply with another’s wish」でも明白な様に、「企業を取り巻く全てに対して、その期待(誠実な経営)に応える事」である。法令すら遵守し得ないで、何故にこの社会に存在しうるのか?そんな事は当然として、企業活動の大前提として、人間を含み、この地球上に存在する全てに関して、その快適な生存等を維持する為の対応をするという事に尽きる。最近良く言われる「環境への配慮」や「人間社会への配慮」はここから生じると言う事である。法律で禁止されているからやらないのではなく、全てのステークホルダー等の期待に応える事にならないからやらない!と言うのが、コンプライアンスの真の意味であり、当然と言えば当然の事だが、畢竟、CSRもコンプライアンスも、考えれば「同義語」に過ぎない。そして、そうした行動を具現化するための体制が「ガバナンス」と言う事になる。
勿論、この「ガバナンス体制」は、企業にすれば「コーポレート・ガバナンス」と言う事になるが、国の政権に関しては「ガバメント・ガバナンス」とでも言う事になるだろうか。因みに、何処かの政治家が、『法律で決まっている訳ではないので、(例えば)辞任する必要は無い』とか発言された様だが、法律で定められていようがいまいが、人々の期待を損ねた行動をしたかどうかについて、自らの行動を「天に尋ね」た上で、対応を図るのが当然であり、そうした行動を確実にする為に「ガバメント・ガバナンス」が必要であり、何も企業サイドのみの問題ではない事を理解しての御発言とは考えられない。
因みに、大分前の話で、実際にあった事だが、或スーパーマーケットで火事があり、亡くなった方々がいた。その店舗にはスプリンクラーが設置されていなかった。法律では、当時、例えば1000?以上の店舗にはスプリンクラーの設置が義務付けられていたが、当該店舗は約950?で、経営者は「当社は、法律は守っていたのですが」と言ってしまった。これって、当然に現在では、危機管理意識も無ければ、顧客の安全性への配慮も全く欠けていた、ガバナンスとコンプライアンス意識の欠如と捉えられるのもだが、こうした意識の欠如は、未だに存在すると言っても過言ではあるまい。上述したように、コンプライアンス意識とは、「遵法」は当然の事、周囲の期待に応える意識を指すもので、「法律を守っているのだから文句は無いだろう!」では全く駄目で、翻れば、法律を守っていれば何をやっても良いのかと言う批判に晒されるのは必定である。
ガバナンスを確立し、CSRやコンプライアンス意識を充分に高めて、自らの行動に反映させる必要性は何か?当然に「(企業)価値の向上」である。企業であれば、こうした考えに基づき、実際に誠実な経営を実践すれば信用力が増す。当然に顧客の信用向上は売上高の向上と収益の拡大に繋がり、投資家の信頼は市場価値の向上と資本力の向上に繋がる。従業員の労働意欲の向上により、効率的な経営の実践も更に向上する。建前だけのCSRやコンプライアンス対応では何の意味も持たない。実践し、継続する事に重要性が存在する。往々にして、「対応策」の策定で安心してしまいがちだが、重要な事は対応策を実際に正確に動かす事が重要であり、これ以下でも以上でもない。特に「内部統制」制度の整備に苦心した企業群は、整備が終了してほっとしているのでは全く駄目で、実際に動かすこれからの実践次第に掛かっていると言える。また、対応策の策定終了の段階で、状況の変化に拠り、既に陳腐化していないかどうか、常に見直す作業が必然的に必要となる。変化を先取りし、的確な対応を行う事は、常にあらゆる面で求められている事を忘れてはならない。
近年、海外の投資家を中心に投資尺度に変化が見られると言う。つまり、これまでの財務数値一本での企業評価のみでなく、企業のサステナビリティ(維持継続性)の確保に重きを置いた、非財務情報に関する情報開示が活発化してきた事である。これに関連して、特に欧州を中心に「E/S/G」に関する開示の重要性が大きく注目され始めている。「E」とはEnvironment(環境)であり、「S」とはSociety(社会)であり、最後の「G」はGovernanceを指す。つまり、企業としてEとSに関して、如何なる対応、関与を行っているか、それを如何なるガバナンス体制で実践しているかに関する情報の提供である。読者諸兄姉は既にお気づきの事と思うが、当然にこの三つは並列ではなく、EとSへの対応を確実に実践するものがガバナンスであり、ガバナンス無くして実践は有り得ない。お題目を掲げているだけでは、この三要素に関する説明責任は到底果たせない事になる。小生が関与している某企業では、既にこの重要な三要素を経営の中枢に据え付けて、更なる企業価値の向上を目指そうと、自らの中期経営計画に正面から盛り込んでいる。曰く、「継続的な企業価値の向上を図る事とは、?経済価値の継続的向上、?環境価値の継続的向上、?社会的価値の継続的向上を図る」として、お題目ではなく、これを実際のものとするための各種具体策を講じて公表した。当然に、特に海外の反応は頗る大きいと聞く。こうした実際の活動が、企業のサステナビリティを確実なものとし、その価値の向上にも直接に繋がるものである事を、今こそ心の底から認識すべきである。
新年早々に「堅い話」になってしまったかもしれない。読者諸兄姉に対しては、心からお詫びする。経済の状況がこうであるからと言って嘆いてばかりいても何も始まらない。企業でも、各個人でも、自らの社会的存在意義向上の為に、自らのガバナンスを見詰め直し、未来に向かって大きく前進する事が求められている。勇気を出そう。頑張れ日本、頑張れ日本人!
]]>早いもので、今年も師走を迎えた。年末と言う訳でもないけれど、このところ外部での会合(要は「飲み会」)が多く、参加する度に、実に多くの方々から、『ブログの更新をサボっている!もう二ヶ月も書いていない!如何云う事なのだ。しっかりしろ!』とのお叱りを賜っている。ご指摘御ご尤もである。確かに、インド出張の話をブログで更新したのが10月初めだから、サボっていたとのご指摘は正しい。しかし、反論させていただけば、既に周知の如く、この2ヶ月間余に実に様々な「我が国の在り様」の根本に係わる事象が生じ、それに対する政府諸機関等の対応の不甲斐無さに、読者諸兄姉同様、「怒り骨髄」であり、このままでは『何を書き出すか判らないから、暫く大人しくしていなさい!でないと危ないわよ!』との、我が家の山ノ神の御命令で、暫く筆を置いていた次第。
さて、この数ヶ月で、外交面は置いとくとしても、スポーツ等の競争面では、面白いというか、感慨深げな出来事が多かったと感じている。相撲の世界では、白鳳との優勝決定戦で、惜敗した豊の島が「悔しい!」と涙する姿は見ていても、「頑張れ!次がある!」と応援したし、女子バレーボールでは、惜しくも優勝は逃したが、数十年ぶりのメダル獲得に関係者の涙する姿に感激した。惜しくも世界戦には出場出来なくなったが、『今後の戦いに努力する!』と強く誓っていたフィギアー・スケートの浅田選手の笑顔(?)。昨日も、ゴルフの世界では、今期最終戦での「年間賞金王」獲得を掛けた熾烈な戦いが行われ、藤田選手が優勝し、金選手が王座を獲得した。惜しくも敗れはしたが、我が山の神が愛して止まない石川遼選手の「全力を尽くした!」との言に、これもまた感激と言うか、爽やかさを感じるものだった。
スポーツだけでなく、如何なる世界であれ、如何なる場面であれ、目標を持って努力する者は、「勝つ!」ために努力している。決して「一番でなくても良い」と考えている者は居ない。仮に、「一番」と言う言葉が不適当ならば、「合格する為」に、「成功する為」に、「勝利する為」に、「何かを勝ち取る為」に、常に努力を続けていると言っても過言ではあるまい。否、その目標が存在するが故に、努力する力が湧いて来るのだ。人間は「目標」無しに、無目的に行動する事は出来ないはずだと考える。「そんな事無い。毎日、唯漫然と生きている!」と反論する輩も居るかもしれないが、それは嘘だ。「生きるための努力」が存在しているではないかと、反論したくなる。
どうして、今回、言わずもがなの、こうした当たり前の事を改めて書き始めたかと言うと、何処かの大臣が、政府の「事業仕訳」作業の席上で、『一番でなくてはいけないのですか?』と質問した事を、今更ながらに論う為にではなく、小生自身、様々な場面で実感し、我が国国民に現在最も欠けている事はこれではないかと考えさせられた経験が、先のインド訪問の際にあったからである。それが、表題にある「Learning for winning」の標語である。
インドはバンガロール市にある某IT企業を訪問した時の事である。同社の研修センター(社員・地元学生・海外留学生用)を見学させてもらった際に、教室の黒板の上に掛けてあったスローガンがそれである。少なからざる衝撃を受けたのは一人小生だけだっただろうか?「勝つために学べ!」とは。インドは、急速な発展を遂げているからと言っても、これからが勝負の時である。国内のインフラ整備は、国民生活の向上の為に、交通網の整備、水道事業整備、電気通信網の整備等を始め、やるべき事は山積している。発展しているからと言っても、現状は、小生自身が肌で感じた限り、問題解決は全くこれからの大きな課題であり、全ては「始まりが終わった程度」との感が強い。これらの課題を一歩一歩、確実に遂行するためには、通常の努力では儘ならない。10数億の国民全てが、不退転の決意で努力をする事で、漸く達成されるものであると信じる。その為の、特に、学ぶ研修生達に対する力強いスローガンであると感じた。この標語の元での頑張りが、これからのインドを真に変革させていく原動力になるのだろう。10数年前に始めて中国本土を訪問した時に感じた、ある種の高揚感を当該研修センターの標語に強く感じた次第である。
翻って、我が国は如何か?長年に及ぶ「ゆとり教育」のお陰(?)で、全ては「平等」が善しとされてきた。例えば、小学校の運動会でも、かけっこは同タイムに近い子だけで走らされ、皆「一等賞」とか。モンスター・ペアレンツの影響か、学芸会での主役は全員。従って、大勢の桃太郎が舞台を走り回っている状況とか。π=3を基本として勉強を進めてきたお陰か、我が国有数の某大学の応用物理学科の合格生で、真実かどうか定かではないが、満足に微積分の計算が出来ない者もいるという、信じられない状況だと嘆く教授の話も聞いている。「ゆとり」教育とは、「心のゆとり」を持たせる為の教育であり、授業時間を削って遊ばせ、π=3で教育するものではなかったはず。全てが平等とは、「競争条件について平等であるべきであり、勝敗に関して平等であるはずが無い」という事を、マスメディアを含めて反省すべきだが、未だに自己批判も無く、何時の間にやら、全てがうやむやのままに元に戻りつつあると言う。
海外に目を転じると、留学する若者が極端に減少しているとか。小生が例年招聘される会議が開催される英国のケンブリッジ大学や米国エール大学で感じた事は、留学生の殆どが中国か韓国の学生達。日本人学生に会うのは稀有で、漸く現れても、女学生数名のみ(失礼!男尊女卑の感じで言っている訳ではない)。男子学生に会うのは殆ど無い。『海外に住むのはリスクがある。国内留学なら大丈夫。』とかで、小生が授業する早稲田大学大学院でも、企業派遣の学生が多くいるが、海外留学に関して聞いてみても余り反応が無い。本当に残念な事である。
リーマンショックから既に2年以上経過した。我が国経済は、世界でも孤高の低迷を続けている。いまこそ、将来を見据えた必死の努力が必要な時なのに、その力が一向に見えてこない。政治が悪いといっても、どうせ何もしてくれない。このままでは悪くなる一方。現政権は殆どの日本国民が自らの選挙権を行使して誕生したもの。国民が現状に対する責任を自ら負うべきものである事は疑いの無い事実である。そうであれば、今こそ、国民一人一人が、表題スローガンを胸に刻んで力一杯の努力をするべき時ではないのだろうか。
NHKの大河ドラマ「坂本竜馬」が終了した。『かっこよかったね!』ではなく、幕末において、日本の在るべき姿と将来を見据え、その具現化の為に、命を燃やして努力を続けた彼の「熱情」をこそ見習うべき時でもある。「Learning for winning」でも良いし、「Doing our best for winning」でも良い。「勝つ為に最善の努力をしよう!」が現在の我が国に最も欠けている事であると感じているのは、正に、小生一人だけなのだろうか。決してそんな事は無いと信じているのだが。
因みに、ずっと先に紹介した中国宋代の最後の宰相「文天祥」が書いた漢詩『過零丁洋』の最後の部分での表現で、「人生自古誰無死 留取丹心照汗青(人生、古より誰か死なからん、丹心を留め得て汗青を照らさん=人として生まれ、これまで死を免れた者はいない。そうであるが故にこそ、常に丹心を心に留めて、自らの歴史に名を残せ)」と言う意味を表したものがある。「丹心」とは、忠誠心・誠実性・忍耐と言う意味もあるが、最も強い意味の一つが「熱情」という意味である。特に、若い読者諸兄姉にこの言葉を捧げたい。「熱情」を忘れずに、勝つ為の努力を続けて欲しいと、齢還暦を過ぎた老年の筆者は心からそう願っている。勿論、老齢を馬鹿にするでない!小生だって「熱情」をもってこれからも努力する積り。生涯学徒であろうとする気持ちは誰にも負けない積りである。
]]>それにしても、往路も大変だったけど、復路はもっと大変で、齢還暦を過ぎた小生としては、つくづく体力の衰えを感じた今回の海外出張でした。何が大変かって? 帰国の為の飛行に費やした体力は想像以上で、他の御同僚の方々、特に還暦過ぎの方々は、小生同様に「本当にお疲れ様!」という感じがあると思っている。それもその筈、北部のデリーや西部のムンバイと異なり、ANAやJLのバンガロール市直行便が存在しない為に、小生が属する班はシンガポール経由となった為でもある。他班でバンコク経由も同様だったと思うが、帰国に際しては、先ずバンガロール空港発土曜日のPM11:30、シンガポール空港着日曜日のAM6:00(時差2時間半の為に頭の中はAM3:30)、更に乗継の成田便がAM9:30出発という予定。待ち時間が3時間半と言うのは比較的短い為に助かったが、欧州便や米国便と異なり、飛行時間が細切れの為に、睡眠による時差調整は殆ど不可能に近い。今になって考えるに、成田に到着した日曜日の夜半には、前夜から計算して都合丸36時間以上全く寝ていないのと同様の体の状態。そりゃあ、還暦過ぎた「おっさん」には相当に辛いフライト行程だったという事になる。今回の出張に出陣された方々、事務局の方々のご苦労も相当なものでしたが、小生を含め、老骨に鞭打って頑張った諸兄に心からのお労いを申し上げたい。本当にご苦労様でした。
ところで、読者諸兄姉には、『何故にインドへ?しかもバンガロールって?』という疑問が沸いているのでは。それも当然だろう。実は、某社のトップの強い意向で、近年急速なスピードで発展を続けるインド経済等を経営陣自らが直接に肌で感じ、今後のアジアを中心とした最重点課題であるグローバル戦略(各社とも最重点課題として活発な議論が行われていることも当然)を如何なる視点から捉えて構築していくかを考える糧にする為に、実施したもの。事実、その成果は十二分に挙げられたものと小生は強く感じた。更に、この機会を捉えて、滞在中に取締役会をも実施するという事で、これも十分な成果を挙げられた。と言うのも、正式の取締役会は、法規制(?全員日本人だから当然か!)の関係からも「日本語」で行われたが、その後の意見交換会では、出張してきた同社海外組の代表団と相互に全員が「英語」で全て行い、驚くべき事(御免なさい!)に、実にスムースで活発な議論が戦わされた。英語を会社の公用語になんてマスコミで騒がれている会社も二三あると聞き及ぶが、自然体で、全員が平然と英語にて議論している会社はあるんだよ!って大きな声で云いたくなるぐらいに素晴しい会議も実施された事は、小生として、今回の一大収穫の一つであったと真実感じている。
さて、インド共和国の近年における発展振りは実に目覚しいものがあり、その事は読者諸兄姉も充分にご存知あろう。小生の関係する某商社も、先頃発表した中期経営計画において、経営戦略上の最重要国を三カ国挙げたが、その中には当然にインド共和国が、中国・ブラジルと並んで表記されている程。名目GDP総額では既にロシアを凌駕、2015年―20年には中国と並んで世界最大規模に膨らむ事になるのではとの予測もある。また、現地訪問先企業で説明を受けた中には、従来の農業中心(60%強)の産業から、工業、IT、サービス産業への変換を続けており、GDP比での農業依存度は実に18%弱にまで下がっているとの事。また、人口の問題も脅威である。一人っ子政策を採ってきた中国では、年齢別人口ピラミッドに歪み(下辺が収縮している)が見え始めているが、インドは実に綺麗な正三角形に近い形をしており、労働生産力は鰻上りに近いと云われている。また、富裕層、中間富裕層の激増は国内消費動向に大きなインパクトを与えており、家電品や自動車はもとより、あらゆる消費財の購入にも積極的に動き始めているとの事。統計上の数値だが、2005年に1800万世帯強(8.86%)の中間富裕層以上の世帯数が、15年には6370万世帯、25年には1億3700万世帯に膨らむとも予測されている。聞く限りの話だが、こうした経済発展の動きを背景にした生活様式の大変革、都市部と地方農村等の格差の緊縮によって、従来ネガティブな要素の一つで、大きくは4階層、実際は300階層以上あるとされるカースト制が、急速とは云わないまでも崩れ始めている可能性があるとの事。全てが薔薇色であるとは決して云わないが、現地会社や工場などを見学させていただき、実体験として感じた事だが、インドの人々、特に働いている若者の向上心に溢れた態度には感銘を受けた。我が国の若者も負けてはいけない、自信を持ってもっと頑張るべきだとの感じを強くしたところである。
特に、今回訪問したバンガロール市は、インド共和国のシリコンバレーと呼ばれているIT産業の中心地であり、海外IT企業やインド企業の進出が著しい処とのこと。同市は標高920Mの高原の中にあり、四季を通じて過ごし易く、英国統治時代には大規模な駐留拠点が置かれていたとの事で、英国風の面影も若干残っている街並み。同市の発展状況に対応するために、インド政府や州政府は国家的なバックアップに乗り出し、サイエンスパークの整備やインド科学大学院大学の創設などを実施したとされている。また、市内には、四季を通じて爽やかな気候からか、数え切れない程の公園や庭園、湖、緑の街路樹が点在し、「ガーデンシティ」という名称が与えられているとか。正直言うと、或る事態が突発的に生じ、半ばホテルに缶詰状況になったため、市内は満足に見学することが出来なかった。残念、無念!
さて、その突発的事態とは? 実は、宗教裁判に近い判決が60年振りに突然下される事になったという事から、判決の行方次第では、国内において大暴動・騒動が起きるかも知れず、政府から真剣な注意勧告や、平静に対処するようにとの国民への呼び掛けが頻発され、半ば騒然とした状況の中で、バンガロール空港に降り立ったと言う訳。何でも、ヒンズー教とイスラム教寺院が複雑に建立されている土地(謂わばエルサレム的な場所)の所有権をめぐる裁判が、60年の歳月を経て、止せば良いのに、9月30日の夕刻に突然結審すると言う情報が流れ、インド全土がその行方次第では、両宗派間での一大抗争に巻き込まれる可能性が十二分にあるとか、その為に、外出は控えるようにとの要請で、更に政府は、当日を「ドライデー(禁酒日)」に指定、ホテルでも、本当に小生たちの喉は一日「ドライ」でした。結果は、心配した事も無く、裁判官も賢明で、土地を三分割し、両派が中間を共用する事でどうかと言う玉虫色の判決だっただけに、両派ともに冷静で、大方三ヶ月以内に両派が相互に控訴し、また60年程度掛けて裁判されるという決着で終了。お騒がせ様でした。更に更に、帰国日の10月2日はガンジー国父の誕生日、これも国法で「ドライデー」に指定されていた!実に、一年に二日しかないドライデーに、滞在中2日(一日は特別)も遭遇、本当に運の良い事!飛行機が無事に飛び立つまで、全員喉はドライ状態!残念!
]]>『生きてる?元気してる?』とのご質問にも、「本日、人間ドックの受診を敢行!無事、帰還しました!」とご報告できる状況です。また、ここのところ、ダイエットと言うわけでは無いけれど、体重調整が上手くいき、半年間で7Kgの減量に成功、ウエストもマイナス6cmと絶好調。その半面で、暫く振りに会った友人から、『大丈夫?どこか悪い処無い?』と聞かれ、一々「何故だよ?痩せたからか?」と聞き返すのも面倒になった昨今です。(体重調整の具体的方法を知りたい?希望が多ければ次回に教えてあげる!)
ところで、今年もまた、ケンブリッジ大学の古い友人達から、同大学ジーザスカレッジ主催の国際シンポジウムにスピーカーとして招聘され、先週無事に帰国しました。今年のシンポジウムの主テーマは「The New deal –ensuring integrity, stability and survival- promoting Active Steward-
ship- (「新施策―企業の誠実性・安定性及び存続性の確保の為に−活発な企業経営の推進」とでも訳しましょうか?)」であり、本年も、1週間の開催期間中に延べ90数カ国から、政・官・財・学界の関係者約1500人以上の参加者を得て実施されました。大学の大講堂での夕食会も、相変らず映画「ハリーポッター」の世界さながらで、ラテン語の聖書の朗読と女王陛下への乾杯から始まるもの、多分、数百年以上は同じ光景が続いているのだろうなと思えます。毎年の事ですが、読者諸兄姉には、当該シンポジウムでの小生の拙稿原稿をご希望の方々が多いので、今回のブログの手を抜く訳ではないのですが、以下に、英文原稿(正文)と抄訳を添付します。
興味無いとお考えの読者諸兄姉には、大変申し訳ありませんが、次回の弊ブログをお楽しみに!(『そんな事言って、また、サボるのだろ!』って?絶対に来週更新します。だって、来週末は『インド行け!インド出張だぞ!』って騒いでいる向きがあり、インドに拉致されます。A型肝炎の予防接種も打ちました!B型肝炎は「接触感染」のみと言うので、小生には関係無く、接種しませんでした。悪しからず!)
The New Deal – ensuring integrity, stability and survival
- Promoting Active Stewardship -
The 28th Cambridge International Symposium
on Economic Crime
7th September 2010
Mr. Eisuke NAGATOMO
President & CEO, EN associates Co., Ltd.
Visiting Professor,
First, let me express my deep gratitude to all of you here today and in particular to Professor Barry Rider, for giving me this opportunity to speak in front of you at this symposium. Also please allow me to express many thanks for all the staff members, not least among them Ms. Angela, for their hard work preparing for this symposium. It is a great pleasure to see all of you here once again, and to find you well, prosperous, and ageing gracefully.
The discussion theme today is “The New Deal – ensuring integrity, stability and survival – Promoting Active Stewardship.” I certainly believe this is to be a very timely and useful topic at this time, a topic that reflects what has been happening in the global economy. As many of the speakers before me have pointed out, almost two years have passed since the unprecedented ground-shaking financial turmoil of 2008. While the best fiscal policies may be clear-cut for some jurisdictions within the BRICS economies, the path ahead for the developed countries of Europe, the US, and Japan, the road we will have to follow to restore sound fiscal conditions, remains uncertain. Alarmingly, we have even seen
How we can get the management people in enterprises to recognize anew the materiality of these issues? How can we get the stakeholders to confirm these corporate commitments? There are inherent questions in the philosophy of corporate management to be answered. A company must sincerely seek “its raison d'etre in society” and define what it should generate or produce to make its “raison d’etre recognizable to society.” These are questions to be perpetually reiterated and answered. But a company will only heed these questions if it sincerely considers what it creates for society. These are questions for management, but they are not to be investigated by a select group of elites within a company. Every member of a company is involved in management and should be aware of the fact. By recognizing this involvement, employees can take pride in their day-to-day businesses and enhance and improve the raison d’etre of their companies in society.
Meanwhile, when we consider the essence of corporate management, we should note that every company is exposed to risks and cannot return profit without taking the risks. Companies carry out their businesses in specialties, but their businesses will not always perform as expected. Management people may wish to identify their exposure to risks through timely and appropriate management processes and eliminate risks by attacking them at the source. What is integrity of management? It can be achieved by controlling various risks surrounding a company for the benefit of stakeholders and maximizing corporate values through the thorough implementation of “Enterprise Risk Management.” About a decade ago, a court in
Just after the court ruling, companies started to recognize the materiality of the internal control system in
Some improvements in the terms of corporate governance and information disclosure, mainly improvements by listed companies, have been seen in
First is the mandatory election of independent outside directors. Under the revised regulations introduced at the Tokyo Stock Exchange and all of the other stock exchanges in the country, a listed company is now required to select one independent outside director from among its directors or auditors and to register this director with the exchange. This is not a simple requirement for the registration of an outside director, but for the registration of an independent outside director. The definition of “independent” may differ from one jurisdiction to another. Japan will recognize any person as an independent director, as long as the person meets the following three criteria: (1) the person is not seconded by an entity having a material capital relationship with the company, (2) the person is not seconded by a material customer, supplier or vendor, and (3) the person has no close relationship with anyone in management. These requirements are a test to induce listed companies to appoint outside directors actively. As a first step, the appointment of at least one person has been set forth as the minimum condition. However, only a few companies have restricted themselves to the registration of only one independent officer. Many others have registered two or more independent outside directors with the exchange. The appointment of many outside directors does not always ensure corporate integrity. If we were to agree that such appointment would result in the corporate integrity, why did Lehman Shock occur? We should assess why the integrity was not achieved by such appointment. Even if we build a gorgeous system and mechanisms, it will be people who ultimately must apply and implement them with integrity. Without highly ethical people involved in management, no enhanced corporate values will be achieved. The definition of the “independence” may require further discussions.
The second point is the adoption of the requirement for respective disclosure of officers’ remunerations. However, this applies only to those whose remunerations exceed 100 million yen (USD 1.2 million, Sterling Pound 650,000). This issue has actively been discussed mainly in the
The issue facing us has to do with the information itself. What categories of information should be improved in order to further enhance the corporate information disclosures? There is always ongoing discussion on how information on governance or internal control should be provided. No matter how restrictive regulations are through the legal codes or voluntary rules set by the stock exchanges, it is difficult to achieve managerial integrity. Unless a management is aware of the significance and meaning of its company’s presence in society and is determined to continue striving to improve that awareness, the legal codes have no significance. I have stressed many times, and I may reiterate here again, that even if a superb box has been built, it takes a person to move itself. The design and configuration of the management system is truly an “intellectual property.” By promoting disclosure of information, we contribute to the conservation of assets as investors audit the information disclosed.
(抄訳)
最初に、我が友人であるバリー・ライダー教授や関係者の皆さんに、当シンポジウムに再度招待を戴いた事を心から感謝申し上げたい。また、当シンポジュウムの開催準備に努力したMs.アンジェラを始めとする事務局の皆さんに労いを申し上げたい。小生にとって、今年もまた、沢山の古い友人たちの変らない、いや、それ相応に年はお互いにとったが、元気な顔を拝見することは、無常の喜びであり、また、安心もし、懐かしくも思っている。
ところで、本年の当セッションの討議テーマである“The New deal – ensuring integrity, stability and survival – Promoting Active Stewardship”は、正しく時期に適ったものであると信じる。既に、このセッションでも、多くのスピーカーが指摘し、分析しているように、歴史的ともいえる未曾有の世界的経済混乱から既に二年余りが経過したにも拘らず、BRICS等の新興諸国は別として、未だに日米欧等の先進諸国の経済再建は全くと言って良いほど先行き見通しが覚束無い状況にある。それどころか、ギリシャを始めとして、金融制度どころか、国家財政の破綻可能性すら生じ始めている。正しく、由々しき状況にあるといっても過言ではない。ご存知の通り、国家財政の再建は“経済再建”無くしては有り得ず、雇用の確保と税収拡大のためには、各企業の活力向上が必要不可欠のものである。それを具現化させるものが、当セッションのテーマでもある企業経営の“Integrity”と“Stability”の確保であり、それによって経済の“Survival”が可能になると硬く信じている。
問題は、各企業の経営層に対してこれらの諸点の重要性について、如何なる方法で再認識をさせるか、また、それに対する各企業の取り組みを如何なる方法で全てのステークホルダーが確認し得るかに尽きる事になる。当然の事だが、企業経営の基本は、常に「自らの会社の社会的存在意義は何か?」「自らの会社は何をこの人間社会に生み出す事により存在意義があると認められているのか?」に関して、謙虚に自らに問い掛け、答えを反芻する事にあると考える。自らがこの人間社会に生み出している「創造物」を誠実に取り扱う努力を怠らない事によってのみ、この事が可能となる。この努力の源が「経営」であり、一握りの人間のみによって行われるものでは決して無い。言うなれば、各企業の社員全員が「経営」に携わっているのであり、一人一人のそうした自覚と認識が、自社の社会的存在意義を高揚させていると言う自負をもって毎日の業務遂行に当たることが重要な点である。
ところで、企業経営の本質について考えるに、如何なるビジネスにもリスクは存在し、リスク・テイク無しにはリターンは生じない。各企業は自らが得意とする分野でビジネスを展開するが、必ずしも想定通りには事が運ばない事が多い。経営者であれば、損失が顕在化する前に、自社のリスクの状況を適時適切に把握し、可能ならば損失の原因となり得る事象への対策を講じたいと希望するだろう。「誠実な経営」とは、全てのステークホルダーの為に、自社の現状を取り巻く様々なリスクを制御し、企業価値の最大化をもたらす行動をとる事、つまり、「リスク管理経営(Enterprise Risk Management)」の徹底によってこそ具現化されるものである。このリスク管理経営の重要性を説いた有名な判決が、十年以上前の日本において存在している。具体的には、当時の大和銀行の経営陣に対する株主代表訴訟に関する判決文だが、企業における内部統制システムの構築の必要性に関して述べられたもので、その後の会社法の改正にも繋がったものである。曰く、「健全な会社経営を行う為には、目的とする事業の種類、性質等に応じて生じる各種のリスク、例えば、信用リスク・市場リスク・流動性リスク・事務リスク・システムリスク等の状況を正確に把握し、適切に制御する事、即ちリスク管理が欠かせず、会社が営む事業の規模・特性に応じたリスク管理体制=内部統制システムを整備する事を要する。」と。
この判決の直後から、日本における内部統制システムの重要性の認識と、日本版SOX法とも呼ばれる開示関係法の改正が行われ、既に内部統制システム構築に掛かる経営者の「確認書」の提出義務は昨年度からスタートしている。現在、各公開企業は、?リスクに対応した内部統制の構築と運用、特にリスクの変化を敏感に察知して適時適切に対応、見直しを図る事、?違法な手段等による業績を評価せず、職務権限と責任の明確化により特定の人物に権限の集中・裁量の賦課を避け、相互牽制機能を維持させる、?円滑な社内情報伝達制度の構築と運用に努め、クライシス・マネジメントを欠かさない、?定期的又は企業環境・重要事象の発生等に即応して、リスクの識別と再評価を実施する、?独立した内部監査機能を設けて、モニタリングに努める、等の行動を活発化させ、リスク管理経営の重要性に関する認識を高めているところである。
今年に入ってから、日本における上場企業を中心とするガバナンスや情報開示面で若干の改革が行われたので、次の2点に関して報告する事にしたい。
第一は、「独立役員の選定」の義務化である。東京証券取引所を始め、全ての取引所が、上場企業に対して、取締役及び監査役の中から、一名以上の「独立役員」を届け出る旨を定めた規則改正を行った。単なる「社外役員」ではなく、「独立役員」の届出義務である。「独立性」の定義は、其々の国によって異なるが、我が国では、大きく次の三点に抵触しない人物を「独立役員」とした。つまり、?重要な資本関係を有する企業からの派遣役員で無い事、?重要な取引先の派遣役員で無い事、?経営層との姻戚関係を有していない事である。上場企業に対して外部役員の積極的導入を図らせる上での試金石として、先ずは「最低1名以上」としたが、実際に一名のみを登録した企業は僅かであり、大半が複数名を「独立役員」として届け出た結果となった。しかしながら、「社外役員」を多く選定したから、その結果当然に「Integrity」が確保されるものではない。もし百歩譲ってそうであったとしたならば、何故にリーマンショックが発生したのか疑問無しとしない。思うに、如何に立派な「箱」を構成しようとも、その箱自体を誠実に動かすのは畢竟「人」そのものであり、相当の倫理観を有する人物が経営に携わらない限り、企業価値の向上に繋がるはずが無い。また「独立性」の定義に関しても、更なる議論が必要かもしれない。
第二に、役員報酬の個別開示の導入である。但し、1億円(120万米ドル、65万ポンド)以上の報酬を受け取った役員に関してのみの開示である。この問題は、特に米国を中心に論議されており、高額の役員報酬は、それだけで企業収益の圧迫とリスク増加に繋がる可能性が高いとして、個別開示の必要性が主張されていた。我が国で、しかも、1億円以上の報酬に関してのみ開示対象にしたのか、その理由は定かではないが、実際に開示対象になったのは、大手企業の会長・社長等が中心で、その数も、確か100名を超える事は無かったかと思う。考えるに、今回の開示に関しては、マスコミの格好の興味本位の餌食になったのみであった。小生が独立役員を勤める日本の巨大商社である三菱商事では、トップ経営層の確か5人のみが開示対象とされたが、年間純利益数千億円を計上する企業のトップで、これだけしか報酬が無いというのも考えものであり、そのうちに欧米企業を中心にヘッドハンティングの対象とされるのではないかと、冗談ではあるが、逆に投資家が恐れる事態となったという話も聞く。こうした事は例外としても、高額役員報酬の開示と適正性に関しては更なる論議が必要と感じる。
企業情報の開示に関しては、常に課題が付きまとう。企業情報の開示を更に推進させるためには、如何なる情報を開示させるべきかと言う問題である。特に企業のガバナンスや内部統制に関する情報開示に関しては議論が集中する。如何なる法規制や市場開設者による自主規制が設けられたとしても、その事を持って企業の誠実な経営を完全に確保する事は困難である。経営自らが、自社の社会的存在意義に関して充分な認識を有していない限り、法規制等は無意味なものとなる。自分自身、当会議で何度も主張した事であり、今回も敢えて申し上げたい事は、如何に立派な箱を創っても、それを動かすのは畢竟人間そのものである。マネジメント・システムのデザインや形態は、正しく当該企業の「知的資産」に他ならない。こうした企業情報の開示を更に推進させる事により、投資家が開示情報の査定をしっかりと行う事に繋がり、また、それによって企業資産の保全にも資する事に繋がると信じている。
( 了 )
ところで、小生にとって、鳩山前首相の辞任直前の行動は如何なる弁明があろうとも、全く理解できない。スケジュール通りだからと、韓国に出向いたり、中国首相と会見したり、まあ、これは外交活動だから仕方ないとしても、何の為に宮崎に今頃のこのこと出掛けて行ったのか、馬鹿にするにも程がある。現地視察もせずに、県庁で会談したのみで、『出来る事は何でもやりますから』と県民に約束しておいて、その2日後に辞任表明とは、人を愚弄するのも好い加減に止めて欲しい。宮崎の畜産農家の方々を始め、関係する多くの人々がどれ程の苦労と苦渋、そして疲労を通り越した虚脱感さえ味わっている今日、普通の人間であればあのような行動はとてもとれない筈だが、挙句の果てに、「国民が聞く耳を持たなくなってしまった!」と暴言を吐いての辞任表明である。
・ ・・と、先月初旬にここまで書いて、その後の余りの政権政党のダッチロール状態(何を意味するか、読者諸兄姉は十二分にご存知の事。一々、指摘をする気にもなれない)に、怒りで頭が破裂しそうになったため、今日までブログの更新を中止していた。昨今、またまた、周りから『サボるな!間が開きすぎだ!さっさと更新しろ!待っている奴が多いのだから!』とお叱りの声が頻繁に聞こえるようになってきた。当方としては、「文句言われる筋合いは無い!自分で勝手に書いているのであって、読者諸兄姉に諂う積りは全く無い!」と、粋がってみるのだが、余りの煩さ、特に『健康でも害しているのでは?否、入院しているらしいよ?』までの風評が立つと、自分でも放置して置けなくなって来た。先週末に行われた参議院選挙で政権政党は、予想通りというか、何と言うか、メディアの表現を借りれば「惨敗」という結果になった。でも、こういう情勢だから、直接政局に関係の無い内容にしないと、近い将来、誰に思わぬ意地悪をされるか分からないから、素直に表題に関する話題を書きとめる事にしたい。
ところで、先日、口蹄疫被害に苦しむ我が郷里、高鍋町の役場に勤める若き後輩から以下のメールが送られてきた。つまりは、「本件はこれで終わったので無く、これからが復活に向けての本当の戦いが始まる!」との強い覚悟を表したもので、短い文章だが、小生は涙が出るのを止められなかった。このメール、本人に許可を得ていないが、名前を明示する訳でなく、内容も個人情報に関するものでもないので、是非紹介したいと思う。
「 いつもお世話になります。 また、口蹄疫発生に際しましては、多大なるご厚情を賜り、誠にありがとうございました。先月末をもって、ワクチン接種分も含めた全頭処分が終了し、ようやく町も落ち着きを取り戻しつつあります。
しかしながら、今回の影響は畜産業のみならず、商工業はじめ町の様々なところまで影響を及ぼしています。これから、如何にこの町を再建していくかが、私達に課せられた使命です。
今までは目の前の事に追われる力仕事でしたが、これからは頭と心を使った知恵比べです。今からが私達の本当の真価が問われる時です。
ひとりでも多くの町民の方の心に寄り添い、元気づけられるよう、日々精進していきたいと思います。今後ともご指導ご支援のほど、よろしくお願いいたします。 」
実は、このメールは、小生が関係するほぼ全ての企業に対して転送し、現在、例えばブリジストン社が開始した「宮崎頑張れキャンペーン」のような支援活動が可能かどうか検討して頂きたい旨、依頼する為の基本となるものでもある。口蹄疫病騒動の問題は、ウイルスの発生が消滅して終わるのではなく、他の災害同様、これによってもたらされた被害から如何に迅速に被害地域が脱却出来るかどうかに掛かっており、その意味では、上記の後輩の覚悟の程は的を射たものと言える。勿論、協力を依頼する相手先が企業であるからには、何でもかんでも、コストを無視した「慈善活動」的なものをお願いする積りは毛頭無い。郷里の生活・産業等の復活の為に、何か知恵を絞って「新しい価値観を生み出すような創造的アイデアの提供をお願いしたい」というものに過ぎない。既に「早急に検討する!」と返事を頂いたところもあり、それだけに、郷里宮崎、と言うよりは、直接の被害地域である我が母校「高鍋高校」のある高鍋町と川南町の皆様方には、「戦うのは一人ではない!皆が後ろに付いて支援してくれているぞ!力を振り絞って頑張ろう!」と大きなエールを送りたい。
「エール」と言えば、最近では、オバマ大統領が、その就任演説だったか、1930年代の大統領であったルーズベルト氏の言葉を引用(?)して、リーマン・ショック後の疲弊する米国民に向かって語った言葉が印象的なものである。曰く、「米国民よ、今、我々が恐れなくてはならないのは、我々の心の内底に潜む『恐怖心』だ。どうか、この恐怖心をかなぐり捨てて、勇気を持って前に進もう!」と。この言葉は、確か、このブログでも既に紹介した事があると思うので、読者諸兄姉には耳慣れたものと思う。現在の日本国民・企業等の全てに共通する「エール」とも言えるかも知れない。
漸く表題に関連するところに辿り着いた。つまり、例えば、各政党においては、今回の選挙の「勝利」又は「敗北」の善し悪しを、何時までも、ああでも無いこうでも無いと論じている暇は、実は我が日本は持ち合わせていない。早急な経済の建て直しと、雇用の確保は待った無しの問題でもある。財政再建の基本は税収の拡大にある。事業仕訳一本では何も生み出されない。税収の最大の基本は法人税と個人所得税である。勿論、これ以外にも各種の税は存在するが、所得が伸びなければ「消費税」論議でもあるまい。現政権と各政党主導者に望む事は、「国民に真実を語れ!恐怖を捨てて勇気を持って、必要な施策を間髪入れずに実施せよ!そうした速やかな各種施策の実現を国民は切望している!」と言うことである。こうした事を思うにつれ、小生は、常にある映画を思い出す。それが、表題にもある、オーランド・ブルーム主演の「Kingdom of Heaven」(2005年)である。ご存知の読者諸兄姉にはしつこくなるかも知れないが、簡単に映画の内容をカタログから引用して紹介すると、次のようなものである。
「キリスト教徒、イスラム教徒の双方の聖地エルサレムを十字軍が奪って100年。ヨーロッパは慢性的な圧制と貧困に苦しめられていた。若き鍛冶屋のバリアンは、愛する妻を亡くし、生きる望みも失いつつあった。そんな或る日、彼の目の前に現れた十字軍の騎士ゴッドフリー。『私がお前の父親である』と名乗ったその人物は、バリアンをエルサレムへと誘う。当時のエルサレムは、聡明な王の下、二つの異なる文化が絶妙なバランスを保ち共存していた。しかし、独裁を目論む者達により、100年続いた平和が脆くも崩れようとしていた・・・。死を目前にゴッドフリーは、息子に騎士の誓いを託す。それによって『天国の王国』が見付かると言うのだ。いま、父から受け継いだ騎士の誓いを守り抜く為に、その果てにある平和な日々の為に、バリアンは騎士となり剣を取り、戦いに身を投じていく。」と、解説されているが、大体はこの通りである。
この映画のハイライト・シーンは、小生的には、父である騎士イベリン卿ゴットフリーが瀕死の床であるにも拘らず、最後の力を振り絞り、息子バリアンに騎士の称号を与える為の儀式の場面であると思う。特に、その場で彼に誓わせた言葉は印象的。以下の言葉がそうである。(感激するシーン!何度見ても厭きない!お勧めのシーンです。そうかな?)
Be without fear and face of your enemies
Be brave and bride God may love you
Speak the truth always even at least to your death
Save good and helpless, do no wrong
That is your roast
(言語を忠実に再現する事は至難の業に近かった。多分、こうであろうと思うところまでチェックした結果が上記の文言です。違っているかも?)
怯まず敵に立ち向かえ、
神は勇気と正義を愛される、
たとえ死に至るとも常に真実を語れ、
弱気を助け、悪しきを行うな、
そう誓え
(「映画」の字幕スーパーでは上記の様に訳されていたが、これも人によって好き嫌いは当然あるでしょう。でも4行目は名訳かも。)
話が本当に長くなってしまったが、表題にある新政権に言いたい事とは、この騎士の誓いのように政治運営をして欲しいと言う事である。「マニフェストで誓った事を具現化せよ。国民には常に『真実』を語れ。勇気と正義を持って日本を主導して欲しい。弱き国民を助け、悪政に与するな。」である。そうあって欲しいと願うのは、一人小生だけだろうか?
久し振りのブログ更新なので、恥入るほど冗長になってしまった。心からお詫びするとともに、最後まで読んで下さった事を感謝申し上げたい。(誰だ!「反省だけなら猿、否、犬のジロー父でも出来る!」なんて言っているのは?でも、その通りかも。)
「口蹄疫」の事は、読者諸兄姉であればインターネットやTV・新聞報道等で既に充分にご承知と思うが、再度、弊ブログでも、以下、簡単な説明を行いたい。
「口蹄疫」とは、動物がかかる伝染病の一種であり、主として偶蹄目、つまり「蹄(ひずめ)」が偶数ある動物、例えば牛、豚、山羊、羊、鹿、猪等が感染対象となる。当該疫に感染すると、身体に水泡が出来る、又は発熱などの症状を見せるが、死亡率はそれ程高くない。但し、この疫病の恐ろしい点は、感染力が非常に高いこと。感染動物からの体液、分泌物、糞便との接触だけでなく、病原体が付着した塵により空気感染もする。空気感染では、水泡が破裂した際に出たウイルスや糞便中のウイルスが塵とともに風に乗るなどして、陸上では65Km、海上では250Km以上移動する事もある。実際に1967年から1968年のイギリスでの感染事例では、ドーバー海峡を越えてフランスでの感染を生じさせ、1981年にはデンマークからスウエーデンに伝播した事例も存在する。因みに、感染した一匹の豚が培養するウイルス菌の数は4億個と言われ、10粒子で牛を感染させる事が出来る。犬や猫は感染しないが、ウイルスを運ぶ可能性があるのは我々人間と同様である。
厳密にウイルス学の立場からすれば、濃厚接触がある場合、稀に感染する事があるとされているが、軽い発熱や口内炎になる程度で完全に回復するため、臨床学的な観点からは「感染しない」とされており、人から人への感染例も存在していない。また、「感染した家畜の肉を食べて感染する事は有り得ない」。(以上、参考は「ウイキペディア」)
聡明な読者であれば、この病原菌の感染事例が如何なる事態を巻き起こすか、発見後の早急な隔離・殺処分の実施による拡大防止策がどれ程重要であるかはご理解いただけたと信じている。今回の国の対応の凄まじいほどの「馬鹿さ加減」には、怒りを通り越して涙の出る思いである。何が「財政仕分け」だ、何が「子供手当て」だ、普天間問題同様、この国の住民は昨年の8月に大変な選択をしたのかも知れないと考えると、恐ろしさが湧き出てきて悪寒を感じるほどである。
小生、通常の状態でこの問題を語れないのは、実は生まれ育ったのが宮崎県であるからである。従って、他の場所で起きている「大変な事態」程度の認識では済まされないから、凄く怒っているのである。自分が生まれ育った故郷をここまで追い込んだのは誰だ、風光明媚で、ゆったりとした美しい自然が存在する「太陽と神話と緑の国=宮崎」をこんなにしたのは誰だと、心底怒りを込み上がらせているからでもある。因みに、我が女房殿も宮崎生まれの宮崎育ち、「悪い男に騙されて、人込みだらけの大都会東京に拉致されてきた」と常に文句を言われている。―少しは敵も反省?しているのだけど−そんな女房殿が、高校時代の同級生で、宮崎県庁に勤務している方からのメールを拝受した。そこには、今回の問題に関しての、悲痛なまでの「お願い」が書かれていた。読者諸兄姉におかれては、彼のメールを以下転記するので、どうか事態への一層の御理解と宮崎県に対する大きな御協力を心からお願いするものである。
宮崎の関係者は事態発生から如何に懸命の努力を続けてきたか、国は、民主党政権は、普天間問題での失政(最近は「徳之島の住人間での対立を煽るかのように、賛成派対して『全て条件を飲むから』との甘言を発している。」)を誤魔化す事に専念していた為か、つい最近に至るまで、農相の外遊を始めとして「大した事無い」程度で済ませてきたかが、このメールを読めば如実に明らかになるものでもある。
女房の同級生からのメール(発信日が5月12日である事に注意を!)
同級生の皆様へ! 5月10日の赤松農林大臣の来県をきっかけに、きっと、東京、大阪方面でも、大きく取り上げられている事でしょう。4月20日に、最初の感染が見付かって以来三週間、関係者は休み無しで、夜遅くまで対応に追われている状況です。
この病気は、人間で言えば、口唇ヘルペスみたいなもので、牛や豚に感染しても、治癒するので、一見たいした病気には見えませんが、日本では、蔓延防止の観点から、一旦罹患すると同一農家のすべての偶蹄類家畜が処分される事になっており、世界的にも警戒すべき偶蹄類家畜の病気となっています。尚、人間には感染しません。今日現在、川南町、都農町、えびの市を中心に、71の農場、8万頭の牛や豚が処分されたか、処分される運命になっています。発生農家は、或る日突然、可愛がっていた牛や豚など全ての財産を失う悲しい現実に遭遇する事になります。現に川南町では、やがて町内の約半分の牛や豚がいなくなってしまいます。
また、口蹄疫は、伝染力が極めて強く、今後の状況次第では、更に、地域も増え、処分頭数も増えると思われます。『人間には全く害はありませんが、大きく取り上げられる事で、宮崎牛などのブランド品、あるいは、宮崎全体が敬遠されるという風評被害にもなりかねません。』宮崎ゆかりの皆様には、こうした事情をご理解の上、是非、風評被害が発生しないよう、引き続き、宮崎の産品のPRをお願いします。」以上である。
小生、自分でも改めてこのメールを読んで目頭が熱くなるのを感じた。発信者は県庁の幹部職員の一人である。如何に宮崎を愛し、宮崎を誇りにして仕事をしているかが一目瞭然の文章である。所謂「公式文章」ではなく、「せめて同級生の理解と協力を得たい」とする気持ち、それだけに、一人の宮崎県人としての強い思いが込められているものと感激する。
また、平時には、毎週のように、時には週日でも、一般には県政を蔑ろにしているのではないかと勘繰りたくなるほど、東京のTVのバラエティ番組に多数出演している高名な知事さん、こうした時にこそ、TVの力を借りて全国民に宮崎の現状と窮状を訴え、風評被害など生じないように努力する事も一案と考えるが、一人、小生だけの穿った考えだろうか。
ところで、前述したとおり、小生は宮崎市生まれの、児湯郡高鍋町育ちの、所謂「田舎者」であるが、宮崎県出身である事に引け目を感じるどころか、むしろ美しい故郷を有する人間として「誇り」に思ってこれまで生きてきた。女房も無論同様である。両親は、小生が六才の頃に相次いで亡くなり、兄と二人で大学に行くまでの十八年間を宮崎で過ごしてきた。東京暮らしが四十四年と長きに渡り、帰省する事もめったに無いが、故郷の動向は常に気になっているし、これは当然の感情でもある。
上記のメールが発信された後で、読者諸兄姉が既にご存知のように、被害地域の拡大に伴って、我が高鍋町(たかなべちょう)も「殺処分」地区の範囲に指定され、町内の牛や豚は、多分、全てが消えてしまうかもしれない事態となっている。懸命に働く町長の小澤氏は我が母校「高鍋高校」の一期上の先輩、町役場の職員も大半は後輩だろう。連日、消毒作業に徹夜で当ってきたと聞く。疲れもピークに達していることと思う。国が関与したとたん、突然に全頭処分とは、悔しくて仕方ないだろう。(役場に勤める後輩の一人から、「我々役場職員も被害にあわれた方々の励みになるよう、出来る事を誠心誠意尽くしていきます。」とのメッセージも届いている。)其れよりも、多くの畜産農家の方々の無念さは如何許りかと、ご心痛、察するに余りある思いである。毎日戦っている諸先輩、後輩等、関係者の皆様全てに、どうか頑張って下さい!負けるな!と、心からの大きなエールを送るものである。がんばれ!
我が故郷 児湯郡高鍋町では、宮崎県本体同様、皆様の「義援金」を受け付けています。
ご賛同いただければ、下記の口座に僅かでも結構ですので、暖かい応援をお願い致します。特に、読者諸兄姉のうち、宮崎県出身者、高鍋町出身者は、何があっても「MUST!」ですよ。欣交会の方々、どうか宜しくお願い致します。
? 高鍋町口蹄疫被害義援金
(被害にあわれた農家の方々への見舞金等、直接支援を希望す
る場合)
振込先 口座名義「高鍋町家畜防疫対策本部 対策本部長
高鍋町長 小澤浩一(タカナベチョウ
カチクボウエキタイサクホンブ タイサ
クホンブチョウ タカナベチョウチョウ
オザワコウイチ)」
*長くて申し訳ない。小澤先輩、短くしなさい!
高鍋信用金庫 本店 普通口座 1354615
?高鍋町ふるさと納税
(高鍋町の口蹄疫対策への支援を希望する場合。この場合、町
発行の領収書で確定申告すれば、当該寄付金が所得控除の対
象になります。但し、5,000円以上に限る。)
振込先 口座名義「高鍋町会計管理者 原田 博樹(タカナ
ベチョウカイケイカンリシャ ハラダヒ
ロキ)
高鍋信用金庫 本店 普通 0304427
]]>
今年夏に予定されている参議院選挙が真近に迫ってきた昨今、続々とタレント候補を担ぎ出し始めた我が国の主力政党の動向に眉を顰めている諸兄姉は多いと推測しているのだが、本当のところは如何だろう。議会選挙を恰も人気投票紛いのものに貶めている事実に、日本国民の「政治音痴さ」を逆手に取った新戦略と感心する事も憚れる様な嘆かわしい状況であることは確かだ。
政治と言えば、首相の政治献金問題での報道にも見られるように、この国は、「恥」の文化を全く忘れてしまったのかと疑りたくなるのも事実。トヨタ問題で、日本の「Culture of secrecy(秘密主義の文化)」と米国のメディアが批判していることは周知の事実だが、多分、今度は「Country of shameless(恥知らずの国)」とでも揶揄されようとしている問題が「普天間基地移設」に絡む事ではないかと、海外の友人達の反応等知るにせよ、大いに心配になってきている。財政再建、景気浮揚、雇用拡大等々、我が国には早急に解決すべき課題が山積している筈なのに、いったい政府は何をしているのだろう。「財政仕訳隊」などとハシャグ暇があったら、本来の必要な施策に取り組んでもらいたいものだと思うのは、一人小生だけなのだろうか?この国の未来が、存立そのものも含めて、相当に不安になって来ている事に気付いている諸兄姉は多いと思う。
ところで、例の普天間基地移設問題で、『普天間なんて皆さん知らなかったでしょう。それが国民の一大関心事になるなんて、メディアが騒ぎすぎるからだ。』とかなんとか、どこかの首相が御発言なさったと報道されて、「随分他人事みたいに考えているんだな?」と感じた国民は多かったと思うが、先の麻生元首相の様々な発言ほどにはメディアも報じていないが、何故なのだろうか。呆れかえって、これ以上何を言っても「無駄」と諦めているのだろうか。そうだとしたら、この国はもう救い様の無いほどに「恥知らずの国」に成り下がっているのかもしれない。
普天間基地移設問題に関しては、首相が先にワシントンで開催された核安全保障サミットでの出来事で、腑に落ちない事があり、原因が不明で、小生、暫く苛々していたのだが、このところで漸く原因が明確になったと思うので、読者諸兄姉にもご紹介をしておこうと思う。
例の当該会議後の大統領主催の夕食会での事だ。各国首脳がオバマ大統領との「正式会談」をこなしている中で、一人、我が国の首相だけが「会談」を受け入れてもらえず、挙句の果てに、夕食会のその場所で、他の参加者の食事を待ってもらった形での「非公式『会談』?」が行われたと報じられ、その写真も新聞等に掲載された事は記憶に新しいと思う。「恥を知らない国の、恥を知らない首相」だから問題は無いのかもしれないが、あのような形での「会談?」は、国家元首同士の国防に関する話し合いとしては、全くありえない状況である。他の国なら、否定するか、時間が取れないのであれば、会談を断念して、黙って帰国する筈である。官僚の悪戯にしては「国家に対する恥辱」とも受け取られかねない状況と考えられる。これも、メディアは「沈黙」に近い(全く批難していないとは言わないが)スタンスを取っているが、何故だろう。不思議でならないのと、我が国民は、笑って見ているとでも思っているのだろうか。まあ、事実、「関係ないわ!」と考えている御仁が殆どかも知れないと思える程に、この国は「平和ボケ」が進行しているのも事実だが。
小生が、原因が分からないと苛々していたのは、オバマ大統領が、当該基地問題で、鳩山首相に対して、『 Can you follow through(最後までやり遂げられるのか)?』と発言した事だ。信頼関係が相当に傷ついている事は事実だが、仮にも他国の代表に向かって、直接にこのような言葉を投げかける事は常識では考えられない。相当に「侮辱的発言」と捕らえるべきだし、抗議もするべきではないかと思う。あのような少人数での会談での発言が、直後に外部に漏れる事自体も異例ではないかと考えられるし。しかし、冷静に考えると、オバマ大統領が、何の前触れも無しにこの様な発言をする筈がないし、鳩山首相の何かの発言に対して「怒り」の感情を顕わにしたのではないかとも想像出来る。では、何と発言した後の言葉だったのだろうか。
英字新聞にその答えが見付かった。多分、この言葉が出てきたから、『冗談じゃないよ!何考えているんだアンタは?』との感情の縺れから、とっさに、例の言葉、「最後までやれるのかよ?」となったのではないか。そう想像出来る言葉が、下記の記事である。
「Prime Minister Hatoyama appeared to think of the problem as if it were other people’s business, even having the nerve to say he would leave the matter up to the foreign minister and the U.S. Ambassador to Japan」(鳩山首相は、基地問題の解決を、厚かましくも、外務大臣と駐日米国大使に任せていると言う程に、他人事と考えているようだ)
この暴露記事が真実ならば、それは、オバマ大統領も怒り心頭に達する事は、理解出来なくも無い。それは、本当に仕方ない事だ。
H「大統領、基地問題ですがね、あれは、岡田外相と米国大使に任せてありますから」、O「(何考えているんだ?『信じてください、自分が責任もってやります』といったじゃないか!)最後まで出来るのかよ、全く!」の会話が、あったのかもしれない。こういう風に会話を組み立てると、それは、もう完全に理解できる内容だし、先方の発言に対して「抗議」するほうが如何なものかと、逆に批判されてしまうだろうね。
この問題、そもそも、夕食会の席上で、「非公式会談?」を設定した方もだし、その会談の内容が次々と暴露される事も、何らかの悪意が感じられる。事実日米関係は、過去に例を見ないほどに悪化している事は、日本を除く国々では半ば常識化され始めている。先月、ジョージタウン大学で講演したM.グリーン元国家安全保障会議アジア上級部長は、「普天間基地移転問題により、日米関係は窒息しつつある」と、悲観的な表現をしたと伝えられている。日本のメディアは「真実」を伝えているのか?読者諸兄姉、「真実を見抜く目」を持とう!このままでは、我が国は本当に危ないぞ!
なんて、カリカリしながらブログを書き換えている最中に、我が奥様が一言。「お父さん、民主党が落語家を参議院選の候補者に担ぎ出したわよ!先の自民党の巨人軍元監督同様、国会は『タレント村』化するのね。どうしようも無いわ!」だって!出す方も出す方、投票する方もする方、この国は、一体全体如何なって行くのだろう?ブログ書くの止めようかな!
]]>勿論、こうした傍若無人振りに関しては、一斉に反論されるかもしれない。曰く、「何も女性だけとは限らないわよ!」「若い男性だって、小母さん達だって、爺だって居るじゃない!」「何故に若い女性だけを愚図愚図言うのよ!」と。尤もな反論だ。しかし、少なくとも、小生、現役時代(今でも現役の積りだが!)に数百回海外を訪れたが、こうした行為をしている女性を他国で見た事が無い。偶然かもしれないが、事実である。そうであればこそ、我が国日本の実情に涙するのである。古いと言われようが、断固そう思うのである。日本女性の淑やかさは、これまで世界でも有名であった。世界の男たちの憧れの生活は、どこそこの調理人とどこそこの執事を雇い、そして日本人の女房を持つ事であるとされていた時代もあるほどに、日本女性の素晴しさは驚。なのに!なのに!である。
ところが、先日、我が愛するゴルフクラブ「筑波CC」でプレイをした時の事である。所謂フリー(スタート時間を予約せずに行く事。メンバーの特権なのだ!)でコースに行った為、他のメンバーの方と御一緒にプレーをする事になるわけだが、その時に、同クラブで、否、関東のゴルフクラブ全体で尤も有名なメンバーと言われる方と遂に御一緒する機会を得、そして、その方の「淑女振り」に驚嘆、感激、感動してしまったのである。
話の前置きが長くなってしまったが、今回のブログは、要するに、「淑女」とゴルフをする機会に恵まれて、本当に幸せだったと言う話である。読者諸兄姉は、「なーんだ!そんな事か!」と思うかもしれないが、この「淑女」、齢九十六歳になられるお方である。それも、矍鑠(かくしゃく)として、自らのお足で、我々と同じ歩調でしっかりと歩かれ、当然だが、ショットも素晴しいもので、しっかりと玉を捕らえたナイス・ショットを連発される。驚くべき事に、1年間でプレイされる回数は、優に百回を超えるとされている。御歳九十六歳の「小母様(間違っても「御婆ちゃま」とは言えない。)」がである。
何処が「淑女」かと言うと、全て!正しく存在そのものが「淑女」なのである。立ち居振る舞い、プレイ中の我々に対する御話の仕方、マナー、何処を取り出しても申し分無く、感激するばかり。「大和撫子、斯くあるべし」の典型を拝見している様なものである。『何だか判らない!もっと具体的に解説せよ!』と思うかもしれないが、齢九十六歳、九十六歳ですぞ!(あまり年齢を連呼すると、次回に、「私は女よ!年齢を言うなんて失礼よ!」と御叱りを受けそうなのでもう止めます。)の女性が、ゴルフに興じているのである。それだけでも驚嘆なのに、一緒にプレーする男性陣に、迷惑を掛けるどころか、我々自身が恐縮(萎縮?)してしまうほどの立ち居振る舞いなのだと言えば、其の位は想像しなさいとでも言いたい。しかも、170ヤード以上のショートホールでは、ドライバーを使用して見事ワン・オンを成功され、残念ながらバーディー・パットを外されると、「アー!本当に悔しいわ!」です。我々男性全員は、ただひたすら「脱帽!」である。
惜しい事に、御年齢もあってか、少し御耳が不自由でいらっしゃるが、それ以外は、何不自由なく、御健康であらせられる。失礼な事に、御知り合いになる前は、御歳から、「御家族の方が大変だよね。送り迎えとか何とかさ?」なんて考えていたのだが、全くもって失礼千万、御自分で、御一人で、電車で二時間近く掛けて同クラブにお出でになるのである。それも、年間百回以上と言うから、実に驚嘆すべき御健康さである。よもや、先に話した、電車の中での傍若無人など、全く関係ない話である事は確か。お昼の御食事時には、「私(「わたくし」と読む!))が作りましたのよ。どうか、お持ち帰りになって。御酒の御つまみにもなると思いますわよ!」と、御自宅に生る蜜柑類(何だか忘れた!)を御自ら砂糖漬けにしたドライ・フルーツ(「オレンジ・ピール」と言うらしい。)を全員に配って戴いた。これも感激!あー!「淑女」様!
最後は、プレイ終了後に御風呂から上がって来た我が女房が、これもまた、驚嘆すべき「淑女振り」を報告。女房も驚嘆、感激した様だが、それを聞いた小生は「流石、淑女様!」と唸ってしまった。つまり、御風呂に御一緒した際に、女房が「御風呂は如何されますか?お入りになります?」と尋ねると、淑女様曰く、「今日は御風呂に入るのは止めておくわ。御化粧だけを直してから帰ります。」との事である。女房も、「女は何時までも女。年齢は関係ないわ。私も、何時までも彼女のような感覚を持って元気に生きて行きたいな。」との事。当然に、御肌の色艶も張りも、当該年齢を全く感じさせない素晴しい状態であり、女房が憧れるのも無理からぬ事。御化粧をするのは女性であれば当然の事、年齢に関係は全く無い事は事実だが、それをさらりと仰る事は、やはり御歳を考えると素晴しい事であると感激する次第。
仄聞するところによれば、テレビ局が特集を組みたいとの申し出をしたそうだが、「恥ずかしいわ!お断りしたのよ!」との言だとか。素晴しい。
御化粧もそうだが、「恥ずかしさ」を何時までもお持ちでいらっしゃる事事態が「淑女」の表れ。「だって、年齢なんて関係ないわよね!」です。恐る恐る、「如何にしたら、そのように元気で居られますか?」と御質問申し上げたら、「ゴルフをやることね。楽しく生活する事よ!」との御言葉を賜った。何処かの国の首相や議員のように、「恥」の日本文化を完全に忘れ、「知らなかった!」で全てを済ませてしまおうとする感覚は彼女には無い。年齢のみで取り沙汰されることは、彼女にとって「恥」なのである。年齢は彼女にとって当然の事実であり、何ら特殊な事では無い。但し、我々凡人には「凄く特殊」な事だし、それだけに驚嘆し、感激もするのである。
真の「淑女」にお会いしたければ筑波CCにお出掛けあれ!これ本当!
]]>表彰状の文言も、「貴社は、企業経営に期待されている社会的責任と経営実務における“Integrity”の重要性を理解され、優れた企業倫理を醸成することに注力されるとともに、内部統制やコンプライアンス等の点で、実践を伴う真摯な取り組みを行われています。よって、ここにその精神と努力を讃えるとともに、さらなる精進を期待し、記念品を贈り表彰いたします。」である。従って、受賞した各企業共に、表彰されたのが嬉しいと言うよりは、その体制の更なる向上に対する努力を誓わされている事が「非常に重く受け止める」としている点で興味深いものがある。
当然の事だが、如何なるビジネスにもリスクは存在し、リスク・テイク無しにはリターンは有り得ない。各企業は自らが得意とする分野でビジネスを展開するが、必ずしも想定通りには事が運ばない事が多い。経営者であれば、損失が顕在化する前に、自社のリスクの状況を適時適切に把握し、可能ならば損失の原因となり得る事象への対策を講じる事が求められる。この対応体制が「内部統制システム」であり、リスク管理経営とも言われる。これの整備は会社法でも強く求められており、違反すれば株主代表訴訟の対象ともされる。
この内部統制システムの整備義務に関して出された初めての判決は、旧大和銀行ニューヨーク支店の不祥事を巡る株主代表訴訟に関する平成12年の大阪地裁のものである。曰く、「健全な会社経営を行う為には、目的とする事業の種類、性質等に応じて生じる各種のリスク、例えば、信用リスク・市場リスク・流動性リスク・事務リスク・システムリスク等の状況を正確に把握し、適切に制御する事、即ちリスク管理が欠かせず、会社が営む事業の規模・特性に応じたリスク管理体制(=内部統制システム)を整備する事を要する。」と。この判決は』余りにも有名だが、これ以外にも、神戸製鋼所の不祥事に絡む平成15年の神戸地裁判決もまた、「企業トップは、社内で行われた違法行為を、『知らなかった』だけで、その責任を逃れるとする事は相当ではない(=内部統制システムを構築すべき法律上の責任がある)」と明確に結論付けている。これらの判決を引用するまでもなく、既に会社法の条文には「内部統制」という文言が存在し、その整備は経営者の義務とされているものである。
従って、現在の経営者は、「内部統制システム」=「リスク管理経営」の重要性を十二分に認識し、これの整備に向けて日々最大限の努力を行っているのが実態であり、後から「知らなかった?」では済まされない事態に、多分、日夜相当に悩まされていることも事実であろう。小生としては、多くの企業の経営者諸兄姉の、これに対する真摯な努力に心からの労いの言葉を掛けてあげたいと心底思っている次第である。
おや?ちょっと待った!「知らなかった!」で全てを済ませている御仁が昨今のメディアを騒がせてはいませんか?数多くの企業不祥事の発生では、血眼になって経営陣に対する批判と「ケジメ(=首の挿げ替え)」を強引に求めるのが国民の声の代弁者と称するメディア関係者だが、何故か、昨今の問題視されている方々に対しては、様々な組織運営上の誠実性に対する「内部統制システム」の構築・整備の責任論は主張せずじまいではないだろうか。これでは、企業経営者が余りにも可哀想だし、法律作った側が「知りませんでした」で済むのに対して、余りにも片手落ちとの観が強くするのだが、そう思うのは一人小生だけだろうか?
経営トップと比較するならば、日本国の経営者トップである鳩山首相の例で考えてみよう。彼に関しては、「母親からの月額1,500万円贈与」問題で昨年末以来、日本中が大騒ぎしている事は改めて言うまでも無い。勿論、この事は同家長男の彼だけでなく、また、献金疑惑問題は政党を超えた問題として存在している事は周知の事実だ。ところで、首相の「其の事を知らなかった!急いで、ちゃんと規定の税金を支払った。説明は尽くしている。」の言い訳は、我が国の企業人であれば、「怪?」「理解不能?」「常識外?」等の強い怒りを含めた感想を持つ筈であることは、既に上記の内部統制システムの問題で解説したとおりである。心の底では、不祥事が生じたら、「経営陣としては全く知らなかった。社員がやったこと!」と言えたら良いのに!なんて考えているだろうと充分に想像し得る程である。
ところで、「贈与税」の支払いと首相の「知らなかった!」発言との矛盾についても若干指摘してみたい。「贈与税」の支払い義務は「認識した時点」で生じるとされている。首相の発言が「正」ならば、昨年末に初めて認識した訳だから、その時点で支払い義務が生じ、数年前に遡って滞納分の「追徴課税」の対象ともなる。しかし、首相は、年度毎に、追徴税額の加算無しに、贈与税相当額を納入したのみと聞いている。そうであれば、過去から「知っていた」ことになるが、この矛盾する行動に対して誰も異議を唱えていないのでは?この点を憤っている経営者も多いと聞く。それとも、「税金の支払いも秘書に任せており、知らなかった!」とでも言うのか?自らの収入も知らず、税金の支払い方も知らない人物から、我々国民に「税金を支払って下さい!」、「国家の歳入=財源が大いに不足していますので」、とお願いされても馬鹿馬鹿しくなるだけだ。金銭に対する感覚が存在しない人物というのであれば、それはそれで「ふーん!」と言うだけだが。
今年も確定申告の時期が終了した。会社としても、個人としても、正直に全てを申告した(「当たり前だろうが!」との叱責は当たらない!)が、現在追加納付の金額に頭を抱えている小生である。「いくら貰っていたのか知らないし、いくら使ったかも知らない!税金って支払わなくてはならないの?」と、一度で良いから言ってみたいものだ。弊事務所顧問の税理士の先生からは、「長友さんは、節税の事よりも先にコンプライアンスの事を考えているのだからな!」との、呆れられたコメントが出されて、変な意味で反省をしている。でも、国民としての義務はしっかりと果たさなくてはいけない。納税と選挙権が対になっていることをしっかり認識すべきである。雰囲気でキャーワー騒いで投票すると、恐ろしい事になる?
(追記)
先日、久し振りに我が愛するゴルフ・クラブ筑波CCにてお遊びに興じた際に、多くの同クラブ社員の方々から、「ブログの更新をさぼっていますよ!皆待っているのだから、面倒なんていわないで更新を宜しく!」との御叱責を賜った。「へー!読んでもらっているんだ!」との驚きと恥ずかしさで一杯だった。それならばと一念発起してみたが、昨今の余りにも様々な出鱈目一杯の出来事に怒り骨髄で、なかなか書く気が起こらなかったのも事実。筑波CCの皆さん、遅くなって御免ね!恥ずかしながら、これからも頑張るから、どうか読んでね!
]]>何が「驚愕」であるかと言うと、第一に、当事者である日本航空から、株主=国民に対する何らの情報開示も行われていないという点である。日本航空は、「飽く迄も」上場会社である。否、であったというべきかも知れない。昨今の報道によれば、明日1月19日は「会社更生法」の適用申請が行われるとの事だが、この事態になっても未だに何の情報開示も行われていない。この不可解な事態は昨年の9月末頃から生じてきた。例の旧産業再生プロジェクト・チームが、政府の要請?に応えて「再建策」の策定(絶対に当事者の要請ではない。しかも、この再建策は「没」になったようだが、その筋に拠れば相当額といわれている事務費用は誰が何処から捻出したのだろうか?)を開始した頃から、「だんまり(?)」を決め込んで、説明責任を果たさないまま、経営陣は「総退陣」をするとか。当事者能力を政府から収奪され、何も言うなと「緘口令」を敷かれていたとすれば、それはそれで大きな問題である。一般の上場会社であれば、到底考えられない対応という以外に無いが、やはり訳が判らない。
第二は、政府の対応である。「日の丸」印の航空会社であり、国益を守る為にも「支援」が欠かせないという事は充分に理解できる。しかし、やはり、日本航空は「上場会社」であるという事を忘れてしまっている。「情報開示」が万全でなくて、何を持って「株主責任」を取らせるというのか?
しかも、昨年の秋以降の政府のこの件に関する対応は、あたかも飛行機のダッチロールのように二転三転を繰り返して来た。その間、上記のように、当事者である上場会社=日本航空から何らの情報開示が無いために、多くの、特に個人株主を中心に、報道による政府の見解に翻弄されて来続けた。
特に、昨年10月頃の「五閣僚申し合わせ(?)」の報道によって、あたかも、このままに再建が行われるかもしれないとの憶測を呼び、市場での売却を検討してきた投資家達は、その多くが判断を大きく過たされた。事実、先日利用したタクシーの運転手さんは、三千株の株主だそうだが、「どうして良いか、判断に迷うばかりだった。」と述懐していた。この「申し合わせ」「合意事項」(?)は、うやむやの内になかったものとされ、今日を迎えてしまった。政府による「風説の流布」紛いの行為であると非難されてもおかしくない対応と言わざるを得ない。本当に「株主責任」を問えるのだろうか?昨年秋以降から、こうした不安定な各種の対応で、誤った判断の元に新規に同社株を購入した国民も相当数いるものと思われる。新政権は「資本主義市場経済」を理解出来ていないのかもしれないとの不安が若干であるが頭を横切るのは小生だけだろうか?やはり訳が判らない。
しかも、報道されている事が事実であれば、数千億円とも言われる「債務超過」(突然こう言われ始めた。先の決算報告は「真実」だったのか?)の状況にある会社に対し、今後国民の血税を如何程注ぎ込むのか、その財源は如何するのか、其の事については、19日以降にでも明白に説明して欲しいものである。何もなければ、様々な疑惑同様「またか!」と国民の多くは思うだろう。
第三は、市場管理者である「証券取引所」の対応である。上場会社がこうした事態に陥っているのは明白な事実なので、通常であれば適時・的確な「情報開示」を要請するのが当然である。しかも、其の時期は昨年の9月もしくは10月であったはず。こうした要請に対して、当事者能力を失っているのかどうか、情報開示が全く行われないか、不十分であるとすれば、上場規則で明白な対応が記載されているはずである。506条の「開示注意銘柄」への指定である。曰く、「当取引所は、上場会社が、―略―、会社情報の開示を直ちに行わない状況にあると認められる場合において、当該事実が開示されていない事を周知させる必要がある場合として施行規則で定めるときには、−略―、開示注意銘柄に指定する。この場合には、当取引所はその旨及び指定の理由を公表するものとする。」である。しかし、事実は、何の対応も行っていない。更に、当事者である上場会社が何の情報開示も行っていないからといっても、事態がここまで混乱してくると、昨年末、もしくは、本年初頭にでも、「上場廃止」の恐れがあるとして「監理銘柄」に指定し、投資家に対して警告を発するべきである。これも、事実は、本日に至るまで何の対応も講じていない。日頃から、適時適切な情報開示が基本であり、投資家責任と情報開示は車の両輪のように相関関係を保って初めて市場の存在意義が確保されると主張する市場開設者の対応とは信じられない。何らかの圧力によって対応を拱いたのか、やはり、訳が判らない。
第四は、メディアの対応である。上記の本件に関する当事者とも言える三者の対応・状況は明白なのに、何の疑問も抱かずに、ただ、政府の対応による報道=リーク合戦を繰り返すのみで、投資家=国民に混乱を与えて続けている。もっとも、政府側からすれば、何らの「正式対応」について言及した覚えは無いと突っぱねれば、全ては日本航空かメディアの責任という事になるわけで、「何らおかしな対応はしていない」と主張するのみかもしれない。誰か心あるジャーナリストにこの事態を正確に解説してもらいたいものだ。やはり、訳が判らない。
小生が、大学院の講義や講演会で「上場企業は何故に『公器』と呼ばれるか」について解説するとき、必ず話をするのは米国のルーズベルト大統領の事である。1920年代末に生じた大恐慌後の「金融システム再構築」のために創設された諸法律、特に「1933年証券法」の制定を議会に上程した際に、彼は其の基本方針をこう説明した。曰く、「国民のお金を扱ったり、利用したりする」立場にある者、銀行・上場企業の経営者は、基本的には資金を預けた人々の為に行動している受託者の立場にあることを確認したい。」=上場企業の経営者は、資金を提供した投資者の代理人として行動する事が求められており、その意味では資本提供者に対して「受託責任」を負っていることになる。従って、「政府の役目は「国民が自分のリスクで判断できるのに必要かつ充分な情報が提供される体制を確立する事にある。」=資本主義市場経済の根幹は、「自己責任」に基づく国民の自発的なリスクテークを前提としており、自己責任を問う限りは、其の半面で「正確・詳細な情報開示」が最も重要な前提となる。この両者は謂わば「車の両輪」で、どちらが大きくても小さくてもいけない。
今回の件で「株主責任」を取らされる国民こそ「悲劇」の主人公である。
]]>御存知の方も多いと思うが、昨年の暮れも押し詰まった12月30日に、東証の上場規定・施行規則が改定された。これは、「上場制度整備の実行計画2009(09年9月公表)」に基づくコーポレート・ガバナンスの向上等に向けた環境整備の一環と位置づけられたものだが、具体的には、従前から長きに渡り議論されて来た社外役員の設置と其の定義に関する問題と、昨今問題視されている第三者割当増資や公募増資偏重のやり方に歯止めを掛けるべく、株主割当増資の支援策とも言える対応等を盛り込んだ内容で、我が国では、考えようによっては多分にセンセーショナルなものである。
ごくごく簡単に改定の内容を纏めると、以下のような点となる。
1.「独立役員(取締役・監査役を問わない)」の選任の義務化
届出と「独立」の定義についてコーポレート・ガバナンス上で開
示の義務化(1人以上。氏名を明示して。)
2.自らのガバナンス体制の選択の理由の説明義務
社外役員の役割や機能について言及。無存在の場合には、独自の考え方を説明。=ガバナンス機能の有効性確保の観点から。
3.株主割当増資(Rights Issues)実施の柔軟化
新株予約権を利用した増資に新たな途を。会社法では、無償割当(277条)・譲渡可能(254条1項)と定義。但し、東証の規則
では、流通システムの観点から、発行済み株式数の整数倍である
ことが条件であったが、この制限を削除。
(詳細は東証のHPを確認の事。他の市場も類似の対応をする可能性大。)
ところで、上記の改定のうち、「独立役員」の定義付け、具体的には、対象会社は何故にこの者を「独立」と考えて登録したのかの説明が大いに問題となろう。実際には、取締役・監査役を問わないという事なので、特に監査役は「社外」の導入が会社法でも義務付けられており、混乱する会社は皆無と考えられる。しかし、定義付けに関しては「雛形」や「デファクト・スタンダード」が現時点で確固としたものが存在しておらず、その為か、弊事務所にも、上場企業等からこの点に関する相談が数多く寄せられている。そこで、この「独立性の定義」に関し、小生の考えるところを、弊ブログを利用して御紹介したいと思う。(簡単に言うと、一々答えるのが面倒なので考え方の整理の為にも記載しておこうと言う訳です。正直だな!)当然の事ながら、この考え方は飽く迄も小生の個人的考察であり、今後の様々な議論の末に「デファクト・スタンダード」が形成されるものと信じている。
会社経営に対する監督の為の「独立性」確保、そして会社経営の「誠実性」の確保の為の社外役員の導入という観点から考察すれば、解はおのずと明らかになるものと考えられる。つまりは、会社・経営者の意思決定に対して重要な「影響力」を有しているかどうか、会社・経営者の意思決定に関して必要に応じ「抑止力」を行使出来るかどうか等がポイントであろう。そうなると、一般に以下の4点が「独立性」確保の鍵となると考えられる。
1.資本関係の存在有無
2.取引関係の存在有無
3.経営者等との親族・婚族、又は友人関係の有無
4.必要な見識の有無(この点は社外役員として、会社経営に対する「独立性」の有無の前に当然求められる事であり、ここで挙げる事項では無いかもしれない。)
上記の、特に1−3に関して、補足的説明を加えたい。
1.に関しては、一般には特に親子会社関係の問題として捉えられる。但し、親子関係でなくとも、実質的に影響力を有する者もしくは会社の(派遣)役員も問題視されよう。大株主として開示されている者・会社が対象とされるのが一般的と考えるべきかも知れない。また、「持ち合い」関係のある会社も、「馴れ合い」の疑問が呈される可能性があることを認識しておかなければならない。一方で、微少な出資関係のある者でも排除対象となるかは疑問の生じるところである。事実、出資関係が皆無の社外役員が当該会社の経営に真摯に対応し得るのかといった疑問が株主総会において質問された社もあると聞く。会社経営の誠実性・独立性に対する「影響力」の有無について、充分に説明する事で理解を求めることが重要であろう。
2.に関しては、一般に重要な取引関係が存在する場合には、経営への関与、又は「馴れ合い」が生じる可能性が高いと考えられるからである。重要な取引先の定義の中には、受注関係のある会社も含まれよう。注文を受けんばかりに、経営に関して「抑止力」が働かない可能性が高いからである。また、法務・会計等を含み、コンサル契約や顧問契約を締結している者・会社も巍巍無しとしない。但し、取引関係があるからといって、全てが疑問視されるわけではなかろう。取引関係の事実を正確に開示し、1.と同様に充分な説明を行い、株主に対する理解を求める事が重要である事に変わりは無い。
3.に関しては、「抑止力」の有無の問題、又は「馴れ合い」の問題として大いに疑問視される事は確かである。但し、創業者社長に良く見られるように、「経営の誠実性に厳しい親族」等を社外として招いている例があるが、これを「独立性」の有無の問題として完全排除すべきかどうかは議論の余地がある。真に「怖い親爺」等の監視の下で経営を遂行する事は、それはそれでガバナンスは充分に機能しているとも考えられるからである。しかし、外人投資家など、一般的には余り理解されない事かもしれない。「友人関係」に関しても疑問点は多い。果して、「友人」の定義を如何にするかが最も困難な点である。又、社外役員であっても、就任期間が長くなると、経営陣との付き合いも多く存在する。友人関係の形成も当然に生じ得る。そうなると、社外役員の就任期間の制限という問題に発展してしまい、就任時には「完全独立性」を証明し得た者も全て対象になってしまう。要は、「馴れ合い」関係は存在しない、又は、そうしない人物であるという誓約を株主に対して行う事が大前提に存在してこその「独立性」の議論なのであるからだ。
4.を加えたのは、言わずもがなであるが、1-3までの諸点をクリヤーしたら誰でも良いのかといった愚問を制するためであり、他意はない。また、1.は当然に議論の対象となろうが、2.や3.まで言及するのは行き過ぎとの批判があるかもしれない。しかし、何時の日かは問題となる可能性が高いと考えられる為、念のために考察してみた。ここまで説明すれば、「独立性」に疑義を挟む余地は皆無と考えられるからである。
何れにせよ、社外役員の「独立性」が問題視されるのは、会社のガバナンスが有効に機能しているかどうかが、今正に疑問視され始めたからである。「社外役員」選定の要請が高まってきたから、仕方なく導入した等という短絡的な考え方は危険であるという事をあえて提示したい。東証の今回の規則改正の第2点目にある「自らのガバナンス体制の選択の理由の説明」が重要であると言いたい。社内での充分な議論を踏まえて、自社の「社会的存在意義」を高め、「企業価値」向上のために誠実に経営する体制整備の一環として、如何なるガバナンス体制を構築するか、ここがポイントである。アングロ・サクソン流のガバナンス体制が金科玉条の様に囃し立てられるが、「味噌味」・「醤油味」のガバナンス体制が存在しても良いと考える。今回の世界的経済混乱は一体何処の国から生じたのか。彼の国では、企業のガバナンス体制が有効に機能していたと言うのか。答えは「否」である。味噌味・醤油味のガバナンス体制であっても、決して独り善がりの考え方ではなく、これをグローバル・スタンダードの一部として認められるような、堂々たる意見・説明の開示を行う企業の出現に期待したいものである。如何なるガバナンス体制を構築しようとも、それを生かすか殺すかは、畢竟、運営に実際に携わる人間そのものである。体制の構築が重要なのではなく、それを実際に運営する事が大いに求められている。
その意味では、今年の各社のガバナンス報告書の改定・開示は、小生として、現役時代に当該制度導入の責任者であった経験からも大いに興味を持って見守って行きたいと考えている。因みに、当該ガバナンス報告書は、東証のHPで全上場会社の分が全面開示されており、データーの自動ソーティング・システムやXBRLの利用も具現化されているので、御興味おありの方は一度アクセスしてみては如何。お勧めです。
]]>またまた長期間に亙り弊ブログを更新するのをサボっていた。多くの友人達から、「病気にでもなったか?」「無事でいるのかよ?」と言った問い合わせを受け始めた。完全なる言い訳だが、余りの新政府の無策振りに頭に血が上りすぎて、文句を言う元気すらも失っていたのが現実である。頑張って「言いたい放題」書こうかとなったのが本日の事。途中で血圧が上がって中止せざるを得ないかもしれない不安と戦いながら再開する事にした。大丈夫かな?
御存知のように、大いに囃し立てられた「事業仕分け」に好い気になっている間に日本の経済は落ち込む所まで落ち込んでしまっている。数千社の上場企業ですら、明日のことを考える前に今日の生存を掛けて必死の努力を続けている現状を政権は御存知か?大手がこの状況では、数十万社の我が国中小企業の現状は「悲惨」と言う他に形状仕様の無い所に来ていると言っても過言ではない。財政再建は、経済の再建なくしては為し得ない。経済の再建が成れば、雇用の確保も自然と拡大する。雇用が安定すれば、人々の消費も拡大する。企業業績が好転すれば税収は拡大する。雇用が拡大すれば、これもまた所得税収の伸びに繋がる。
中国を見れば良い例である。一昨年の60兆円近くの経済再建投資策の効果で、国慶節1週間の国内消費財の売り上げは5600億元(約7兆円)に上がり、企業在庫調整は完全に終了し、生産拡大に転じている。報道されている通りである。
「財政再建」という美名の下に、「緊縮財政」のみを旗印に、一方で、効果が不透明な「子供手当て」の財源確保に汲々とし、結果が、戦後以来の赤字国債と税収の逆転を生じさせようとしている。子供手当てに固執するよりは、其の分の数兆円の予算を中小企業中心の緊急支援資金として予算化し、雇用の確保を優先する方がどれだけ経済再生に有用かは自明の理なのに。1社当たり僅か500万円で、例えば、自民党政権下で「愚作」とも思える「定額給付金=2兆円」資金が投入されたとしたら、40万社の中小企業の資金繰りが一息つく計算になる。従業員5人の企業であれば、200万人の雇用が、十人であれば400万人の雇用が安定化する。一家4人の世帯と考えると、実に1600万人の生活が、貧しいなりに安定する効果は素晴しく大きい。この安定感が国民に喪失しているのである。消費が拡大する訳が無いし、国民の不安が払拭されるわけでもない。500万の資金繰りに苦慮している経営者や会社の実に多い事か!「否!100万の資金繰りでも大変なのだ!」との声も多く聞かれる。先の緊急対策費が、仮に5兆円あれば、500万円の融資枠を与えられる企業数は100万社に拡大する。雇用の確保は、確実に1千万人以上となる。ガソリン税の廃止のマニフェストですら、あれだけ簡単に反故に出来るのだから、子供手当ての支給を2年間猶予してもらい、其の分の財源を経済再建に充てられたら、将来の国民生活の安定化にどれだけ寄与するか、本当に残念でならない。
事業仕分けで、中止・先延ばしを決定された影響からか、一時は落ち着いた建設・不動産業中心の倒産件数は再び上昇に転じ、悲劇的な数字にまでなりつつある。遂には、我が国の基幹産業ともいえる「製造業」に関しても倒産件数は鰻登りとなってきているとのこと。こうした状況下で雇用を喪失した人々が、簡単に再就職先を確保しうると思っているのだろうか?「派遣村」騒動は、国民の目を欺く「まやかし」に過ぎない。解雇された正社員ですら、明日の暮らしに不安を抱きながら必死で新しい職場の確保に努力している現状を、真に理解して政治を行っているのだろうか?
聞き及ぶところでは、失職されたサラリーマンが、この年末に掛けて就職活動を展開し、実に600社のドアを叩いたが、反応はゼロに近いとの事。これが現実である。中途採用の現状だけでなく、大学・大学院新卒の就職戦線も悲劇的な様相である。小生が客員教授を勤めている早稲田大学ですら、学生たちによると「凄まじい状況で、安穏とはしていられない!」のが現状とか。下位校ではもっと悲劇的かもしれない。
そう言えば、昨日の授業の後で、大学院の学生たちと世間話を交わしたが、興味深い事を聞いた。曰く「持ち家を考えているのですが、今が底値かな?(大学院なので企業派遣の生徒も多い)」「ローンを組んでも先行き不安だと危険だしな!」「消費拡大なんて、雇用が安定してなければあるわけ無いじゃん!」「子供手当てで消費が拡大する?先の定額給付金だって、銀行口座の他の預金と混ざって、何時の間にか生活資金の一部に化したよね。認識して消費した奴がどれほどいたの?」「自分は1歳と4歳の子供が居るけど、支給されたお金を当てに何か買おうとは考えないよね。元々は子育て資金としての支給でしょう。これで消費が拡大すると主張するほうが変だし、その動機は不純とも考えられるよね!少子高齢化対策の重要な手立てとマニフェストでも言ってなかったっけ?」である。
正しく、言いえて妙である。何だか悲しくなってきた。我が国は一体何処に行こうとしているのだろうか?「歴史的政権選択」を実施したのは我々国民自身である。民主党ではない。これから近い将来起きるであろう様々な事態は、それが何であっても、我々国民自身で責任を取らなくてはいけない。自らが招いた事態だからだ。悲しいかな、それが真実である。当然に、平成の20数年間、これ程までに日本経済を駄目にしてきたのはどの政党であったか、これは言うまでも無い事。しかし、その政党でさえ、「栄枯盛衰」を地で行っている現状を誰が憂いているのだろうか。下野してから僅かに四か月しか経過していないのに、御存知の有様なのだから。彼の米国のオバマ大統領ですら、確か、僅か42−3歳、下院1期目半ばでの立候補の末に、米国での「革命的」選択を実現させたのだから、翻って、我が国では?「出でよ!若きヒーロー!40歳代の首相の出現に期待したい!」と大きな声で叫びたい!
今回の最後として、普天間基地の問題についてちょっと一言。新しい米軍基地の場所を何処にするかに関しては、百家争鳴の観があるが、「日米安保」条約の中身を知らずして議論している感がしたので、確認しておきたい。そもそも、事の是非は兎も角、当該条約では、確か8条で、米国は緊急の事態に関して日本を守る、と明記され、9条では、その見返りに「国内」での基地を提供する、とされていたのでは?ある政党の党首が「国外移転」を協力に主張するのであれば、9条を破棄、つまり、安保条約破棄か「お金を支払うから守って。でも国内にいては駄目!」との条件闘争をするのか、それとも、我が国が自ら武力(持っているけど!)を奮って国敵と戦うか、「永世中立国宣言」をするか以外に選択肢は無いのだけど。そうなると、基地の所在の問題ではなく、安保条約そのものの是非の議論になるのだけど、女性党首の狙いはそこなのかな?そうであれば、議論のやり方は国民を愚弄していると思うのは小生だけかな?判らないな?
]]>
前回に引き続き、ケンブリッジ大主催の国際シンポジウムに参加したときの話をする事としたい
先ず始めは、前回にお約束した晩餐会の際の乾杯儀式に纏わる「笑い(些か不謹慎になるかな?)話」から「女王陛下に乾杯」と言うのが、何をさて置いても最初に行うべき儀式である事は既にお伝えした。数年前の事だが、この最初の乾杯の合図があった時の出来事である。「To The Queen」との掛け声が掛かるや否や、小生の隣で直立していた紳士が、困った顔で小生にこう呟いた「 my GodHey Mr. Nagatomo, which Queen shall I propose a toast」と。「んん Oh, you came from Netherland」とは小生の反応。そして条件反射的かどうかは知らないが小生とっさにこう応えた「ボス」とすると、周りにいた連中に「ブッ」と噴出し笑いが生じたが、場合が場合だけに遠慮がちに、それでも笑いを我慢しきれない表情で小生にウインクを『何だか分からないけれど、何か面白い事でも言ったかな?』とは小生の反応乾杯の儀式が終了し、全員が席に着くと同時に大騒ぎ。説明されて始めて言い出しっぺの小生も納得できた要は「掛詞」になってしまったのだった「Both」と「Boss」に。気が付かなくて咄嗟に出た反応のほうがジョークというか、ウイットと言うか、皆に受ける言葉になるのは正直初めての経験だった
調子に乗って、こうした英語に纏わる面白い話、特に小生が好んでする笑い話と言おうか、クイズを紹介しようもう何度も説明をしているので、小生の友人連から「またその話飽きたよ」とお叱りの反応が出そうだが、あえて再度御紹介する事とする
クイズは簡単「新婚さんに似合いのサラダは何だと思う」である。
但し、英語で答えを考える事がポイントそうでないと答えを聞いても納得できないからである。「What kind of salads is well-matched one for new couple か new couple’s taste」という様な感じで質問するのかな小生の知る限り、答えは「Salads」とあるように二つ存在する小生が教える答え以外に考え付いた諸兄姉におかれては、是非それをお教え願いたい次の機会に是非使用したいので
第一の答えは「レタス・サラダ」である。レタスだけのサラダ!お分かりかな?そう、「Let us alone(二人だけにしておいて)」だから、当然の答えかもしれない。綺麗に決まりますね。この答えは、英語を母国語として話す人々にもしっかり通用します 実験済みですから 念の為。
第二の答えは、ちょっと危険かも特にクイズを出してあげた相手が女性なら、気を付けて教えないと、答えを言った瞬間に「イヤーン」と肘鉄を喰らわされるかも知れません。それ以上に品の良い答えとは言えないかも知れませんが。つまり、第二の答えは「ドレッシング無しのサラダ」です。お分かりかな「Any Salads But without dressing」が味噌です「Dressing」はやはり掛詞になっていて、本当の食用「ドレッシング・ソース」の意味と、「衣服」の意味との両方が存在しており、この場合には所謂「すっぽんぽん」の方でしょうか小生の経験では、ケンブリッジ大でこのクイズを出し、男性には大いに受けたけど、女性陣からは「はしたないわよ」と、ちょっぴり笑いながら肘鉄を頂戴しました
以上、今回は、少しふざけ過ぎてしまいました心からお詫びします
次回からは、この夏に「歴史的革命的政権選択」を実施した我が国国民にとって、今後降りかかるであろう数多くの難問に関して、好き勝手な事を言わせて貰おうと思っている。
長期間に渡り弊ブログを休止しこの間、多くの方々に御心配をお掛けした事を、再度陳謝申し上げたい「再開したので安心したよ」とは、殆どの方の反応心から反省しています
一々数え上げるまでも無く、経済、政治、社会全体が、我が国のみならず、世界的に余りにも「崩壊」に近い現状に、怒りの声を上げるどころか、呆れ果てて何かを言う元気も無くしてしまったこの数ヶ月間、弊ブログ?チャット?を更新する気概も喪失していた。しかし、ここのところ、実に多くの方々から、「生きているの?」とか、「そろそろブログ更新してよ。寂しいじゃん!」とかの、御心配?激励?叱責?を頂戴してしまった。大変に申し訳ない気持ちで、気分一新、弊ブログ再開を決意する事とした次第。これまでの御無沙汰を、どうかお許しあれ。とまあ、そんな大仰に構えている訳ではないのだけれど。
と言うわけで、前回第13回目は、2年振りに参加した英ケンブリッジ大学での経済犯罪に関する国際シンポジウム(本年の主要テーマは『国際経済の混乱と金融機関の弱体化―その責任と更なる情報開示に向けて』)での小生の拙いスピーチ原稿の一部分を参考までに掲載させていただいた。現役時代から通算で二十年近く当該国際シンポジウムに参加してきたが、まさか現役を退いてもスピーカーとしての招聘を受けるとは、自分自身全く想像していなかっただけに、友人の同大B.ライダー教授からの連絡があった時は、正直吃驚してしまった。「どうして小生を?」「どうしてって?当然だよ。昨年は突然の世界的経済混乱で忙しいと思っていたけど、今年は大丈夫だろう。我々はこれまで公的役職を持った長友を招聘していた訳ではない。個人としての長友の話を皆が聞きたいと望んでいたからだよ。是非帰ってきて欲しい。皆が待っているよ!」との事。真の友人たる人物のこの言葉に、涙が出るほど感激すると同時に、これで参加しないのでは男が廃る!パンデミックも怖い(笑)けど、彼等の期待に応えてこそ生きている価値があると(大袈裟だが!)、二年ぶりのケンブリッジ訪問を先々週に実行した次第。真の友人とは、洋の東西を問わず、常に心で繋がっているもの同士を指すのだと改めて実感している。
そう言えば、今回の英国訪問では英国航空(BA)の皆さんに大変お世話になりました。往復ともに行き届いたお世話を戴き、初めての欧州行きだった女房も大感激で、快適安全な空の旅を満喫していた。ロンドン・ヒースロー空港はBAの本拠地、空港内等での諸施設の手配は当然に一番だが、機内での気配りも何時もながら日本のそれと負けていなかった。(BAとは別段何の利害関係もありません。念の為!)
ところで、同国際シンポジウムは、ケンブリッジ大学のジーザス・カレッジのキャンパスを利用して、毎年1回、学生達が夏休みで留守の間に、約一週間に渡って、メイン・テーマに関係する様々な講演やパネルディスカッションが行われるもの。近年では、企業不祥事が世界的に多発した事を受けて、コーポレート・ガバナンスや統制問題等に関連する話題が大きく取り沙汰される事から、参加者も増加の一途を辿っているとの事。聞く限りだが、裁判所・検察・警察・外務を中心とした政府関係者、弁護士、各財界関係者、学者等、延べで全世界九十数カ国、1500人以上が集まると言う。常時5−600人は参加しているだろうか。この間は、学生寮(築数百年?)をフルに開放して参加者に宿舎として振り分け、足りないところは近所のホテルや民家が部屋を提供して応援していると言うもの。例え如何なる国の大臣や検事総長、最高裁長官、更には大使クラスであっても分け隔てなく学生寮等に寝泊りし、地下室の、栓を捻っても「水」しか出ないシャワーにキャーキャー言いながら(皆学生時代に戻っている!)、一方ではシンポジウムでの議論に真剣に参加するという、ちょっと変な国際会議(?)でもある。
因みに、ジーザス・カレッジは16世紀に創設された同大の古いカレッジの一つで、主に民法・商法関係ではコモンウエルズの中心とされていると聞く。本当かどうかは知らないが、ラテン語の聖書を最初に英語に翻訳したのもこのカレッジの前身である僧院であるとか。古い僧院の建物の跡が校舎内に残されているのも事実。面白いのは、このカレッジのエンブレムだ。ケンブリッジ大の各カレッジは、獅子や百合や薔薇等をモチーフにした英国風と言うか、欧州独特のエンブレムが主体となっているが、ジーザス・カレッジのそれは「黒い雄鶏の頭が三つ」という一風変ったデザインで興味をそそられる。調べたところでは、カレッジの創始者である僧侶の名前が「ビショップ・オゥールコック」と言い、「コック=Cock(雄鶏)が全部」に引っ掛けたデザインでのエンブレムだとか。カレッジの正門に掲げられている事は勿論、学生達が着用するネクタイやカフスなど、全てにこのエンブレムが使用されている。同大の某教授によると、「16世紀最悪のジョーク!エンブレムの源を話すのは勘弁して。」とのことで、この話の源は本当らしく、そうした由来を持つ珍しいエンブレムとか。興味のおありの諸兄姉は、インターネットで検索してみては如何?
この国際会議に参加する際の最大の目玉の一つは、夜のディナーである。カレッジの大講堂で行われるのだが、その規模、確認した事は無いが、横幅25メートル以上、縦幅45メートル以上の柱一本も無い大ホール。正面には両脇をユニコ−ンの胸像レリーフに飾られた巨大エンブレムと創始者を含む歴代の学長の肖像等が飾られており、なかなか圧巻でもある。丁度、ハリーポッターの映画の中で出てくる生徒達の食事シーンを連想していただければ間違いは無い。そこに4−500人以上が一堂に会するのだから喧しい事この上ない。ところが、ディナーのMCが何かを大声で叫び、古式豊かな装束(古ガウン?と鬘?)に身を包んだ紳士が現れると、一瞬で会場が静まり返る。すると、徐に始まるラテン語での聖書の朗読、小生は当然ながら何度聞いても何を言っているのかチンプンカンプンだが、最後の「アーメン!」が聞こえると、「あー!これで夕食にありつける!アーメン!」と皆に合わせて大声を上げるのだ。
ディナーが最終に近づくと、もっと面白い事(?)と言っては不謹慎かもしれないが、興味深い伝統的な儀式が始まる。突然にMCが床をドンドンと敲くと同時に大声でこう叫ぶ。「Your Excellencies! My Lords! Ladies and Gentlemen! Please be standing!」と。すると、さあ来たぞとばかり、全員がワイングラスを片手に一斉に立ち上がる。MCはそんな全員の動きなどお構い無しに、もったいぶった声で「First of all, we would like to propose a toast to the Queen!」と叫び、踵をカチンと合わせる。凄い儀式である。特に、最初の呼び掛けの「Your Excellencies! My Lords!」に関しては、最初の頃は吃驚した。「閣下諸侯各位!」であるから、慣れていないとこのディナーには誰が来ているのかと飛び上がってしまう。別段、普通のセレモニーの遣り方だとなるとこれは利用できる。数年前に在日英国大使館でのパーティーで、乾杯の挨拶を依頼されたときにこれをやってみたら大いに受けた。特に英国人にだが。フランス人やドイツ人とこの話をすると、小生と同じ感覚なのか一斉に笑い出す。
次は、乾杯に纏わる笑えない実話を紹介したいが、長くなったので、次回という事にしたい。乞う御期待である。
]]> 間もブログをサボっていた事世の中の余りのメチャク振り、怒り心頭というより相当に呆れ果ててしまって文句すら言えなくなっていましたに対するお詫びと言っては何ですが、以下に、今回のケンブリッジ大での小生のスピーチ原稿を和文と英文とを掲載します御参考にどうぞ
Destabilization of Financial Institutions – culpability and accountability
金融機関の弱体化 − その責任と説明義務について
最初に、我が友人であるバリー・ライダー教授や関係者の皆さんに、当シンポジウムに再度招待を戴いた事を心から感謝申し上げたい。小生にとって、今回の参加は二年振りの事であり、これまでの参加を通算すると既に20回以上になるだろうか、沢山の古い友人たちの変らない、いや、それ相応に年はお互いにとったが、元気な顔を拝見して、安心もし、懐かしくも思っている。
ところで、当セッションの討議テーマである“Destabilization of Financial Institutions”は、正しく時期に適ったものであると信じる。既に、このセッションでも、多くのスピーカーが指摘し、分析しているように、今回の歴史的ともいえる未曾有の世界的経済混乱の引き金を引いたのは、正しく米国のみならず、世界中の金融機関であり、彼らが「サブプライム・ローン」の証券化という、一種のマネーゲーム的な動きに現を抜かしたからに他ならず、最も問題なのは、その実態が「崩壊」の足音が聞こえるまで正確に開示されていなかった点である。一部には、崩壊寸前まで到達していたグローバル・インバランスの歴史的調整のために今回の100年に一度と言われる経済混乱が生じたとする向きもあるが、「引き金」を引いたのは金融機関の行き過ぎたマネーゲームによる崩壊である。
今回の前の市場混乱は、御記憶の方が多いと思うが、エンロンやワールド・コムの崩壊によるリセッションであり、その当時も、情報開示の強化やコーポレート・ガバナンス及び内部統制システムの強化が強く叫ばれた。それから僅か7−8年も経過していないのに、再度、と言うよりは、今度は歴史的にも強烈なリセッションの嵐が全世界的に吹き荒れる事となろうとは、一体誰が予想できただろうか。一体、企業の情報開示に関する規範は、充分に手当てされていたのだろうか?思い出すのは、2000年頃の米ウオールストリート・ジャーナル誌がエンロン事件以後においてコーポレート・ガバナンスに関する特集記事を掲載したことだ。そのエディターズ・ノートで、「従前、市場が活性だったときに、ウオール街を歩く人にコーポレート・ガバナンスに関するインタビューを試みると、『corporate what?』という聞き返しがあったものだが、いまやそんなことを聞く人は誰もいない!」と記載があった。その後直ぐにSOX法が施行され、PCAOBの活動も開始された。依頼、昨年初頭まで、アングロ・サクソン流米国ガバナンス・スタイルが最上のものと持て囃され、これに反するシステムは「駄目」の烙印を押されてきた。果たしてそうだったのだろうか?リーマンブラザーズ社には、GMやフォード社には、社外役員が存在し、彼等が社内役員などの暴走等を充分に監視していたのではなかったのだろうか?エンロン騒動後7−8年で「やっぱり」再発してしまった。世界における開示制度や気は設定上、何かが不足しているというのだろうか。
小生は、従前、東京証券取引所において市場に関する最高規制責任者を務めていた関係で、この数年間で上場会社に対する情報開示体制の充実やコーポレート・ガバナンス及び内部統制システムの整備に関する制度の導入に尽力してきた。
例えば、数年前には、全上場会社に対して、「コーポレート・ガバナンスに関する報告書」の提出を義務付け、自社が考える当該制度に対する考え方や、取締役及び監査役に社外役員の導入を図っているかどうか、それら社外取締役等の独立性について開示することや、社外役員の取締役会等への出席状況についても開示してもらうこととした。なお、これらの報告書は東京証券取引所のホーム・ページ上で英語でも公開されており、更に、XBRLを利用して、各種データの検索や他社との比較を容易にするためにソーティング・システムまでも導入し、利用者の利便性向上を可能にさせている。これは、世界でも初めての試みとなっており、各国の機関投資家をはじめとしてアクセスが頻繁で、株主総会における議決権行使のための補助資料として使用されているので、ご興味ある方は是非東証のHPにアクセスしてみてほしい。余談だが、小生も、今では、三菱商事を始め、数社の社外役員を兼務しているが、特に、各種会議への出席状況に関しては相当気を使っており、自らが設置した制度で自らが苦しむという事態に陥っている。笑えない話だが、他の仲間達から、冗談半分にではあるが、この制度導入に関するブーイングを受ける日々である。
更に、本年3月期決算会社を対象に「財務報告にかかる内部統制報告書」の提出が法律上義務化された。これは、米国のSOX法をモデルにしたものだが、米国と異なり、監査費用の暴騰を抑制する観点から、イン・ダイレクト報告、つまりは、会計監査人が直接社内の内部統制システムを監査せず、経営者自らがこれを監査し、当該システムが有効に機能していることを宣言する「確認書」の提出を別途義務付けるという手法である。但し、殆どの上場企業の経営側としては、自らが行う社内体制の監査には不安が付きまとい、また、監査法人もその有効性を社内監査のみの報告で良しとする事には躊躇したため、初年度でもあることと重なって、結果的に監査費用の暴騰は抑えられず、大企業では、数十億円の監査費用が発生したところもある。しかし、この内部統制報告書の提出義務化に伴い、各社それぞれが充分な準備作業を行った事から、自社内のコンプライアンス体制や経営執行状況の再確認の為にも有効に機能したようで、3月期決算末を迎えるまでに、各種体制の不備が発見され、それらの再整備を整えた上場企業も多かったようである。ある新聞社の調査では、今回の制度スタートに当たって、内部統制システムに重要な不備があると指摘を受けた企業は、全体の2%、つまり、報告書提出対象企業2,672社の内56社であったとの事。但し、これらの企業の財務報告書に欠陥があるという事ではなく、飽くまでも、当該報告書作成に関する社内体制に重要な不備が存在するという指摘であり、経営者側としてはこれらの不備を火急且つ速やかに修正する義務が生じているというものである。今後、この制度が定着するに従って、日本企業の財務報告書の真偽性が向上し、企業行動に関するインテグリティも同様に大きく向上するものと期待される。
問題は、企業情報の開示に関して、更なる向上を図るためには、如何なる情報開示を強化させるかである。何時においても同様に論議されるのは、ガバナンスや内部統制に関する情報である。法規範や取引所の自主ルールで如何に規制を強化しても、企業経営自体のインテグリティを確保することは困難であり、各社の経営者自らが自社の社会的存在意義を認識し、これを引き上げるべき普段の弛まぬ努力を続けることが重要であることをしっかりと認識しなければ、規範そのものは何の意味も持たない。小生がこのシンポジウムで何度も強調しているように、「如何に立派な箱を作っても、それを動かすのは人間そのものである」と言う事である。そこで、如何なる経営体制を構築しているか、それこそが重要な「知的資産」であり、その情報開示を推進させ、投資家はそれを監査対象とすることで真の意味での資産保全に資するということになる。
Destabilization of Financial Institution
- Culpability and Accountability-
The 27th
on Economic Crime
31st August 2009
Mr. Eisuke NAGATOMO
President & CEO, EN associates Co., Ltd.
Visiting Professor,
Ladies and gentlemen and distinguished guests…
First, let me express my deep gratitude to all of you here today, and in particular to Professor Barry Rider, for giving me this opportunity to speak in front of you at this symposium. Though I was unable to attend last year, I have had the privilege of participating in the symposium more than 20 times. It is a great pleasure to see all of you here once again, and to find you well, prosperous, and ageing gracefully.
I am going to speak about the theme for our discussion today, the “Destabilization of Financial Institutions – Culpability and Accountability.” This, I believe, is a very timely and useful topic at this time. Many speakers before me have pointed out and analyzed the background and causes of this unprecedented financial turmoil. Accurately speaking, the causes are not confined to the
As many may remember, this economic turmoil has ties to the recession triggered by the failures of Enron and World Com earlier this decade. When those behemoths collapsed, many cried out for enhanced information disclosure and corporate governance. And now, after the passage of only seven or so years, another economic recession, one far more devastating, has hit. No one had expected that an even harsher recession would prevail globally so soon. Can we say that the codes of corporate conduct have been fully satisfied by the practices of corporate information disclosure?
I remember reading a feature article on corporate governance in the Wall Street Journal just after the outbreak of the Enron Scandal. In a side note, the editor observed, “In interviews on corporate governance when the market was buoyant, some businesspeople asked us, ‘What’s corporate governance?’ No one today would ask that question.”
Soon after Enron, the Sarbanes Oxley Act took effect and the PCAOB started playing an active role. From then through to the beginning of last year, the mainstream style of Anglo-American corporate governance was applauded as “best practices.” Any system departing from US corporate governance was labeled defective. Was this really the case? At Lehman Brothers and Ford Motors, the outside directors must have monitored the stewardship of the managements and taken steps, as outside directors, to prevent any unreasonable activities of the corporate executives, officers, and employees. In the seven or eight years since the Enron scandal, a similar catastrophe has recurred. The disclosure system adopted worldwide is clearly deficient in some way.
I used to be a Chief Regulatory Officer at the Tokyo Stock Exchange for the marketplace operated by the TSE. In that position, I focused my efforts on the enhanced disclosure system, the development of corporate governance, and internal control practices at listed companies.
As an example of control practices, the TSE has begun requiring that all listed companies file a “Report on Corporate Governance” with the exchange. The Report mandatorily includes disclosures as to an individual company’s notions of corporate governance practices, the assignment of outside directors or auditors, the independence of directors, and the frequency with which outside directors and auditors participate at the meetings of the Board of Directors. The Reports are now available in English on the TSE home page.
Moreover, the adoption of the sorting system through XBRL, a platform which enables easy information retrieval and easy comparisons among listed companies, has greatly improved convenience for users. This is the first adoption of XBRL anywhere in the world for this type of disclosure system, and a growing number of interested parties from all over the world have been accessing the XBRL formatted information, including institutional investors. This information has been used to supplement materials for voting at general meetings of shareholders. If you are interested, please visit the TSE home page.
By the way, I now serve as an outside director at several companies, including Mitsubishi Corporation. As you may expect, I take extreme care never to miss an important meeting. I am the person who initiated these systems. Now it is extremely important to me, in my current role, to ensure that these systems achieve their objectives.
Acquaintances nowadays teasingly ask me why I introduced the system. I know they’re kidding me, but they’re also half serious.
Starting from the fiscal year ending on March 31, 2009, every listed company will be required to file a “Report on Internal Control over Financial Reporting.” This has emulated the US SOX Act. It is largely the same as the
The issue facing us has to do with the information itself. What categories of information should be improved in order to further enhance the corporate information disclosures? There is always ongoing discussion on how information on governance or internal control should be provided. No matter how restrictive regulations are through the legal codes or voluntary rules set by the stock exchanges, it is difficult to achieve managerial integrity. Unless a management is aware of the significance and meaning of its company’s presence in society and is determined to continue striving to improve that awareness, the legal codes have no significance. I have stressed many times, and I may reiterate here again, that when a superb box has been built, it takes a person to move it. The design and configuration of the management system is truly an “intellectual property.” By promoting disclosure of information, we contribute to the conservation of assets as investors audit the information disclosed.
As for the strengthening of disclosure system, I would like briefly touch upon and introduce you an activities of newly established WICI, the World Intellectual Capital/Assets Initiative Network.
As I have already pointed up, globalization of social activities and advancement in technology give great impact on corporate activities. Especially, the economic crisis which took place from the end of 2008 requires great reform in reliance and transparency of information, communications, or governance. Corporate management, transparency and credibility on disclosure, communication strategy and governance must change to meet the social requirement of 21st century. Strategic usage of intellectual asset, for example, human resources, knowledge, or brand, influences the existence of a corporation. It is deeply related to corporate responsibility. Intangible asset is the most important resource for organization’s sustainability. Of cause, it is very difficult and complicated time to think about new opportunities. The global financial market meltdown and ensuring economic recession both demonstrate the need for greater transparency. This includes especially by financial institutions which need to provide more disaggregated data for both internal and external reporting purposes.
WICI, the world’s business reporting network, which was formed just in November 2007, is a private and public sector partnership for improving the reporting of intellectual assets and capital and the Key Performance Indicators (KPI) that are of interest to shareholders and other stakeholders. WICI was created to ensure the wide dissemination and active use of the voluntary WICI framework and industry specific key performance indicators on a global basis.
There is this interesting opportunity that emerges from the fact that most companies’ stock prices have decreased by 40% to 50% in markets all around the world. There is an emerging consensus that the markets have overreacted in the particular circumstances due to macroeconomic factors which have put severe pressures on short-term earnings. If you think of the short-term as the next year or tow, the challenge for companies is to demonstrate to investors their earnings potential three or more years into the future. This cannot be completely demonstrated by increases in earnings over the short-term. Therefore, by being able to provide more information on things, companies will be able to better explain their current performance and future prospects in a period of depressed earnings.
The current challenges of WICI are to change the short-term oriented attitude of shareholders. Investors, companies and regulators are understandably preoccupied with current crisis but also need to keep a long-term perspective. In order to do so, they all need to focus on measures that are relevant for the longer-term. A longer-term perspective is also necessary to address other pressing issues, such as climate change where companies have to set goals that are beyond the one to two year time frame of most investors, with many having an even shorter-term orientation than that. And also, getting attention to a broader and more relevant set of performance measures is further complicated by the fact that controversial accounting issues are a subject of much debate. One concerns issues in the convergence between IFRS and US-GAAP, including whether convergence is a good idea or not. Another topic of hot debate is the use of fair value. There is a big question if the fair value accounting really increases the transparency in companies’ disclosure. When using the fair value method, volatility is always the issue. However, the mechanism of enforcing transparent disclosure by using the framework applied to non-financial information might help to put short-term volatility into perspective.
In terms of future opportunities of WICI, there is a group called The Market.com, which was established in the
I sincerely hope such information regarding WICI is useful for you all indeed.
Thank you for listening to my remarks.
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いずれにしても、この経済低迷状態は如何ともし難い事は御存知の通り。
本日、大半の企業が決算期末を迎える。
決算の中身は、多分、いや確実に相当厳しいものとなるだろう。また、株価の最終値も大いに気になるところだ。資本主義社会の基本要素は、原油・為替・株価と言われる。その三要素とも、如何にも不安定さを取り戻していない事は周知の事実。
そんな中、今日の報道では、雇用情勢の更なる悪化を如実に示す結果が伝えられていた。
2月の完全失業者数が299万人(前年同月比+33万人)と大幅に増加、季節変動修正済みの有効求人倍率が、前月比0.08ポイント減少して0.59倍となったとも伝えている。下げ幅は、昭和49年12月の第一次オイルショック時以来の事だとか。
何もかもが(ワースト)記録尽くめの昨今、これまで積極・有効的な財政出動策を講じず、景気悪化を肌身に感じずに来た我が国の政策の大幅遅れが、この後の先行きにこれまで以上の大きな不安感を与えている事は否めない。
「雇用の確保」の為の施策が最も大事であり、これ無くしては消費の拡大=内需高揚に繋がらないし、世相不安の解消にも繋がらないと考えてきたが、企業業績の一段の悪化、それどころか、恐らく戦後最悪の結果が後1ヵ月後程度で明るみに出始める。そして、場合によっては、正社員も含めた更なる雇用喪失と本格的なサブプライム問題の発生に繋がるかもしれない恐怖を感じざるを得ない。
思わず、都都逸の「♪梅は咲いたが♪♫、桜は♪未だかいな♫?」を捩って、タイトルのように歌って恐怖感を誤魔化すか、とでも考えないと、我が国の先行きに対する不安感に耐えられない気持ちでもある。こういう感じは一人小生だけで、共感する読者諸兄姉は居ないだろうか?
そうした中、新たな不安材料が懸念され始めた。
この世界的な経済不況と需要の極端な低迷で、外需頼みを継続してきた我が国企業の決算数値は未曾有のものとなろうが、それに追い討ちを掛けて来ようとしているのが、「保有資産の再評価」に関する問題だ。
不動産や知的資産関係は言うに及ばず、特に有価証券の時価評価替え問題等に端を発する巨大な「減損額」の計上により、例え、本業での決算を漸く黒字で閉められたにも拘らず、結果的には巨大な赤字額を計上せざるを得ない企業が相当数出てくる事への懸念だ。
監査側も、これまでの対応を一変させ、厳しい評価を下してくる可能性が高いと噂されている。
「減損」の計上を余儀なくされるのは、著しく資産が毀損し、しかも、当該評価が一時的なものと認められない場合とされており、その具体的基準は必ずしも明確ではない。米国基準でも同様だが、一般に取得価格よりも下回った場合には、明白な理由の無い限り自動的に減損対象とされるケースが多いとも言われている。
我が国では、一般に50%を上回る減少は自動的であり、それ以外は、企業によって20若しくは30%−50%減の場合に関しては、継続期間によって減損対象の是非が判断されているケースが通常である。
有価証券の場合には、特に時価が明確である上場証券に関して、今後は企業側と監査側とで激しい遣り取りが予想される。
何れにせよ、市場における事実を鳥瞰するに、指数だけを見ても、この1年間で50%OFFの市況である。
三月に入り、最初の2週間は7、000円台ギリギリの攻防を繰り広げていたが、月末が近づくにつれ実に20数パーセントの値上がりを記録しているように、ボラティリティーは高い。一時的な下落だか、回復可能性の無い株価だか、その先行きは全く不透明だが、現在株価のみの判断で減損を余儀なくされ、その結果、大幅赤字を計上する企業が続出する事だけは大いに予想される。
数字上の評価変更のみで、キャッシュフローには全く関係無いにも拘らず、しかも、例え本業で収益を計上していても、この減損で赤字を申告する事になる。
その結果、何が問題となるのか。
この景気低迷で、唯でさえ企業決算の悪化から、法人税収の大幅悪化が確実に予想されるが、それに輪を掛けて、これまでに無い大幅な減損額計上による「表面的な」赤字幅拡大で、我が国歳入に関して予想以上の大きな暗雲が、歴史上無いほどの規模で、立ち込める事になる事への不安感だ。
法人税のみでなく、雇用悪化=給与収入削減と消費低迷等による歳入悪化も当然に予想される。
景気対策関係に係る財政悪化を懸念する前に、根本的な財政悪化を懸念せざるを得ない状況に陥るという、本当の意味での未曾有の事態が訪れるかもしれない。
この懸念に関して、友人の某氏は、「国家財政はまだしも、地方自治体の財政逼迫は未曾有の事態になるかもしれない。」と言う。
「国家の場合には、いざとなれば、極端な話、赤字国債を増発する事が出来るが、地方ではそう簡単な話ではない。」
事実、現在では、前納分の法人税の大幅還付請求が相当額に上る事が予想され、これに耐えられるのかどうか、各自治体では、その対応に躍起になっているとも聞く。大都市は当然に、工場等を有する自治体にとっては文字通り大きな問題であり、場合によっては、北海道の某市のような事態に追い込まれるところもあるかも知れない。
未曾有の混乱が未だ続くという嫌な話。これを早期に解決し得る決定的な施策は、恐らく、存在しまい。中長期的な経済再建策を官民一体となって打ち出す事、これ以外にはあるまい。
その場合には、「既存の常識的な概念を創造的に破壊し、新たな価値の創造に勤める事」を重要視する必要がある。
米国のオバマ大統領が「グリーン・ニューディール」政策を出したからといって、その受け売りで「環境保護」産業の育成を目玉に挙げて騒いで如何すると感じる。
確かに、その面での技術革新は大いに期待されるところだが、現在の我が国での技術=暗黙知は世界に冠たるものの一つと信じている。
様々な国で、「我が国のインフラ整備等に対して、何かをしてくれる企業」が求められているという。「ニーズを掴め!ニーズに応えよ!」を合言葉にして、勇気を持って前に出る努力を怠らない事だ。我が国だけでなく、世界中のあらゆる国・企業がこれに取り組んでいる。
ピンチはチャンス!その為にはチェンジを!簡単なようでこれが一番困難かも。
友人のピーター・タスカ氏の言葉を思い出した。「大事な事は、若者のやる気と熱情に応える社会作りをすべきだ。アントルプルヌア(起業家)よ、奮起せよ!」と。
❀❀真の桜の花の開花を心待ちにしたい❀❀
そんな中、昨日の夕刊でガイトナー米財務長官が、「G20の会合で、加盟各国にGDP比、最低2%の財政出動を要請」との情報が伝えられていた。
我が国の対応は、他国と比較して「遅すぎる」と何度も主張してきた。
彼のオバマ新大統領率いる米国は、就任以来25日で、総額7,872億ドルに上る「米国再生再投資法(ARRA:American Recovery and Reinvestment Act)」を成立させた。
ARRAは、2,766億ドルの減税、2,420億ドルの地方政府財政補助、2,686億ドルの公共事業の三本立てで構成されている。各項目が如何なる仕組みで「雇用創出」に繋がるかが明らかでないとか、財政赤字の拡大が懸念されるとか、旧来然とした各種の批判があるが、何処かの国のように、現実に生じている事態を理解しようともせずに、国民不在の政争を続けているより、遥かに信頼が置けると感じているのは、小生一人だけだろうか?
ところで、こうした未曾有の経済危機の話に関連して、先日、お二人の先輩方から貴重なお話を伺うことが出来た。
曰く、「ピンチはチャンスだ!」、「チェンジとチャンスの関係が重要だ!」と。
尤も、これだけでは何の話か、読者諸兄姉にはチンプンカンプンの事だと思うので、以下、この話の具体的内容を紹介し、参考にして頂ければと思う。何れにせよ、部下や社員の方々、お得意先との話のネタにはなるのではないかと考える。
「未曾有の経済危機」は現実としても、だからといって、何でもかんでもシュリンクして動きを止めてしまうのでは、「座して死を待つ」という事と同じである。注意深くリスク・チェックをしながら、新しい価値創造へ向けて努力を続け、競争力の強化をもって業務の拡大を実現する。
ピンチの時こそ、却ってチャンスが存在するというのは自明の理である事は、今更強調する必要も無い。但し、チャンスを掴むには、今までと同じ思考形態・行動では、「新しい価値創造」は具現化できない。これを可能とするには、これまでの「既成の価値観」を創造的に破壊する必要がある。
彼のシュンペーターが、その著「経済発展の理論」の中で、以下のように主張している事でも理解できる。
曰く、「最適配分や均衡よりも、イノベーションの新たな指標の導入、或いは新たな指標の組み合わせによって起こる不均衡こそが既存の枠組みを創造的に破壊し、経済発展を促す新たな価値創造・知識創造に繋がる。」と。
要は、「今日は、昨日やった事をやれば良い。明日は、今日やった事をやる!」では発展がないし、新たな価値の創造も不可能である。チャンスを掴むには、これまでの既存概念に囚われた考え方や行動を見直し、真の意味での「改革(チェンジ)」を実現しなくてはならない。歴史的な経済状況であるが故にこそ、この「改革=変革」は必須の条件であり、生き残りを掛けた戦いは、世界中随所で既に始まっている。
困難な戦いではあるが、真の「変革」を遂げたものが生き残るのは当然。
これも有名な話で、確か弊ブログでも何度か紹介したと思うが、彼のダーウィンも「進化論」で、「生き残る種というのは、最も強い種でも、最も賢い種でもなく、正しく、変化に適切に対応しうる種である。」と述べている通りである。
さて、前置きが長くなったが、「ピンチ」=「チェンジ」=「チャンス」の相関関係について、酒の席上での話のネタとして、面白い話を御紹介しよう。
「ピンチ(PINCH)」を抜け出すには「PIN」=「閂(カンヌキ=既成の観念)」を取り去らなくてはならない。「CH」から導き出されるのは「改革(CHANGE)」である。「改革」と「チャンス(CHANCE)」の違いは「G」と「C」のみ。「G」から「T」を抜き出せば「C」に変化する。何処に「T」があるかは理解出来ると思う。「T」を掴めが合言葉。ここからは、こじ付けでも何でもアイデア次第で話は発展する。
例えば、変革にはタイミングが必要。絶妙なタイミング(T)を掴め!とか、「顧客志向」で活動せよ。掴む「T(ターゲット)」は「顧客」である。また、「改革」を実現するには「TOLERANCE(我慢)」が必要。「T」を持て!更に、この「騒乱・混乱(TURMOIL)」を取り除け!とか・・・・・
お後が宜しいようで!
(お詫び)
金曜日夕刻にアップした今回のブログの中で、英文綴りの間違いがありました。
「CHANGE」が「CHENGE」になっており、「何のこっちゃ?」と指摘を多数いただきました。お詫びして訂正をします。
「お後が宜しくありませんでした。」 ごめんなさい!
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3月末の経済主要指数の中でも、為替等の動向は当然だが、資本市場の指数、上場各社の株価が如何なる数値を示すかは、これまで以上に気になるところでもある。
株価の動向如何によって、所有有価証券の評価替え=大幅減損計上の可能性が、今まで以上に大きく膨らみ、例え本業がしっかりと黒字を計上していても、この大幅減損額計上で、結局は大幅赤字を計上せざるを得ない状況となる。
既に相当数の企業が、業績予想の数値を下方修正しているが、サブプライム問題を契機とした需要の落ち込みによる売上高の激減や、為替の動向による収益悪化のみならず、有価証券の評価替えによる減損額の膨大さが、表面的な業績の悪化となる数値の計上を余儀なくさせられている。
正しく、これまで以上の「未曾有の危機」が、これから訪れる可能性を否定できない。
既に、今年に入ってから2月までの2ヶ月で、11社の上場企業が破綻している。単純に計算すれば1年間で60社以上の数値になるし、これは、昨年1年間の33社(過去最多・最悪記録)の二倍以上の数値だ。
公表されたところによれば、本年1月の倒産件数は前年比で+30.2%、負債総額+122.2%(帝国データバンク調査)。
三月期末過ぎに決算数値が確定してくると、監査法人の判断も厳しいものが予想され、今まで以上の数の企業に対し、「ゴーイングコンサ−ン懸念」を理由に、監査意見不表明が出される可能性がある。
当然に、これを受けて、現在必要以上に神経質となっている金融機関の反応は、考えるに空恐ろしいものとなるが…。
今日は、遂にダウ7,000円台の攻防戦に入った。今週がSQ到来なので、それを越えてから「?」台を試すという「恐ろしい」話も聞く。
未だ我が国が経験したことのない、新たな不況の波がじわじわと押し寄せる気配を感じざるを得ない。
経営不振も然る事ながら、単なる資金繰りで民事再生や清算手続きを選択せざるを得ない企業の続出や、生産調整などの理由から、正社員の解雇等が更に激しくなると、本当の意味での「サブプライム問題」=「住宅ローン等を組んでいる労働者が、ローン支払い不能になり、一般的な信用不安が生じること。(米国の問題は、そもそもこれからスタートした)」が発生し、我が国でも今まで以上に深刻な世相不安として国民の生活を直撃する可能性が高い。
それだけに、政治に携わる方々に対し、党利党略に拘らない、出来る限り早期の、一致団結した「国家経済の再建にむけた効果的・具体的施策の実現」に御努力を願いたい。
曰く、『この経済混乱の最中でもそうだが、結果的に「失われた20年」とも言われる平成の時代に、バブル崩壊の跡を何時までも引き摺り、政治は何ら成すすべも無く無為に過ごし、結果、経済成長が停滞し、金利もゼロ近くを続けている自らの国を如何に考えているのか?
メディア報道を垣間見る限り、この混乱の中でも「へらへら笑う顔」が多く見られる。誰かが何かをしてくれるだろうとの期待感のみで、自ら努力することを怠っている。 政府批判が高揚し、政府や政権与党たる自民党支持も漸く停滞してきたとはいえ、無為無策の政府に対しての断固たる抗議行動が発生する兆しも見えない。年末の派遣切り騒動は何だったのか?今正に、正規社員の職場確保も危うくなっているというのに、国民の殆どは見ているだけだ。生活の安定=雇用の確保が無ければ、消費も上向かないし、購買意欲が生じるはずも無い。
経済の活性化が再建されなければ、財政再建など不可能で、「増税」の言葉も虚しく聞こえる。それなのに、政治の世界では、必要な施策を打ち出すことも無く、一方で、また「(将来の)消費税引き上げ」という「財政再建」を旗頭とした奇妙な政策に終始している。
これだけの混乱と絶望が継続すれば、他の国であれば「革命」は極端としても、騒動やクーデターでも発生しておかしくないとも言える状況なのに。日本人とは、如何なる民族なのか?「大人しい」という言葉では片付けられない、「奇妙」な国民であるとの感を強く持つ。 明治維新を具現化し、一時的にせよ世界に覇を唱えた日本は、今正にどうしたのだろうか?』との事。
「あんた達にそんなこと言われたくないね!勤勉で我慢強く、平和を愛する性格の国民だから、一時的な困窮で大騒ぎをするものではないのだよ。
将来を見据えて必要な改革を我慢強く続ける、それが外から見ると理解できないだろうけど、事実、我々全てが「腑抜け」状態になっているのではない!今正に、リスクを覚悟で、新しい価値創造に向けて積極的に活動しているのが日本だ。全てがシュリンクして、内に閉じ篭っているのみでは何も解決出来ないという事は自明の理であり、誰もが明白に理解している。」
そう反論するのがやっとだったのだけど、本当にそう信じていいのだろうかとの疑問がわいたのも事実だ。
前回、「信実を見抜く目を持とう!」と主張した。ところで、現在の我が国の、我が民族の「真実の姿」は何だろうか。改めて、自問自答してみても、自信のある答えが見出せなかった事も、小生としては忸怩たる思いである。
奇しくも、本日(10日)付の夕刊で、オバマ米大統領の景気対策法案に掛ける考え方が伝えられていた。公式会見での発言で、曰く、「何もしなければ、雇用や所得が失われ、経済危機は破局に至る。(1990年代の日本の停滞に触れて)迅速に行動しなかった為に『失われた十年』と呼ばれる不況を経験した。」と、日本の失敗に学ぶ必要性を強調したとか。
オバマ閣下、貴下に言われたくなかったな。
でも、確かに、雇用や所得が失われていく一方なのに、未だに効果的な政策一つ具現化出来ず、いわば「何もしない」に等しい我が国政府の状況は悲しい限りに尽きるかも。 言われたくないけど、先の「研究」ブームも、段々と理解できるようになってきたかも??
確かに、今回の米国の「改革」=有色人種(白も色の一種とは思うけど?)の大統領の誕生は、建国以来初の「大改革」と言っても良いかもしれない。しかも、その就任時期は未曾有の経済混乱のさなかである。
「Yes, we can change!」の合言葉の元での改革の実施は、根本的な大変革を米国にもたらすかも知れない。
就任式の演説を読み返すたびに、その思いを強くする。何処かの国の宰相もこのくらいのことを演説してくれないかなと望むのは無理なことなのだろうけれども。
18分間の就任演説で感銘した部分は相当あるが、以下の点は出色に値すると勝手に感じている。つまり、「米国が現在直面する国際対テロ戦争と経済危機は深刻だが、米国民は歴史的にこうした難関を乗り越えてきた。
現在の状況は、少数の政治の指導者の誤った判断と、米国民自身の厳しい決断の先送りがその主たる原因である。今こそ心機一転して難題に取り組む勇気が必要だ!」と述べた。更に、この未曾有の困難を克服する為には、勤勉(Hard work)、誠実(Honesty)、
勇気(Courage)、公正(Fair play)、寛容(Tolerance)、
知的好奇心(Curiosity)、忠誠(Loyalty)、愛国心(Patriotism)
と言った、「米国の伝統的価値観」が最も重要であり、これらを持ってすれば、米国の早期再生は可能だと力説している。
ちょっと待った!
日本の「伝統的価値観」とは、確か、オバマ大統領が指摘したもの、それそのものではなかったのだろうか?我々、日本人は「他人事」のように、オバマ新大統領の演説を聴いていたのだろうか?
誰一人として、そのことに言及したことは無かったと、小生は悲しいかなそう思っている。少なくとも、近代における我々の祖先たちは、こうした「価値観」を持って世界に羽ばたいてきたのではないだろうか。
明治維新を素早く成し遂げ、我が国を当時の欧米列強の植民地化から救い、その後にも、数多の困難や間違いはあったにしても、国家の近代化を具現化させた多くの先輩たちから受け継いだ「熱情」は、我々国民の間には未だ衰えてはいないと心から信じている。
60年余前の敗戦を契機に、真の民主主義国家へと変革を遂げ、その後の経済復興を我武者羅なまでの「伝統的価値観」を基に、我々の先輩たちは世界有数の経済大国に我が国を止揚して来た。
小生も団塊の世代の一人として、その小さな一翼を担ってきたと自負している。勿論、70年代安保の学生運動に参加し、大きな挫折を味わったものだが、未来を見つめ、この国を信じる故の活動であったと今でも真にそう思っている。その小生ですら、「伝統的価値観」に基づいた熱情は未だに消失していないと思っている。
こういう発言をすると、「右翼的な考え方」ではないかと短絡的に批判する輩が多いが、国の将来に掛ける気持ちに「右」も「左」も存在しない。在るのは、先の「伝統的価値観」のみであり、これを、オバマ大統領に言われたのには、「負けた!」感が強い。
今、何故に「日本民族研究」が密かなブームか?小生も、再度、自分で自分を分析してみよう。読者諸兄姉も、一度考えてみたらどうだろうか?
何れにせよ、この経済混乱は、本当の意味で「未曾有」の事態になりつつある。
打開する方法は、唯一、新しい価値=付加価値(何時も行く飲み屋の店長の言では、「単なる在るが儘のサービスを提供するのではなく、客の求める『もの』を提供することにより、客の満足と喜びを引き出し、心を豊かにするサービス」がそれであるとの事。 蓋し名言!)の創造を、例え血反吐を吐いてでも具現化させ、もう一度我が国の技術(暗黙知)を世界に役立てる努力をすることにより、新しい需要の確保を目指すことだ。
それにより、生産が活性化され、雇用の確保も具現化される。その為には、今こそ、国民一人一人が「我が国の伝統的価値観」を目覚めさせ、勇気を持って前に出る事ではないかと、真剣に思っている。
それだけに、我が国企業にとっても、そもそも「企業価値」とは何かについて、基本に立ち返って考えるべき時が来たように思います。自らが世の中に何を生み出して存在価値があるかということです。
翻って考えるに、例えば、海外の政府系ファンドに出資を促すためには、過去の収益がどうとかの説明のみではなく、その国に対して自ら何が出来るのかをIRの主眼とする必要があると考えます。太陽誘電や風力発電に代表される環境に優しい新エネルギー創造の技術提供、砂漠の緑地化技術や農耕産業の活性化技術、国民相互の緊密なコミュニケーションを可能にするIT技術、国民の健康管理面で威力を発揮する新技術等、旧来の頭しかない小生ではなかなか思いつきませんが、イノベーションの創造、イノベーションの新たな組み合わせによる新しい価値の創造に勇気を持って取り組めば、具体的創造物を生み出すことは可能ですし、それを「PR」する事で、また新しい道が開けるのではないでしょうか?コーポレート・ガバナンス問題の真髄は、この点にあるのです。
我が国企業の有する「暗黙知」=「知的資産」は他国に勝るとも、劣るものでは決して無いと信じています。今こそ、未来を信じて、恐れることなく、先に進む勇気を持つことが求められていると心底思っています。
小生が信奉する高野山大僧正、大阿闍梨先生のお話によれば、今年は、十干十二支では「己丑(つちのとうし)」に当たるそうです。「己」という漢字の意味は、曲がりつつ起きたつ様を表しており、植物に例えると、「若芽がむっくりと起き立つ様子」を表しているとか。また、「丑」は、手を曲げた姿を表す象形文字だそうで、植物に例えると、「地下で、屈曲して伸びかねている様子」を示しているとか。つまりは、この二語はお互いに相反する状況にあることを示しており、残念ながら、今年は成長のエネルギーが一つに纏まらず、集中力に欠ける年になりそうだとか。そうなると本当に困りものです。
前途多難な年ということは十分に認識していますが、何とか皆で心を一つにして頑張って、困難を克服する足掛かりの年にしていきたいものです。
そうは言っても、果たしてどうやって?如何にしてこの困難を克服していくか、当然に大命題はその事です。
しかしながら、先にも言ったように、既存の価値観が根底から覆り、または否定され、更には、旧来の経済原理も崩壊したかに見えます。
巷の経済学者や評論家と称する人たちが、何やら仰っていますが、「では、数ヶ月前に御自身は何を予想されていましたか?何をアドバイスしていましたか?」を尋ねたい程です。この世の中の誰が、例えば、原油の先物価格が170強ドルだった昨年9月下旬から、僅か三週間足らずのうちに40ドル前後までクラッシュすることを予想しえたか、誰が、リーマン・ブラザーズ証券の一瞬の崩壊を予想しえたか?万一予想し得たとしても、誰が今日の事態を防御しえたか?答えは何れも「否」であることは御承知の通りです。
思うに、今こそ、目の前の様々な動きを通じた「まやかし」に惑わされること無く、「真実を見抜く目」を養う必要があると強く思います。「真実」は何かを洞察すれば、自ずと「先行きに対して何をすべきか」の問いの答えが出てくると考えます。
政治に関する問題にしても然り、マスコミの一方的な報道を鵜呑みにすることなく真実を見つめる、経済の混乱に関しても、何が自らに求められているかを正確に把握し、世のニーズに応える努力を続ける、そこに必ず光明があると信じる力を有する事だと思います。
「最適配分やバランスといったものよりも、新たなイノベーションの導入、または組み合わせによって、既存の価値を創造的に破壊し、新たな価値創造に繋げる、そこに経済発展の道がある」と、某経済学者が半世紀前に主張しましたが、全くその通りでは!
「真実は何か」を見つめて、それを正確に把握し、的確に対応すること、そこに再生の道があると信じて頑張りましょう!
変わらないのは、政治の世界なのかも?現状を見つめずして、相変わらず、「党利・党略」に奔走する姿を見るにつけ、呆れるよりは、悲しくなってしまうのは、一人小生だけでしょうか?
日本の「国体」維持、それそのものが危うくなってきているような現下の経済情勢です。給付金対応で消費の拡大(?)を模索するのも良いけれど、其の前に、消費を拡大するための基本的施策、つまりは「雇用の安定化」を図ることが最も大事であり、先行きの生活=収入の不安定さに不安を抱えた国民としては、これを第一に優先させて戴きたいと願うのみなのですが。
一人1万円強の給付金(呼び方も疑問ですが?)で、真に生活に困窮する国民を救うことにはなりませんよね。また、消費に使うって、お金に色は付いていませんから、金融機関に回送するのみでは。
2兆円あれば、例えば、貸し渋りに喘ぐ中小企業中心に1,000万円程度の運転資金の供給を実施することで、実に20万社の活動を応援出来ます。500万円ずつでも40万社です。
我が国では、一説によれば、中小企業が抱える雇用が3、000万人以上と言われています。大企業のみでなく、従業員5−10人を有し、わが国経済を根底から支えているこれら企業の活動を基本から応援する施策を出さない限り、雇用の基本的回復は見込めず、消費の拡大=内需の活性化は不可能と考えるのは自明の理と思うのですが。
2008年の負債額1,000万円以上の倒産件数が実に15,646社(前年比+11%)、負債総額12兆3、000億円と惨憺たる有様、上場企業の倒産件数も33社(前年比5.5倍)と記録的数字です。この1年間に失われた雇用を考えると、年末の非正規雇用者の問題に象徴されるように、背筋が寒くなりそうです。
政府としては、現状の明確な認識が無いのでしょうか。全産業ベースで沈滞ムードが漂い、国民全て(「殆どの」と言った方が良いのかな?)が先行きに大きな不安を抱えているというのに、こうした真実の世相を理解していただいてない可能性もあるのではないかと、心底疑いたくもなる程です。
更には、昨今の非正規雇用者対策などに見られるように、東京・名古屋等の大都市圏の問題点のみがメディア等の報道でクローズ・アップされていますが、それ以外の地方都市の惨状(適切な表現かどうかは分かりませんが、それ程酷いと言う事です。)の方が問題と考えます。県庁所在地の駅前商店街で、シャッターが下りている店舗が目立ち、空き地は全てといえるほど駐車場化し、しかも車は殆ど止まっていません。中心街を歩いている人々も数えるほどと、決して言い過ぎではない状況です。働きたくとも仕事が存在しないのが実情で、それに追い討ちを掛けるように金融機関中心の貸し剥がし等で、地元企業の倒産が相次いでいます。雇用は失われる一方で、先行き不安は更に増大しています。
御承知の様に、現在、米国をはじめ、欧州各国でも、中国でも、各政府を中心に必要と思われる施策が矢継ぎ早に出されています。
特に、今月の20日に米国大統領に就任するバラク・オバマ氏は、この経済混乱を回避すべく、8,500億―1兆ドルの未曾有の財政出動と非伝統的金融政策、つまり過去にルーズベルト大統領が大不況脱却に際して採用した、従来の「古典的自由主義的経済理論(政府の市場不介入と最低限の経済政策)」から、「社会民主主義的政策(適切な市場介入とケインズ理論の導入)」を表明しています。
しかも、雇用の確保が優先課題として、「グリーン・ニューディール政策(自然エネルギーへの実質的転換運動)」を通じて500万人の雇用を創出させようとしています。自動車産業の再構築も米国の雇用の確保には必要不可欠と、最重要な課題の一つと捉えているようです。
伝え聞くところによれば、ノーベル経済学賞の受賞者であるポール・クルーグマン教授は、「現在必要なのは政府と中央銀行による救済策。大規模な財政出動や慣例に囚われない金融政策。一時的な財政赤字の急増は躊躇すべきでない。政府がキャスティング・ボードを握っていると認識すべき。手を拱いていると、失業率が現在の6%水準から10%台へと未曾有の状況になりうる。」と述べています。既存の常識や理論が悉く崩壊した現況の打開には、勇気を持った新しい理論の採用が真に必要なのだと言う事を指摘されていることに他なりません。
漸く、昨日、第二次補正予算が衆議院予算委員会・本会議を通過しましたが、これとても、参議院での審議次第で如何なりますやら。「全てが遅きに失した!」という事の無い様に真にお願いしたいものです。
ところで、今回のブログの表題である「Stay hungry, stay foolish(ハングリーたれ!馬鹿であれ!)」という言葉は、世界的に名高いアップル・コンピューター社のCEOであるスティーブ・ジョブス氏が、2005年6月12日におけるスタンフォード大学の卒業式で、スペシャル・ゲストとして招かれ、卒業生に対して餞の言葉として送ったものです。正直申し上げて、この言葉は、昨日、小生に対する知人からの「オメデトウ・メール」に添付されて紹介されたものですが、全文を「拝読」して、凄く感動したものですから、弊ブログでも皆様に御紹介し、当該感動を分かち合えればと「再紹介」することにしたものです。
大学の卒業生向けのスピーチですが、これからの時代の全ての人々に共通するテーマではないかと思います。彼が主張したかったことを小生なりに要約すると、「信念を曲げるな。己の信じる道を唯ひたすら進め。自らが愛する仕事を持ち、それを生涯追求せよ。いつかは誰もが死を迎える。死は、挫折や屈辱に対する恐怖感の全てを洗い流す。そうであれば、少しも怖くない。自らの心の赴くままに生きてはならない理由など存在しない。さあ、勇気を持って前に出よう!」という事でしょうか。
「ハングリー精神を持って生き抜け。他人から『馬鹿』と言われても気にする必要は無い。」素晴らしい言葉であり、小生が常に引用する文天祥の「人生自古誰無死、留取丹心照汗青」に完全に通じるところがありますね。感激です。
スティーブ氏は大学中退、養子に出されて育ち、最初に立ち上げたアップル社を創業者であるにも拘らず放逐され、また、1年程前には末期の癌と宣告されて生還した経歴の持ち主。凄まじい人生ですが、スピーチは淡々としています。英文でも比較的平易な文章なので、容易に御理解できると思います。参考までに、アクセス・コードを下記に記載しました。御興味のある方は是非アクセスして、全文を入手して下さい。
http://slashdot.org/comments.pl?sid=152625&cid=12810404
小生、今年一押しの文章?知っているよ!遅いよ!とのお叱りを覚悟で。
]]>皆様、新年明けましておめでとう御座います。
新年が到来して、本当に単純に「御目出度い」と言えるかどうか、昨今の経済状況や殺伐とした世相の移り変わりからすると、甚だ疑問ではありますが、何はともあれ、元気で一つ歳をとった事に対して、お互いに「御めでとう!」と挨拶しあう慣行は世界共通ですので、素直にお祝いする事が必要であることだけは確かですね。
混迷の時代にあっても、我々人間はしっかりと生きていることを自覚しながら、前を向いて進んでいかなくてはならない事だけは確かですし、企業にあってもこの事は同じと考えます。
ところで、事務所用ではなく、自宅用の今年の「年賀状」で、「正しく、青天の霹靂(?)とも云える百年に一度の『未曾有』の経済・金融市場の混乱の中で新しい歳を迎えることとなりました。こうした騒々しい人間社会の営みとは無関係に、時は常に自然の流れを続け、時の流れに従って我々は歳を重ねていきます!なんて、還暦を過ぎると妙に感傷的になってしまいます。」と御挨拶しました。これは、冗談でなく、案外本質的なことなのかもしれません。
メールによる友人からの新年挨拶でも同じような文言が存在していました。
曰く、『さて、今年の正月三が日、東京では、雲一つ無い快晴となりました。今年の経済天気予報は大荒れという状況とは正反対です。私は、昨年の個人目標の一つに「毎日一度空を見上げる」ということを加え、昨年一年間、366日実行してみました。
この秋から冬にかけて、日本社会は金融危機という大きな問題を抱え、暗雲が垂れ込めましたが、毎日見上げる空は、いつもの年と変わらず、秋から冬にかけて、より澄みわたりました。何事も無かったかのように。100年前も、いや数百年前もおそらく変わらなかったであろう、この冬空を見ていて、今回の極めて人工的な荒波に対しても、やはりビジネスも原点に戻るべしとの気持ちを強くします。(部分引用)』と。確かに、其の通りと思います。
如何なるビジネスにもリスクは存在し、リスク・テイク無しにはリターンはありません。
各企業は自らが得意とする分野でビジネスを展開しますが、必ずしも想定通りには事が運ばないことが多いことは当然です。時として、今回のような想像を絶する大波=津波が押し寄せることも稀にはあります。経営者であれば、損失が顕在化する前に、自社のリスクの状況を適時適切に把握し、可能ならば損失の原因となり得る事象への対策を講じる必要が生じます。 具体的には、自社内全体を検証し、統一的なフレーム・ワークでリスクを計測、管理し、「企業価値の向上」に寄与させる必要性です。この場合に必要なことは、「変化への対応力」の充実ではないかと考えます。
社会の進化=変化の中で、企業が如何なる形で生存し続けるかは大きなテーマでもあります。進化に対応する能力(将来に向けて自らの組織が変化し、適応する能力)が必要ですが、それを如何に確実に検証・把握するかが問われています。
これまでの「理論」や「常識」が、現状において、完膚なきまでに破壊された今日、完璧な防御策やリスクヘッジ策はないかも知れません。それでも、彼のシュンペーターが其の著「経済発展の理論」で明示しているように、『最適配分や均衡よりも、イノベーションの新たな指標の導入、或いは、新たな指標の組み合わせによって生じる不均衡こそが、既存の枠組みを創造的に破壊し、経済発展を促す新たな価値創造・知識創造に繋がる。』との観点は、現状で最も重要な点かもしれません。
特に、企業のサステナビリティの重要ポイントは「新しい知識の創造」にあることは間違いありません。新しい知識こそが「価値の源泉」であり、相対的に過剰感がある資本がこの新知識を求めて如何にレバレッジを高めるかが現行の資本主義の特徴ではないかと考えます。
100年に一度と言われる世界的経済混乱の中で、将来=不確実性を如何に填補するか、この点が重要です。企業の価値創造に影響を与える不確実性を可能な限りコントロールし、将来のキャッシュ・フロー(企業価値)を最大化する経営が、現在最も求められている事です。
この活動を確実なものとするには、情報の収集と、それによる「真実の見極め」です。マスコミ報道やその他の噂等に翻弄されることなく、真実を見る目を養い、真に必要とされる「新しい知識の創造」に邁進する事が、今後益々求められる事となるでしょう。
海外を含めてこのところ毎週のように出張が続き、加えて、小生の生来からのズボラ癖が強く出ていたために、当ブログの更新が遅れ気味になっていた事を先ず始めにお詫びしたい。
羹に懲りて膾を吹き、貸し渋りや貸し剥がしに奔放、本来の役目を放棄した金融機関が存在するのなら、意味の無いばら撒きに近い2兆円の景気浮揚予算の支給方法に論議して時間を浪費するよりも、当該予算を困窮する中小企業中心の緊急融資対策に使用したほうがどれだけ効果的か、火を見るよりも明らかなのに誰も何も言わない。
2兆円の予算、例えば1社当たり1000万円の年末融資に振り分ければ、実に20万社に行き渡る。3人・5人で頑張っている中小企業の運営を支援すれば、その分だけ雇用の確保につながり、国民の安心感がどれだけ増す事か。
このところの倒産件数は、上場企業も含めて戦後最大となっており、それだけ雇用不安が存在すれば、先行き不安に駆られて消費が低迷するのは当然であり、一方で、年末に掛けて、社会不安の増大から犯罪件数も増加するのではないかと真剣に危惧される状況だ。
倒産する業種も、一時の不動産や建設業界のみでなく、小売・飲食中心のサービス業、果ては製造業まで、全産業に及んできた。何年続くか分からない今回の「未曽有」の経済混乱だが、国を支える企業活動の活性化を図り、何よりも先ずは雇用の確保を優先する政策こそがこれほど強く望まれている時代は無いのではなかろうか。
今回の混乱の引き金を引いた「サブ・プライム問題」に関する解説は必要ないほど全ての国民が理解していると思う。日本が他国よりも深刻なのは、経済そのものの脆弱性が完全に露呈しているからだ。
失われた平成の20年間と一般に言われるが、GDPやその他指数の伸びの数値は偽りに近い。因みに、平成元年に銀行に預金した1万円が金利込みで平成20年に何円になっていたか、想像出来ますか?
当然に普通預金で、実に10,479円にしかなっていないという現実。
20年間で「479円」の成長とも言える金額です。
驚愕というよりは、「仰天」(あまり違いは無いか?)に近い感じです。(この数字は小生の実経験からのもので、試算したものではありません。念のため。)
ところで、最近の米国の自動車業界首脳によるワシントンでの失態はTVなどで見ていたとおりです。サブ・プライム問題を引き起こした金融界も変わりないものだということは改めて強調する事でもないでしょう。
特に米国では、エンロンやワールド・コム事件が発生してからわずか6−7年後の今回の混乱発生です。ガバナンスや内部統制システムの整備に関して、「アングロ・サクソン・スタイルがグローバル・スタンダード」と強調してきた結果がこの有様です。
こうした状況は、何も米国に限った事でなく、我が国でも散見されています。背景に「驕り」が多少でも存在していたとすれば、それこそ大いに反省すべき事であり、「驕り」の存在を気付いていなければ、致命傷になります。
思うに、人=企業=組織は、一つの「成功」に酔い易い傾向が往々にしてあります。
「成功」が華々しければ、華々しい程、その余韻に浸っていたくなります。つまり、この状況が何時までも続く、「夢は醒めない」と信じ、錯覚に陥り易いものです。
しかし、時間は刻々と過ぎて行きます。時間の経過とともに、状況は変化し、社会の価値観も変化して行きます。成功に酔っていると、その変化に気付かず、何時までも従前の方法論に固執して、それが正しいと信じて疑わない。
将来の不確実性=リスクの分析を怠り、リスクの発生に備える準備を怠る。リスクは常に変化します。一度リスク・ヘッジを対処したら終わりと言う事は無いことに気付かない。それこそが最大のリスクなのです。常に変化する社会=時代を見据え、自らを変化させる努力を怠らない事が重要なのです。そうでなければ「流れ」に取り残され、「崩壊」の足音を聞くことになる。
政治でも、企業経営でも、個人生活でも、全て同じことが言えると思います。変化を先取りし、変化に的確に対処すること。18世紀の生物学者ダ−ウインはその著「種の起源」でこう書き記しています。『生き残る種とは、強いものでも、賢いものでもない。変化に的確に対応しうる種が未来に子孫を残し得る。』と。蓋し名言といえます。
従って、変化を先取りし、その変化に的確に対応するためには、「驕り」があってはならない事になります。社会=時代の変化を的確に掴む為には、常に「謙虚」に周囲を見渡す知恵と力が必要です。「謙虚」とは、周りにへりくだる事ではありません。何か人知を超えた大きな力に対して、自らの言動等は間違っていないか、恥ずべき事はないかを問い掛け、その声に真摯に耳を傾ける事を意味します。
宗教的な話をしているのではありません。
「人知を超えた大きな力」とは、自らが生存するこの現実社会そのものかもしれませんし、自らの内に存在する「良心」=「精神」=「熱情」なのかも知れません。
「謙虚」に周りを見つめ、変化を的確に捉えて、必要な行動に出る事、これこそが古来受け継いできた人間の知恵なのかも知れません。それを忘れて、一時の成功に溺れ、「生存」そのものさえ危うくさせる可能性のある現代の過ちを、今こそ修正する必要があると考えます。
常に「謙虚」たる事。未来を恐れず、勇気を持って先に進む事。簡単なようで、実はかなり難しい事かもしれません。
今回の経済混乱に関して、国のブッシュ大統領も、次期大統領のB・オバマ氏も、ルーズベルト大統領が1930年代の同様の混乱期に国民に告げた以下の言葉と同様のメッセージを伝えたと謂われています。
『米国民よ!我々が一番恐れなくてはならないのは、我々自身の心の内に潜む恐怖心そのものだ!今こそ、内なる恐怖心を捨て、勇気を持って前に進もう!』と。
翻って、我が国は如何でしょう。少なくともこの事は言えます。「謙虚」たれ!と。政府も企業も、そして我々自然人もです。「謙虚」に「勇気」を持って前に進む努力だけは他国に負けないようにしましょう。決して!
そういえば、つい先日女房が興奮した顔付きで、声を荒げて話していた事を思い出した。
これは単なる「笑い話」で済ませられる事ではないことだけは確かであり、「人々は本当に優しさを忘れてしまったのか?」と悲しい問いかけをしたくなる出来事でもある。
以下は、女房の言。
吃驚しちゃった!吃驚しちゃった!
今日、事務所に来る電車の中で、衝撃的な出来事を経験しちゃったのよ。
この世の中どうなっているのか、理解できないくらいにショックな事よ!(何があったんだよ?落ち着いて話せよ。)
実はね、電車で都合よく座れたから、やれやれと思っていたら、途中の停車駅で御夫婦、それも相当の御年配の方が乗ってこられたのね。大丈夫かなと思って拝見していたら、どうやら奥様の方がお体不自由な感じだったの。
そこでね、私、立ち上がって「どうぞ!」って席を譲って差し上げたの。(当然だね。)違うわよ!そしたら傍に立っていた中年の小母さんが、立ち上がった私を押しのけるよう、そして、平気な顔をしてその席に滑り込むように座っちゃったのよ!
私、吃驚してその人の顔を見たんだけど、済ました顔で座ったままなのね。(席を譲って差し上げる方に、ちゃんと確認して行動したのか?何か分からないような中途半端な感じで立ち上がっただけであれば、誤解される事もあるぞ。)冗談でしょう!ちゃんと、手でその奥様の方を指し示して、更に腕に手を触れて、その方が明確に認識出来るようにしてから譲ったのよ。失礼しちゃうわ!
でもね、その小母さんの非常識な行動に気付いたもう一人の方が、続けて席を譲っていただいて、御婦人は座れたのね。もう、周り中の乗客が一緒に吃驚して、その小母さんに非難の眼差しを集中させたんだけど、済ました顔して一向に動じる事も無く、さも当然と座り続けているの。
どういう神経を持っている方か、全く理解出来ないけど、「やっぱりそれが『小母さんよ!』ね」って言葉で片付けて欲しくない程の衝撃的な感じ。
私だって充分に小母さんだけど、(本当は「お祖母さん」になっているだろう!)人間として最も大事な「優しさ」だけは捨ててはいけないと思う。
本当に、一体全体どうなっているのか、理解できなくて頭が混乱している。私たちは、人間の「心」さえも失いつつあるのかしら?
万一、こうした人達が実際に増えているとしたら、重大な問題ね。世の中で凶悪犯罪が増加しているのも、こうした「心」の荒みから来ているのかしら。恐ろしい事だわよ!しかも、充分に人生を50年以上経験してきた私達とほぼ同年代の中に、こうした「優しさ」を喪失し、自分の事だけの利益のみを考える人々が増えてきているとしたら由々しき事ね。悲しいわ!
再度断るまでも無く、以上は我が女房が実際に体験した「事実」である。
類似の体験をされた事のある方々は実際に相当いらっしゃると思う。小生も、女房に「何故、その理不尽な振る舞いをした小母さんに、直接抗議しなかったのか?」と問いかけようとしたが、そうした行動はなかなか出来るものではなく、ただ周りの人々と同様に「非難の眼差し」を向けるのが限界なのかもしれないと、質問を思い止まった。
翻って考えるに、「企業も人なり」を前提にすれば、経営者たるもの、常に「我社は『優しさ』を保てているか?」の問い掛けを忘れてならない事を、この話から惹起させてくれる。
企業、特に社会の公器たる上場企業は、全てのステークホルダーに対して「優しく」有らなくてはならない事は言うまでも無い。
企業にとって必要な「優しさ」とは、「誠実」であるという事と同様である。ガバナンスや内部統制問題の真髄もここにある。
情報開示に関しても、定められたような「木で鼻を括る」内容の開示に奔放するよりも、全ての関係者が可能な限り理解出来得る説明に努力する姿勢=優しさが重要である。
「法や規則で決められた範囲では開示しています。何が問題なのですか?」では、開示された情報を利用しようとする人々への配慮=優しさが欠落していると言う事になる。
自然と日常的な手続きに流され、機械的な情報開示に慣れてしまい、「優しさ」の欠落した情報や説明では投資家の目をひきつける事は出来まい。
ガバナンスや内部統制システムの構築に関しても、「形」を整えれば問題ないのでは、と言う対応では、何の為の仕組みかと疑念を持たれる。
「誠実性」=「全てに対する優しさ」の確保の為の対応と捕らえて努力すれば、自ずと企業価値も向上する。
契約先や消費者等に対する「優しさ」を確保する事は、彼等の信頼を向上させる事に繫がる。
消費期限や安全確保は、当然の事であり、優しさの条件でもある。義務感に駆られてこうした行動をするのでは何の意味ももたない。そうではなく、企業が「人」として、その社会的存在意義を確固たるものにし、社会的価値を高揚する為の当然の事と心得るべきであろう。
企業の「インテグリティ=誠実性」の必要性が叫ばれて久しいが、何も難しい事ではなく、全てに対して「優しくあれ!」と言っているのみであると考えれば、容易に対応できる事柄ではなかろうか。
因みに「地球に優しく!」とは、「地球に生を受け、恩恵を享受している全ての生物に優しく!」と言う事であり、これらの生物の生活を脅かすような行動はお互いに慎もうと考えれば、CO2削減の必要性も当然であり、土壌汚染問題も頗る当然となる。
義務ではなく、自らの生活を安全なものにする為の自然な行動と理解している方々が圧倒多数である事を信じたい。
−こんな時だから、人との輪を大切に!
「釣り馬鹿日誌」に見る「企業は人なり」の精神―
頑張って週一ペースでブログを更新するぞ!と宣言した途端に発生した未曾有の市場の混乱、歴史上かつてなかったほどの世界的市場指数の大暴落に吃驚してしまい、ブログの存在を暫く忘れていた小生でした
この一ヶ月は出張続きで東奔西走、しかも、混乱真っ只中のワシンントンとNY出張まで重なり、老骨にとっては少々疲れ気味。
マケインか、オバマかで揉めた米国大統領選も、人種の壁を打ち破ってオバマ氏が次期大統領に当選し、さて、世界の指導者の一人として、今後如何なる政策を具体的に打ち出して混迷する世界経済の再生の牽引役となるか、期待するところ大というところでしょうか。我が国の新宰相にも大いに頑張っていただきたいところです。
ところで、先月末、米国出張を終えて帰国した直後に、自宅でTVを何気なく見ていたら、「釣り馬鹿日誌No.11」を再放送していました。 気が付いたのは、今から7年半前に前の職場で「ウイークリー・チャット」を連載していたときに、この映画を題材にチャットを書いた事を思い出しました。読み直してみると、この市場混乱に関して「言いたい事」の一部がこの映画に込められている事に気が付きました。
このチャットを掲載したのは2001年の事ですから、丁度エンロンやワールドコムの事件が発生し、同じように市場が混乱し、この後で、世界中で企業のガバナンスや内部統制問題が喧しくなった事でも、当時の事情は皆様にも記憶に新しい事だと思います。
先月のワシントンでの国際会議のスピーチでも、「エンロンやワールドコムの事件発生後、未だ7−8年しか経っていない。我々は、当時の経験から何を学び取っていたのだろうか?リスク・マネージメントがなっていなかった事を真摯に反省し、復活の道に向かって勇気を出して前に進まなくてはならない。」と主張しましたが、当時の感覚は、現在でも同様のものと改めて感じています。
そこで、お叱りを覚悟で、当該チャットのメイン部分を再度掲載する事にします。お断りしておきますが、決してブログを真面目に書く事を面倒くさがって、手抜き目的で昔の文章を掲載するものではないことを誓います。
また、弊事務所の怖い秘書の純子女子から、『早くブログの追加を書きなさい! 面倒がったって、皆に約束したんでしょう!週一の約束よ!』と叱られての苦肉の策でもありません。
この文章を読んだ後で、純子女子も掲載を積極的に賛成してくれました。(実は、「美人秘書の」という形容詞を付ける事を、掲載に賛成する条件として強力に要請されましたが、、 それだけは頑として却下しました、悪しからず!)
2001年頃が現在と余り変わらない状況だった事を、以下のチャット原稿が如実に示しています。それでは、若干長くなりますが、御参考までにお読み下さい!
<前略>
この『釣り馬鹿日誌11』の終盤で、おや!という場面を発見したのですが、小生と同じ気持ちを持たれた方も多かったのではないかと思います。
御覧になられなかったメンバーにその場面を紹介しますと、主人公の一人である鈴木建設の社長の通称スーさんが、いよいよ経営上でも長引く不況に対する抜本的対策を迫られる自社内での会議に出席、御定まりの外国コンサルティング会社からの提案を受けて、リストラも已む無しとする経営陣を前に、席上で彼が発言した内容です。以下に、小生が記憶している限りの台詞を再現してみます。
「皆さん!ここに米国の経済誌フォーチュンがあります。このなかに、米国人が働きたい会社のランキングが載っています。私の好きなハーレー・ダビットソン社(映画上、スーさんはこのバイクに乗って偶に出勤するほど好きである事になっています。)が17位になっていますが、成る程と思いました。
私がミルオーキーにある同社の工場を訪問した時、ある職工が腕にハーレー社のシンボル・マークの刺青をして一生懸命働いていることに気付き、その訳を尋ねたところ、「親子二代に渡る同社での就業。我社と従業員は体も心も一体。我々従業員はこの会社が好きだし、会社も我々を大事にしてくれる。」との答えを聞きました。その通りです。
私が思うに、『人材こそ企業の宝。一人一人の能力を生かしてこそ、その企業が生き残る力となる。』という事です。
会社が社員を大事にしてこそ、一人一人の社員が会社の力になってこそ、その企業は強くなると信じます。企業と社員の信頼関係は企業の活力の創造の源でもあります。(外国のコンサルタントが外国の基準を持ち込んで、これがグローバル・スタンダードですと、当然の如く「安易(?)」な方法を推奨するが…、)
勿論、現在の我が社にとってリストラが必要な事も充分理解できます。
しかし、そういう時であるからこそ、全社員が一丸となって明日の鈴木建設を創る為に全力を出す事が最も必要な事です。(明日のリストラを心配する社員ばかりでは活力は生じない)」と。(かなり脚色しているかもしれませんが、こんな感じでの発言だったと記憶しています。)
そして、映画では、スーさんはリストラ禁止令を出しました。もう少しでリストラされそうだった浜ちゃん(主人公の浜崎社員)も、この命令によって事無きを得た訳ですが、この台詞を聞いて、小生、充分に考えさせられました。
バブル期以降、我が国が10年以上に亘り直面しつづける構造的不況、経済指標は一向に上向きを見せず、ファンダメンタルそのものはそう悪いものではないにも拘わらず、昨今はデフレ・スパイラルに陥ったとも云われる様になりました。
銀行を中心として先送りされてきた巨額な不良債権処理問題が我が国の経済の先行きに真に黒い影を投げ掛けています。誰とは云いませんが、元首相による、『認識が甘かった』とも云える反省の言の表明でも証明されるように、これらの失政により失われた約10年間、否、それ以上の年月になるかも知れない時間は、我が国にとって、正しく歴史に残る「苦悩の時代」とも言えるものであると思います。
この間において、多くの企業が「相場表」を始め、社会の表舞台から消えていきました。そしてまた、生き残っている企業も自らの存続をかけて合理化の名の下、主に人件費削減を旗頭に「リストラ」という、それまで我が国では余り一般的ではなかった制度を導入して人員整理を実施してきました。
ある企業は外国の経営者を導入し、この非常とも云えるリストラを大幅に断行、今では、それなりの成果を挙げたとして、これを歓迎する評価が大勢を占めています。その結果、何故だか分かりませんが、余り大きな取扱いになっていないのが「失業率」の上昇問題です。新卒学生ですら困難であるというのですから、会社倒産・整理、更にはリストラによって職を失った方々にとっては、再就職先を見出す事は非常に難しい状況が続いています。
結果的に、社会情勢は殺伐とした雰囲気になりつつあり、昨今は目を背けたくなる悲惨な事件が多発している事は周知の事実です。
こうしたなか、スーさんの言は、正しく当を得たものではないでしょうか。『人材は企業の宝。人材を生かしてこそ企業は再生する。』という言葉です。その企業に働きながら、何時自分が整理対象となり、退職勧奨を受けるのかをビクビクしながら就労する社員、果たして、そんな会社に活力が生じるというのでしょうか?小生は何も「終身雇用・年功序列制」を無条件に礼讃する事を良しとしている訳ではありません。勿論、このような旧来の制度に胡坐をかき、「サラリーマン、気楽な稼業ときたもんだ!」と考えている輩は以ての外である事は当然です。しかし、いま求められる事は、企業として、共に働き、自らの企業を支える社員を大事にし、一種の運命共同体と考えて明日へ向かおうとする意欲を明確にする事なのではないでしょうか。企業再生の鍵は、その企業が生かそうとする人材に在ると言う事だと思います。
ドイツ語で、会社の事を「Gesellschaft(ゲセルシャフト)」と言いますが、その意味は「利益追求を目的とした共同体・組織」の事であり、元来 Gesell とは「伴侶・仲間」を意味します。また、その反語(?)である生活共同体(主に国家・市町村等の組織・集団を意味する)を「Gemeinschaft(ゲマインシャフト)」と言い、Gemein の意味するところは、「共同・一般・公共」です。様々な解釈があるでしょうが、GesellschaftでありながらGemeinschaftである組織、つまり、Gemeingesellschaftである事、それがスーさんのハーレー・ダビットソン的会社組織であると考えます。
国民の声を反映してくれる新総理の誕生、国家の再生を真に託せる人である事を心から願わざるを得ません。国家もGemeingesellschaftたるべきだと思うからです。
「人材は国家の宝。人材を生かしてこそ国家は再生する。」です。
如何でしたか?企業価値の評価に関して、昨今は財務面のみでなく、目に見えない資産(インタンジブル・アセット)、特に「知的資産」に関する評価が注目を集めています。
知的資産とは何も特許やガバナンス面だけでなく、「人材」も重要なポイントと考えられるべきである事当然です。そうであるからこそ「人」を大事にする経営を心掛ける事が重要だと思うのですが。
数ヶ月前に、友人のご尊父の葬儀に参列したときの事だ。
「ご尊父」と表現する事が正確かどうかは若干躊躇するところだ。実は、お亡くなりになったのは、友人の岳父でいらっしゃったからだ。
ご尊父と敢えて表現したのは、友人の嘆きようが尋常でなく、実のお父上が亡くなられても嗚呼は泣くまい、嘆くまいと思われるほどの悲しみ様だったからだ。
聞くところによれば、御岳父は、彼の人生での最大の理解者のお一人であったとか。
若くして結婚し、苦労・努力を重ねた上に、今日の社会的地位を築いてきた彼だが、常に彼の傍にあり、叱咤し、激励してきたのは、誰あろう、その御岳父でいらっしゃったとか。
彼の事業が成功するにつけ、一番に喜んでくださり、失敗があれば、「そんなことで悩んでどうする!」と叱る。その愛は、実のお父上に勝るとも劣らなかったとも聞く。いや、実のお父上以上のものであったとか。
その大きな愛に支えられて今日まで頑張りを続けてきた彼にとって、今回の件は相当にショックであったに違い無い。彼の大きな嘆きはそうした事実に基づくものだったとの事。
私事で恐縮だが、小生の女房も、実は22歳で結婚した。
今は亡き岳父は、娘を貰いたいと許可を得に来た小生に対し、「姉もいるのだが、姉の方ではどうだ!」との返答で、小生が帰った後、家族で騒動が持ち上がった程だったと聞いた。
実は女房は末娘で、最初に結婚するのが彼女だった。岳父からすれば、手塩に掛けてここまで育ててきて、よりによって末娘を最初に、「どこの青二才とも分からぬ奴に取られるのか!」と、悲憤慷慨の面持ちだったかもしれない。
自分自身、年頃の娘を持つ身になって、漸く岳父の気持ちが痛いほど分かるようになってきた。
家族の絆とは、無私の気持ちに支えられているからこそ存在するものなのかもしれない。小生の岳父も、結婚した後は、小生の最大の理解者の一人でもあった。様々な人生が存在し、一人一人、異なる歴史を持っている。
小生も6歳のときの一年間で両親を亡くした。理解してもらおうとする親は既にいない。結婚して初めて出来た「両親」だった。
女房の両親でも、自分の実の親と思い、心から仕えてきた積りだった。その両親も既にいなくなった。人生の理解者を失う悲しさは、誰にとっても大きなものがある。
今回の友人のそうした姿を垣間見て、実に美しいと思った。愛するもの、愛されてきたものを失って、そのことを誰に憚ることなく嘆き、哀しむ事が出来ることは、人として素晴らしい感性である。真の愛を知る者にのみ可能な事であろう。
先のご葬儀の最中に、彼の対応を見ながら、数年前にあった、小生の大の親友の一人であった人物の葬儀の時、友人の妻女が言った言葉を、改めて思い出していた。
その友人は突然にこの世を去った。
朝出掛けたきり、夜には骸になって彼の妻の元へ帰ってきた。
そんな突然の死であったにも拘らず、その通夜の席上で、彼女は気丈に振舞い、最後に参列していた我々の前で型通りの口上を述べた後で、こう切り出した。
「皆様、申し訳ありませんが、彼に言いたい事がありますので失礼します。」と。何事かといぶかしむ我々の前で、祭壇に向かってクルリと踝を返し、彼の名前を呼びながら、三つの言葉を述べた。
曰く、「私は貴方と会えて良かった。一緒の時を過ごせて良かった。そして、何より、私は貴方と愛し合えて良かった。」と。
須く、我々の人生は人との別れと無縁ではいられない。
そうであるからこそ、人と人との出会いを大切にし、お互いに理解し合い、愛し合わなくては、人生は虚しいものとなってしまう。
株式会社 ENアソシエイツのHPの「大改正?」に当り、何か皆様方に、アクセスの際に少しでも「面白い!」と思って戴ける趣向は無いものかと考えていました。
ふと思いついたのが、小生が東証時代の、確か十年近く前の総務部長時代だったと記憶しているのですが、若い同僚の連中にせがまれて、当時は「何だ?それは?」と言いながら書き始めた「英資のウイークリィー・チャット」です。
チャットなるものの存在を知ったのが、恥ずかしながら実は其の時が初めてで、最初は軽い気持ちで連載を始めたのですけれど、一週間に一回でもこれが結構タフな作業で、毎週ヒイヒイ言いながら続けたものでした。
総務部長をお役御免になるまでの一年半かそこらの間でしたが、多くのファンの皆様に支えられて、それこそ、『こんなことを東証の総務部長が書いても良いの?』という感想が寄せられたり、『自らの奥さんを「愚妻」呼ばわりする事は是か非か』論争を巻き起こしたりの、好き勝手に思いつくままの世相に関する感想等を中心に、チャット?ブログ?どちらがどうかは知りませんが、それこそ自分としては「律儀」に書き続けたものでした。
ひょっとしたら、憶えていらっしゃる方もおられるかも知れません。
そこで今回、もう一度ということで、老骨に鞭打ち、一念発起で、ブログ「英資の好き勝手言い放題」を開始する事と致しました。
今後とも、皆様方のご支援、ご鞭撻を賜りたく、宜しく御願い致します。皆様方の御協力がなければ、何時挫けてしまうかもしれません。
取り敢えずは、週1回ペースで頑張ります!!
出来るかな?