株式会社ENアソシエイツ|人や企業の「縁」を大切にします。

トップ > 社長ブログ

EN Associates
2012.04.17 Tuesday
第36回 何処か視点が間違っている原子力発電所問題の行方?
 

 先日、偶然に書店の店先で見つけた本で、実に衝撃的な内容の小説があった。相場英雄氏著の「震える牛」である。最近その筋では人気を博している著書だそうで、どんなものか読んでみた。平成版『砂の器』との帯封付で宣伝しているだけに、中身は狂牛病に絡むミステリー小説だったが、良く読むと「狂牛病」を「福島原子力発電所3.11」と置き換えても充分に理解しうる内容と感じた。読者諸兄姉に置かれては既にお読みになった方々も多くいらっしゃると思うので、同小説の中身の詳細な紹介は避ける事とするが、要は「国民の知る権利」が政府等によって如何に侵害されているかを訴えようとする小説である。

 

一方で、現在ほど、我が国国民の知る権利、知らされる権利が阻害されている事はかってなかったほどに高まっているにも拘らず、その実態すら実感しないで、例えば(極端に言えば)韓流ドラマや韓流俳優にキャアキャアしている国民性は世界に存在し無いのではないかと思うほどの状況であり、考えるに実に嘆かわしいと言うか、悲しくて涙が止まらないと言うのが実感である。「真実を見抜く目を持て!自らの生存に関わってくる状況だ!」と、先の二回のブログでも警鐘を鳴らした積りだが、やっぱり、「なんか変だよ、我が日本!」と大きく言いたくなってきた。

 

『幾度と無く、経済的な事由が、国民の健康上の事由に優先された。秘密主義が、情報公開の必要性に優先された。そして政府の役人は、道義上や倫理上の意味合いではなく、財政上の、あるいは官僚的、政治的な意味合いを最重要視して行動していたようだ』、更に、『直面している大きな課題は、市場の道徳観念の欠如と効率性との間で、しかるべき落としどころを探ることだ。自由を謳う経済システムは、しばしばその自由を否定する手段となってしまう。二十世紀の特徴が全体主義体制との闘いであったとすれば、二十一世紀の特徴は行き過ぎた企業権力をそぐ為の闘いになるだろう。極限までに推し進められた自由市場主義は、恐ろしく偏狭で、近視眼的で、破壊的だ。より人間的な思想に、取って代わられる必要がある』と。また、『そもそも消費者とは、我々全員のことだ。この国最大の経済的集団であり、どんな経済決定にもことごとく影響を受ける。消費者は重要視すべき唯一の集団である。しかし、その意見は蔑ろにされがちだ。政府は如何なるときも、消費者の|里蕕気譴觚⇒、∩ぶ権利、0娶を聞いてもらう権利、ぐ汰瓦魑瓩瓩觚⇒を擁護しなくてはならない。』

 

以上は、冒頭に紹介した小説の中で、プロローグとエピローグでそれぞれ引用されている文章であり、この小説の注目点は当該引用文に尽きていると思う。巻末の参考文献紹介とネット検索によるところでは、米国のジャーナリストであるエリック・シュローサーの『ファストフードと狂牛病』か、或はシェルドン ・ランプトン&ジョン・スト−バーの『隠されている狂牛病』からの引用文と思われる。冒頭にも述べたが、重要な事は、上述の引用文章に関して、狂牛病に関する記述と考えずに、今般の福島原子力発電所の震災事故後の政府の対応と考えたら如何だろうかと言う事である。特に最終部分に関して言うと、消費者=生活者、経済集団=生活集団、経済決定=活動指示と置き換えてみたら、本当に恐ろしくなってくるとは考えられないだろうか?当時も現在も、恐ろしい事に、我が国の重要視すべき唯一の生活集団である我々国民の知る権利を全て抹殺し、現在においても尚放置され続けている事に、改めて気付いた読者諸兄が殆どだと思うが、国民の殆どは「盲目状況」に置かれているのだろうか。

 

それも、つい数ヶ月ほど前に米国サイドから開示された昨年3月11日以後の福島原子力発電所事故対応を巡る我が国政府と米国政府等との交渉経緯についての記録文章等で明らかにされた、当時の政権政府の恐ろしいまでの「隠蔽主義」「秘密主義」「欺瞞主義」等の事実である。メディアは何時もの通り、余り問題視しないか、その内に取り上げる事すらなく、昨今では既に過去の事と忘れさせるかが如き対応しか示していない。これほど我が国国民にとって重要な安寧な生活を送る権利が侵害され、放置されて事実が存在していたにも拘らず、恰も国民を愚弄するが如き当時の政権政府の対応に、何故に誰も疑問視し、大きな声で批判する声が我が国であがらないのか、如何に考えても理解出来ない状況にあると言っても過言ではないのではないか。

 

ここのところ、漸くに国会の事故調査委員会が、当時の政府首脳を参考人招致すると言うところまで漕ぎ着けた様だが、これとても、『当時の対応が適切であったかどうかについて、質疑する』程度のものらしい。当時、米国の報告でも明らかなように、人体に影響を生じ得る数万ベクレルの放射能汚染が確認されていたにも拘らず、『直ちに人体に影響が生じるものではないが』との発言を繰り返し、あまつさえ、即時避難が必要だった福島原子力発電所30繕疂佞僚嗣韻燭舛悗糧鯑饂惻┐、一ヶ月以上も放置されたと同様の取り扱いを続けた挙句、避難するに関して何らの援助や誘導措置を行わなかった責任に関する追求を行う考えは毛頭ないらしい。現時点で、避難された方々、数十万人が故郷である現地に帰還できず、各地で大変なご苦労をされている事実に関しても、これを問題視する考えすらないかと思える対応には、怒りを通り越して、悲しささえ覚えるのは、一人小生だけなのだろうか。読者諸兄姉は如何にお考えか。改めて、お聞きしたいものである。これ以上の詳細をくどくどと主張すること自体が、『しつこい!』とでも、『煩わしい』事であるとでも言うのだろうか。米国が発表した当時の状況に対する報告書の存在すら、我が国国民は忘れてしまったか、『聞いてない!』『知らない!』『報道したの?』程度なのかもしれない。もしそうであったら、そうした待遇を受けても仕方の無い国民性を有しているのかも知れないが、少なくと、小生は御免被りたいと考えている。冒頭に紹介した「震える牛」が問いかけている事実、正に我が国に存在する恐ろしい事実の存在に早く多くの国民が気付き、自らの「国家」に対する考え方を其々が確立する必要性を心底から感じるべきではなかろうか。

 

原子力発電所の問題は、『稼動の是非』が問題なのか、『存在そのもの』が問題なのか、考えるべきでは。停止措置をとっても、核燃料棒はそのままであり、それらを冷却させる為に必要な電源装置は、福島での問題発生後一年以上経過した今現在でも、耐震対応などを追加設置する事も無く、何ら変わることなくそのままの状態で放置されている事実の方が余程恐ろしいと言う事実を何故に誰も主張しないのだろうか。明日にでも、巷間言われている大規模地震が発生したら、今度は何が起きるのだろう。やらなければならない事は山ほど存在しているのも関わらずである。「真実を見る目を持とう!」、今ほど重要な時は無い。

そうこうしている内に、今度は北朝鮮のミサイル?宇宙衛星?発射に関する我が国の対応の体たらくである。この問題に関する「真実」は、もっと恐ろしいかもしれない。何しろ「国家防衛」に関する基本的真実が明らかにされたのだから。近日中に考えているところをお伝えしようと思っている。またまた頭に血が上らないように気をつけないと、ブログ更新の間が空いて、読者諸兄姉のお叱りを賜るかもしれないが。

| - | 10:22 | - | - | pookmark |